子戸《がらすど》を引きめぐらした、いいかげんハイカラな雑貨店が、細道にかかる取着《とッつき》の角にあった。私は靴だ。宿の貸下駄で出て来たが、あお桐の二本歯で緒が弛《ゆる》んで、がたくり、がたくりと歩行《ある》きにくい。此店《ここ》で草履を見着けたから入ったが、小児《こども》のうち覚えた、こんな店で売っている竹の皮、藁《わら》の草履などは一足もない。極く雑なのでも裏つきで、鼻緒が流行のいちまつと洒落《しゃ》れている。いやどうも……柿の渋は一月半おくれても、草履は駈足《かけあし》で時流に追着く。
「これを貰《もら》いますよ。」
 店には、ちょうど適齢前の次男坊といった若いのが、もこもこの羽織を着て、のっそりと立っていた。
「貰って穿《は》きますよ。」
 と断って……早速ながら穿替えた、――誰も、背負《しょ》って行《ゆ》く奴もないものだが、手一つ出すでもなし、口を利くでもなし、ただにやにやと笑って見ているから、勢い念を入れなければならなかったので。……
「お幾干《いくら》。」
「分りませんなあ。」
「誰かに聞いてくれませんか。」
 若いのは、依然としてにやにやで、
「誰も今|居《お》らんのでね……」
「じゃあ帰途《かえり》に上げましょう。じきそこの宿に泊ったものです。」
「へい、大きに――」
 まったくどうものんびりとしたものだ。私は何かの道中記の挿絵に、土手の薄《すすき》に野茨《のばら》の実がこぼれた中に、折敷《おしき》に栗を塩尻に積んで三つばかり。細竹に筒をさして、四《し》もんと、四つ、銭の形を描き入れて、傍《そば》に草鞋《わらじ》まで並べた、山路の景色を思出した。

       二

「この蕈《きのこ》は何と言います。」
 山沿《やまぞい》の根笹に小流《こながれ》が走る。一方は、日当《ひあたり》の背戸を横手に取って、次第|疎《まばら》に藁屋《わらや》がある、中に半農――この潟《かた》に漁《すなど》って活計《たつき》とするものは、三百人を越すと聞くから、あるいは半漁師――少しばかり商いもする――藁屋草履は、ふかし芋とこの店に並べてあった――村はずれの軒を道へ出て、そそけ髪で、紺の筒袖を上被《うわっぱり》にした古女房が立って、小さな笊に、真黄色《まっきいろ》な蕈を装《も》ったのを、こう覗《のぞ》いている。と笊を手にして、服装《なり》は見すぼらしく、顔も窶《やつ》れ、髪は銀杏返《いちょうがえし》が乱れているが、毛の艶《つや》は濡れたような、姿のやさしい、色の白い二十《はたち》あまりの女が彳《たたず》む。
 蕈は軸を上にして、うつむけに、ちょぼちょぼと並べてあった。
 
 実は――前年一度この温泉に宿った時、やっぱり朝のうち、……その時は町の方を歩行《ある》いて、通りの煮染屋《にしめや》の戸口に、手拭《てぬぐい》を頸《くび》に菅笠《すげがさ》を被《かぶ》った……このあたり浜から出る女の魚売が、天秤《てんびん》を下《おろ》した処に行《ゆ》きかかって、鮮《あたら》しい雑魚に添えて、つまといった形で、おなじこの蕈を笊に装ったのを見た事があったのである。
 銀杏の葉ばかりの鰈《かれい》が、黒い尾でぴちぴちと跳ねる。車蝦《くるまえび》の小蝦は、飴色《あめいろ》に重《かさな》って萌葱《もえぎ》の脚をぴんと跳ねる。魴※[#「魚+弗」、第3水準1−94−37]《ほうぼう》の鰭《ひれ》は虹《にじ》を刻み、飯鮹《いいだこ》の紫は五つばかり、断《ちぎ》れた雲のようにふらふらする……こち、めばる、青、鼠、樺色《かばいろ》のその小魚《こうお》の色に照映《てりは》えて、黄なる蕈は美しかった。
 山国に育ったから、学問の上の知識はないが……蕈の名の十《とお》やら十五は知っている。が、それはまだ見た事がなかった。……それに、私は妙に蕈が好きである。……覗込んで何と言いますかと聞くと「霜こしや。」と言った。「ははあ、霜こし。」――十一月初旬で――松蕈《まつたけ》はもとより、しめじの類にも時節はちと寒過ぎる。……そこへ出盛る蕈らしいから、霜を越すという意味か、それともこの蕈が生えると霜が降る……霜を起すと言うのかと、その時、考うる隙《ひま》もあらせず、「旦那《だんな》さんどうですね。」とその魚売が笊をひょいと突きつけると、煮染屋の女房が、ずんぐり横肥りに肥った癖に、口の軽い剽軽《ひょうきん》もので、
「買うてやらさい。旦那さん、酒の肴《さかな》に……はははは、そりゃおいしい、猪《しし》の味や。」と大口を開けて笑った。――紳士淑女の方々に高い声では申兼《もうしか》ねるが、猪はこのあたりの方言で、……お察しに任せたい。
 唄で覚えた。
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薬師山から湯宿を見れば、ししが髪|結《ゆ》て身をやつす。
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 いや……と言ったばかりで、外
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