のである、俊徳丸《しゅんとくまる》の物語のつゞき、それから手拭《てぬぐい》を藪《やぶ》へ引いて行つた、踊《おどり》をする三《さん》といふ猫の話、それもこれも寝てからといふのであつたに、詰《つま》らない、寂《さび》しい、心細い、私は帰らうと思つた。丁《ちょう》ど其時《そのとき》、どんと戸を引いて、かたりと鎖《じょう》をさした我家《わがや》の響《ひびき》。
 胸が轟《とどろ》いて掻巻《かいまき》の中で足をばた/\したが、堪《たま》らなくツて、くるりとはらばひになつた。目を開《あ》いて耳を澄《すま》すと、物音は聞えないで、却《かえっ》て戸外《おもて》なる町が歴然《ありあり》と胸に描かれた、暗《やみ》である。駆けて出て我家《わがや》の門《かど》へ飛着《とびつ》いて、と思ふに、夜《よ》も恁《こ》う更《ふ》けて、他人《ひと》の家からは勝手が分らず、考ふれば、毎夜|寐《ね》つきに聞く職人が湯から帰る跫音《あしおと》も、向うと此方《こちら》、音にも裏表《うらおもて》があるか、様子も違つて居た。世界が変つたほど情《なさけ》なくなつて、枕頭《まくらもと》に下《おろ》した戸外《おもて》から隔ての蔀《しとみ》が、厚さ十万里を以て我を囲ふが如く、身動きも出来ないやうに覚えたから、これで殺されるのか知らと涙ぐんだのである。
 ものの懸念さに、母様《おっかさん》をはじめ、重吉《じゅうきち》も、嘉蔵《かぞう》も呼立《よびた》てる声も揚げられず、呼吸《いき》さへ高くしてはならない気がした。
 密《そっ》と見れば、お辻はすや/\と糸が揺れるやうに幽《かすか》な寐息《ねいき》。
 これも何者かに命ぜられて然《し》かく寐《ね》入つて居るらしい、起してはならないやうに思はれ、アヽ復《また》横になつて、足を屈《かが》めて、目を塞《ふさ》いだ。
 けれども今しがた、お辻が(恐《おそろ》しい人だこと、)といつた時、其の顔色とともに灯《あかし》が恐しく暗くなつたが、消えはしないだらうかと、いきなり電《いなびかり》でもするかの如く、恐る/\目をあけて見ると、最《も》う真暗《まっくら》、灯《あかり》はいつの間《ま》にか消えて居る。
 はツと驚いて我ながら、自分の膚《はだ》に手を触れて、心臓《むね》をしつかと圧《おさ》へた折から、芬々《ぷんぷん》として薫《にお》つたのは、橘《たちばな》の音信《おとずれ》か、あらず、仏壇の
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