三尺角
泉鏡花

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)山《やま》には

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)丈《たけ》四|間半《けんはん》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「火+發」、692−5]《ぱつ》と

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)えい/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
−−

        一

「…………」
 山《やま》には木樵唄《きこりうた》、水《みづ》には船唄《ふなうた》、驛路《うまやぢ》には馬子《まご》の唄《うた》、渠等《かれら》はこれを以《もつ》て心《こゝろ》を慰《なぐさ》め、勞《らう》を休《やす》め、我《おの》が身《み》を忘《わす》れて屈託《くつたく》なく其《その》業《げふ》に服《ふく》するので、恰《あたか》も時計《とけい》が動《うご》く毎《ごと》にセコンドが鳴《な》るやうなものであらう。また其《それ》がために勢《いきほひ》を増《ま》し、力《ちから》を得《う》ることは、戰《たゝかひ》に鯨波《とき》を擧《あ》げるに齊《ひと》しい、曳々《えい/\》!と一齊《いつせい》に聲《こゑ》を合《あ》はせるトタンに、故郷《ふるさと》も、妻子《つまこ》も、死《し》も、時間《じかん》も、慾《よく》も、未練《みれん》も忘《わす》れるのである。
 同《おな》じ道理《だうり》で、坂《さか》は照《て》る/\鈴鹿《すゞか》は曇《くも》る=といひ、袷《あはせ》遣《や》りたや足袋《たび》添《そ》へて=と唱《とな》へる場合《ばあひ》には、いづれも疲《つかれ》を休《やす》めるのである、無益《むえき》なものおもひを消《け》すのである、寧《むし》ろ苦勞《くらう》を紛《まぎ》らさうとするのである、憂《うさ》を散《さん》じよう、戀《こひ》を忘《わす》れよう、泣音《なくね》を忍《しの》ばうとするのである。
 それだから追分《おひわけ》が何時《いつ》でもあはれに感《かん》じらるゝ。つまる處《ところ》、卑怯《ひけふ》な、臆病《おくびやう》な老人《らうじん》が念佛《ねんぶつ》を唱《とな》へるのと大差《たいさ》はないので、語《ご》を換《か》へて言《い》へば、不殘《のこらず》、節《ふし》をつけた不平《ふへい》の獨言《つぶやき》である。
 船頭《せんどう》、馬方《うまかた》、木樵《きこり》、機業場《はたおりば》の女工《ぢよこう》など、あるが中《なか》に、此《こ》の木挽《こびき》は唄《うた》を謠《うた》はなかつた。其《そ》の木挽《こびき》の與吉《よきち》は、朝《あさ》から晩《ばん》まで、同《おな》じことをして木《き》を挽《ひ》いて居《ゐ》る、默《だま》つて大鋸《おほのこぎり》を以《もつ》て巨材《きよざい》の許《もと》に跪《ひざまづ》いて、そして仰《あふ》いで禮拜《らいはい》する如《ごと》く、上《うへ》から挽《ひ》きおろし、挽《ひ》きおろす。此《この》度《たび》のは、一昨日《をとゝひ》の朝《あさ》から懸《かゝ》つた仕事《しごと》で、ハヤ其《その》半《なかば》を挽《ひ》いた。丈《たけ》四|間半《けんはん》、小口《こぐち》三|尺《じやく》まはり四角《しかく》な樟《くすのき》を眞二《まつぷた》つに割《わ》らうとするので、與吉《よきち》は十七の小腕《こうで》だけれども、此《この》業《わざ》には長《た》けて居《ゐ》た。
 目鼻立《めはなだち》の愛《あい》くるしい、罪《つみ》の無《な》い丸顏《まるがほ》、五分刈《ごぶがり》に向顱卷《むかうはちまき》、三尺帶《さんじやくおび》を前《まへ》で結《むす》んで、南《なん》の字《じ》を大《おほき》く染拔《そめぬ》いた半被《はつぴ》を着《き》て居《ゐ》る、これは此處《こゝ》の大家《たいけ》の仕着《しきせ》で、挽《ひ》いてる樟《くすのき》も其《そ》の持分《もちぶん》。
 未《ま》だ暑《あつ》いから股引《もゝひき》は穿《は》かず、跣足《はだし》で木屑《きくづ》の中《なか》についた膝《ひざ》、股《もゝ》、胸《むね》のあたりは色《いろ》が白《しろ》い。大柄《おほがら》だけれども肥《ふと》つては居《を》らぬ、ならば袴《はかま》でも穿《は》かして見《み》たい。與吉《よきち》が身體《からだ》を入《い》れようといふ家《いへ》は、直《すぐ》間近《まぢか》で、一|町《ちやう》ばかり行《ゆ》くと、袂《たもと》に一|本《ぽん》暴風雨《あらし》で根返《ねがへ》して横樣《よこざま》になつたまゝ、半《なか》ば枯《か》れて、半《なか》ば青々《あを/\》とした、あはれな銀杏《いてふ》の矮樹《わいじゆ》がある、橋《はし》が一個《ひとつ》。其《そ》の澁色《しぶいろ》の橋《はし》を渡《わた》ると、岸《きし》から板《いた》を渡《わた》した船《ふね》がある、板《いた》を渡《わた》つて、苫《とま》の中《なか》へ出入《でいり》をするので、此《この》船《ふね》が與吉《よきち》の住居《すまひ》。で干潮《かんてう》の時《とき》は見《み》るも哀《あはれ》で、宛然《さながら》洪水《でみづ》のあとの如《ごと》く、何時《いつ》棄《す》てた世帶道具《しよたいだうぐ》やら、缺擂鉢《かけすりばち》が黒《くろ》く沈《しづ》むで、蓬《おどろ》のやうな水草《みづくさ》は波《なみ》の隨意《まに/\》靡《なび》いて居《ゐ》る。この水草《みづくさ》はまた年《とし》久《ひさ》しく、船《ふね》の底《そこ》、舷《ふなばた》に搦《から》み附《つ》いて、恰《あたか》も巖《いはほ》に苔蒸《こけむ》したかのやう、與吉《よきち》の家《いへ》をしつかりと結《ゆは》へて放《はな》しさうにもしないが、大川《おほかは》から汐《しほ》がさして來《く》れば、岸《きし》に茂《しげ》つた柳《やなぎ》の枝《えだ》が水《みづ》に潛《くゞ》り、泥《どろ》だらけな笹《さゝ》の葉《は》がぴた/\と洗《あら》はれて、底《そこ》が見《み》えなくなり、水草《みづくさ》の隱《かく》れるに從《したが》うて、船《ふね》が浮上《うきあが》ると、堤防《ていばう》の遠方《をちかた》にすく/\立《た》つて白《しろ》い煙《けむり》を吐《は》く此處彼處《こゝかしこ》の富家《ふか》の煙突《えんとつ》が低《ひく》くなつて、水底《みづそこ》の其《そ》の缺擂鉢《かけすりばち》、塵芥《ちりあくた》、襤褸切《ぼろぎれ》、釘《くぎ》の折《をれ》などは不殘《のこらず》形《かたち》を消《け》して、蒼《あを》い潮《しほ》を滿々《まん/\》と湛《たゝ》へた溜池《ためいけ》の小波《さゝなみ》の上《うへ》なる家《いへ》は、掃除《さうぢ》をするでもなしに美《うつく》しい。
 爾時《そのとき》は船《ふね》から陸《りく》へ渡《わた》した板《いた》が眞直《まつすぐ》になる。これを渡《わた》つて、今朝《けさ》は殆《ほとん》ど滿潮《まんてう》だつたから、與吉《よきち》は柳《やなぎ》の中《なか》で※[#「火+發」、692−5]《ぱつ》と旭《あさひ》がさす、黄金《こがね》のやうな光線《くわうせん》に、其《その》罪《つみ》のない顏《かほ》を照《て》らされて仕事《しごと》に出《で》た。

        二

 其《それ》から日《ひ》一|日《にち》おなじことをして働《はたら》いて、黄昏《たそがれ》かゝると日《ひ》が舂《うすづ》き、柳《やなぎ》の葉《は》が力《ちから》なく低《た》れて水《みづ》が暗《くら》うなると汐《しほ》が退《ひ》く、船《ふね》が沈《しづ》むで、板《いた》が斜《なゝ》めになるのを渡《わた》つて家《いへ》に歸《かへ》るので。
 留守《るす》には、年寄《としよ》つた腰《こし》の立《た》たない與吉《よきち》の爺々《ちやん》が一人《ひとり》で寢《ね》て居《ゐ》るが、老後《らうご》の病《やまひ》で次第《しだい》に弱《よわ》るのであるから、急《きふ》に容體《ようだい》の變《かは》るといふ憂慮《きづかひ》はないけれども、與吉《よきち》は雇《やと》はれ先《さき》で晝飯《ひるめし》をまかなはれては、小休《こやすみ》の間《あひだ》に毎日《まいにち》一|度《ど》づつ、見舞《みまひ》に歸《かへ》るのが例《れい》であつた。
「ぢやあ行《い》つて來《く》るぜ、父爺《ちやん》。」
 與平《よへい》といふ親仁《おやぢ》は、涅槃《ねはん》に入《い》つたやうな形《かたち》で、胴《どう》の間《ま》に寢《ね》ながら、佛造《ほとけづく》つた額《ひたひ》を上《あ》げて、汗《あせ》だらけだけれども目《め》の涼《すゞ》しい、息子《せがれ》が地藏眉《ぢざうまゆ》の、愛《あい》くるしい、若《わか》い顏《かほ》を見《み》て、嬉《うれ》しさうに頷《うなづ》いて、
「晩《ばん》にや又《また》柳屋《やなぎや》の豆腐《とうふ》にしてくんねえよ。」
「あい、」といつて苫《とま》を潛《くゞ》つて這《は》ふやうにして船《ふね》から出《で》た、與吉《よきち》はづツと立《た》つて板《いた》を渡《わた》つた。向《むか》うて筋違《すぢつかひ》、角《かど》から二|軒目《けんめ》に小《ちひ》さな柳《やなぎ》の樹《き》が一|本《ぽん》、其《そ》の低《ひく》い枝《えだ》のしなやかに垂《た》れた葉隱《はがく》れに、一|間口《けんぐち》二|枚《まい》の腰障子《こししやうじ》があつて、一|枚《まい》には假名《かな》、一|枚《まい》には眞名《まな》で豆腐《とうふ》と書《か》いてある。柳《やなぎ》の葉《は》の翠《みどり》を透《す》かして、障子《しやうじ》の紙《かみ》は新《あた》らしく白《しろ》いが、秋《あき》が近《ちか》いから、破《やぶ》れて煤《すゝ》けたのを貼替《はりか》へたので、新規《しんき》に出來《でき》た店《みせ》ではない。柳屋《やなぎや》は土地《とち》で老鋪《しにせ》だけれども、手廣《てびろ》く商《あきなひ》をするのではなく、八九十|軒《けん》もあらう百|軒《けん》足《た》らずの此《こ》の部落《ぶらく》だけを花主《とくい》にして、今代《こんだい》は喜藏《きざう》といふ若《わか》い亭主《ていしゆ》が、自分《じぶん》で賣《う》りに※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]《まは》るばかりであるから、商《あきなひ》に出《で》た留守《るす》の、晝過《ひるすぎ》は森《しん》として、柳《やなぎ》の蔭《かげ》に腰障子《こししやうじ》が閉《し》まつて居《ゐ》る、樹《き》の下《した》、店《みせ》の前《まへ》から入口《いりくち》へ懸《か》けて、地《ぢ》の窪《くぼ》むだ、泥濘《ぬかるみ》を埋《う》めるため、一面《いちめん》に貝殼《かひがら》が敷《し》いてある、白《しろ》いの、半分《はんぶん》黒《くろ》いの、薄紅《うすべに》、赤《あか》いのも交《まじ》つて堆《うづたか》い。
 隣屋《となり》は此《この》邊《へん》に棟《むね》を並《なら》ぶる木屋《きや》の大家《たいけ》で、軒《のき》、廂《ひさし》、屋根《やね》の上《うへ》まで、犇《ひし》と木材《もくざい》を積揃《つみそろ》へた、眞中《まんなか》を分《わ》けて、空高《そらだか》い長方形《ちやうはうけい》の透間《すきま》から凡《およ》そ三十|疊《でふ》も敷《し》けようといふ店《みせ》の片端《かたはし》が見《み》える、其《そ》の木材《もくざい》の蔭《かげ》になつて、日《ひ》の光《ひかり》もあからさまには射《さ》さず、薄暗《うすぐら》い、冷々《ひや/\》とした店前《みせさき》に、帳場格子《ちやうばがうし》を控《ひか》へて、年配《ねんぱい》の番頭《ばんとう》が唯《たゞ》一人《ひとり》帳合《ちやうあひ》をしてゐる。これが角屋敷《かどやしき》で、折曲《をれまが》ると灰色《はひいろ》をした道《みち》が一筋《ひとすぢ》、電柱《でんちう》の著《いちじる》しく傾《かたむ》いたのが、前《まへ》と後《うしろ》へ、別々《べつ/\》に頭《かしら》を掉《ふ》つて奧深《おくぶか》う立《た》つて居《ゐ》る、鋼線《はりがね》が又《また》半《なか》だるみをして、廂《ひさし》よりも低《
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