に舳《みよし》が見え、艫《とも》が隠れて、葉越葉末に、船頭の形が穂を戦《そよ》がして、その船の胴に動いている。が、あの鉄鎚《てっつい》の音を聞け。印半纏《しるしばんてん》の威勢のいいのでなく、田船を漕《こ》ぐお百姓らしい、もっさりとした布子《ぬのこ》のなりだけれども、船大工かも知れない、カーンカーンと打つ鎚《つち》が、一面の湖の北の天《そら》なる、雪の山の頂に響いて、その間々に、
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「これは三保の松原に、伯良《はくりょう》と申す漁夫にて候。万里の好山に雲|忽《たちま》ちに起り、一楼の明月に雨始めて晴れたり……」
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 と謡うのが、遠いが手に取るように聞えた。――船大工が謡を唄う――ちょっと余所《よそ》にはない気色《けしき》だ。……あまつさえ、地震の都から、とぼんとして落ちて来たものの目には、まるで別なる乾坤《てんち》である。
 脊の伸びたのが枯交《かれまじ》り、疎《まばら》になって、蘆が続く……傍《かたわら》の木納屋《きなや》、苫屋《とまや》の袖には、しおらしく嫁菜の花が咲残る。……あの戸口には、羽衣を奪われた素裸の天女が、手鍋《てなべ》を提
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