飛込《とびこ》んだ。
 人仕事《ひとしごと》に忙《いそがわ》しい家の、晩飯の支度は遅く、丁《ちょう》ど御膳《ごぜん》。取附《とっつき》の障子を開《あ》けると、洋燈《ランプ》の灯《あかし》も朦朧《もうろう》とするばかり、食物《たべもの》の湯気が立つ。
 冬でも夏でも、暑い汁《つゆ》の好《すき》だつたお辻の母親は、むんむと気の昇る椀《わん》を持つたまゝ、ほてつた顔をして、
「おや、おいで。」
「大層おもたせぶりね、」とお辻は箸箱《はしばこ》をがちやりと云はせる。
 母親もやがて茶碗の中で、さら/\と洗つて塗箸《ぬりばし》を差置《さしお》いた。
 手で片頬《かたほ》をおさへて、打傾《うちかたむ》いて小楊枝《こようじ》をつかひながら、皿小鉢《さらこばち》を寄せるお辻を見て、
「あしたにすると可《い》いやね、勝手へ行つてたら坊《ぼう》ちやんが淋《さび》しからう、私は直《すぐ》に出懸《でか》けるから。」
「然《そ》うねえ。」
「可《い》いよ、可《い》いよ、構《かま》やしないや、独《ひとり》で遊んでら。」と無雑作《むぞうさ》に、小さな足で大胡坐《おおあぐら》になる。
「ぢや、まあ、お出懸けなさいまし。」
「大人《おとな》しいね。感心、」と頭を撫《な》でる手つきをして、
「どれ、其《それ》では、」楊枝を棄《す》てると、やつとこさ、と立ち上つた。
 お辻が膳《ぜん》を下げる内に、母親は次の仏間《ぶつま》で着換《きか》へる様子、其処《そこ》に箪笥《たんす》やら、鏡台やら。
 最一《もひと》ツ六畳が別に戸外《おもて》に向いて居て、明取《あかりとり》が皆《みんな》で三|間《げん》なり。
 母親はやがて、繻子《しゅす》の帯を、前結びにして、風呂敷包《ふろしきづつみ》を持つて顕《あらわ》れた。お辻の大柄な背のすらりとしたのとは違ひ、丈《たけ》も至つて低く、顔容《かおかたち》も小造《こづくり》な人で、髪も小さく結《ゆ》つて居た。
「それでは、お辻や。」
「あい、」と、がちや/\いはせて居た、彼方《かなた》の勝手で返事をし、襷《たすき》がけのまゝ、駆けて来て、
「気をつけて行らつしやいましよ。」
「坊《ぼっ》ちやん、緩《ゆっく》り遊んでやつて下さい。直ぐ寝つちまつちやあ不可《いけ》ませんよ、何《ど》うも御苦労様なことツたら、」
 とあとは独言《ひとりごと》、框《かまち》に腰をかけて、足を突出《つき
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