ああ、ちっと居るようだの、と何でもないように、言われるんだけれども、なぜ阿母《おふくろ》には居るだろうと、口惜《くやし》いくらいでね。今に工面してやるから可《い》い、蚊の畜生覚えていろと、無念骨髄《むねんこつずい》でしたよ。まだそれよりか、毒虫のぶんぶん矢を射るような烈《はげし》い中に、疲れて、すやすや、……傍《わき》に私の居るのを嬉しそうに、快よさそうに眠られる時は、なお堪《たま》らなくって泣きました。」
聞く方が歎息して、
「だってねえ、よくそれで無事でしたね。」
顔見られたのが不思議なほどの、懐かしそうな言《ことば》であった。
「まさか、蚊に喰殺されたという話もない。そんな事より、恐るべきは兵糧《ひょうろう》でしたな。」
「そうだってねえ。今じゃ笑いばなしになったけれど。」
「余りそうでもありません。しかしまあ、お庇様《かげさま》、どうにか蚊帳もありますから。」
「ほんとに、どんなに辛かったろう、謹さん、貴下《あなた》。」と優しい顔。
「何、私より阿母ですよ。」
「伯母さんにも聞きました。伯母さんはまた自分の身がかせになって、貴下が肩が抜けないし、そうかといって、修行中で、
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