ひく》い處《ところ》を、弱々《よわ/\》と、斜《なゝ》めに、さも/\衰《おとろ》へた形《かたち》で、永代《えいたい》の方《はう》から長《なが》く續《つゞ》いて居《ゐ》るが、圖《づ》に描《か》いて線《せん》を引《ひ》くと、文明《ぶんめい》の程度《ていど》が段々《だん/\》此方《こつち》へ來《く》るに從《したが》うて、屋根越《やねごし》に鈍《にぶ》ることが分《わか》るであらう。
 單《たん》に電柱《でんちう》ばかりでない、鋼線《はりがね》ばかりでなく、橋《はし》の袂《たもと》の銀杏《いてふ》の樹《き》も、岸《きし》の柳《やなぎ》も、豆腐屋《とうふや》の軒《のき》も、角家《かどや》の塀《へい》も、それ等《ら》に限《かぎ》らず、あたりに見《み》ゆるものは、門《もん》の柱《はしら》も、石垣《いしがき》も、皆《みな》傾《かたむ》いて居《ゐ》る、傾《かたむ》いて居《ゐ》る、傾《かたむ》いて居《ゐ》るが盡《こと/″\》く一樣《いちやう》な向《むき》にではなく、或《ある》ものは南《みなみ》の方《はう》へ、或《ある》ものは北《きた》の方《はう》へ、また西《にし》の方《はう》へ、東《ひがし》の方《はう》へ、てん/″\ばら/\になつて、此《この》風《かぜ》のない、天《そら》の晴《は》れた、曇《くもり》のない、水面《すゐめん》のそよ/\とした、靜《しづ》かな、穩《おだや》かな日中《ひなか》に處《しよ》して、猶且《なほか》つ暴風《ばうふう》に揉《も》まれ、搖《ゆ》らるゝ、其《そ》の瞬間《しゆんかん》の趣《おもむき》あり。ものの色《いろ》もすべて褪《あ》せて、其《その》灰色《はひいろ》に鼠《ねずみ》をさした濕地《しつち》も、草《くさ》も、樹《き》も、一|部落《ぶらく》を蔽包《おほひつゝ》むだ夥多《おびたゞ》しい材木《ざいもく》も、材木《ざいもく》の中《なか》を見《み》え透《す》く溜池《ためいけ》の水《みづ》の色《いろ》も、一切《いつさい》、喪服《もふく》を着《つ》けたやうで、果敢《はか》なく哀《あはれ》である。

        三

 界隈《かいわい》の景色《けしき》がそんなに沈鬱《ちんうつ》で、濕々《じめ/\》として居《ゐ》るに從《したが》うて、住《す》む者《もの》もまた高聲《たかごゑ》ではものをいはない。歩行《あるく》にも内端《うちわ》で、俯向《うつむ》き勝《がち》で、豆腐屋《とうふや》も、八百屋《やほや》も默《だま》つて通《とほ》る。風俗《ふうぞく》も派手《はで》でない、女《をんな》の好《このみ》も濃厚《のうこう》ではない、髮《かみ》の飾《かざり》も赤《あか》いものは少《すく》なく、皆《みな》心《こゝろ》するともなく、風土《ふうど》の喪《も》に服《ふく》して居《ゐ》るのであらう。
 元來《ぐわんらい》岸《きし》の柳《やなぎ》の根《ね》は、家々《いへ/\》の根太《ねだ》よりも高《たか》いのであるから、破風《はふ》の上《うへ》で、切々《きれ/″\》に、蛙《かはづ》が鳴《な》くのも、欄干《らんかん》の壞《くづ》れた、板《いた》のはなれ/″\な、杭《くひ》の拔《ぬ》けた三角形《さんかくけい》の橋《はし》の上《うへ》に蘆《あし》が茂《しげ》つて、蟲《むし》がすだくのも、船蟲《ふなむし》が群《むら》がつて往來《わうらい》を驅《か》けまはるのも、工場《こうぢやう》の煙突《えんとつ》の烟《けむり》が遙《はる》かに見《み》えるのも、洲崎《すさき》へ通《かよ》ふ車《くるま》の音《おと》がかたまつて響《ひゞ》くのも、二日《ふつか》おき三日《みつか》置《お》きに思出《おもひだ》したやうに巡査《じゆんさ》が入《はひ》るのも、けたゝましく郵便脚夫《いうびんきやくふ》が走込《はしりこ》むのも、烏《からす》が鳴《な》くのも、皆《みな》何《なん》となく土地《とち》の末路《まつろ》を示《しめ》す、滅亡《めつばう》の兆《てう》であるらしい。
 けれども、滅《ほろ》びるといつて、敢《あへ》て此《こ》の部落《ぶらく》が無《な》くなるといふ意味《いみ》ではない、衰《おとろ》へるといふ意味《いみ》ではない、人《ひと》と家《いへ》とは榮《さか》えるので、進歩《しんぽ》するので、繁昌《はんじやう》するので、やがて其《その》電柱《でんちう》は眞直《まつすぐ》になり、鋼線《はりがね》は張《はり》を持《も》ち、橋《はし》がペンキ塗《ぬり》になつて、黒塀《くろべい》が煉瓦《れんぐわ》に換《かは》ると、蛙《かはづ》、船蟲《ふなむし》、そんなものは、不殘《のこらず》石灰《いしばひ》で殺《ころ》されよう。即《すなは》ち人《ひと》と家《いへ》とは、榮《さか》えるので、恁《かゝ》る景色《けしき》の俤《おもかげ》がなくならうとする、其《そ》の末路《まつろ》を示《しめ》して、滅亡《めつばう》の兆《てう》を表《あら》はすので、詮《せん》ずるに、蛇《へび》は進《すゝ》んで衣《ころも》を脱《ぬ》ぎ、蝉《せみ》は榮《さか》えて殼《から》を棄《す》てる、人《ひと》と家《いへ》とが、皆《みな》他《た》の光榮《くわうえい》あり、便利《べんり》あり、利益《りえき》ある方面《はうめん》に向《むか》つて脱出《ぬけだ》した跡《あと》には、此《この》地《ち》のかゝる俤《おもかげ》が、空蝉《うつせみ》になり脱殼《ぬけがら》になつて了《しま》ふのである。
 敢《あへ》て未來《みらい》のことはいはず、現在《げんざい》既《すで》に其《そ》の姿《すがた》になつて居《ゐ》るのではないか、脱《ぬ》け出《だ》した或者《あるもの》は、鳴《な》き、且《か》つ飛《と》び、或者《あるもの》は、走《はし》り、且《か》つ食《くら》ふ、けれども衣《きぬ》を脱《ぬ》いで出《で》た蛇《へび》は、殘《のこ》した殼《から》より、必《かなら》ずしも美《うつく》しいものとはいはれない。
 あゝ、まぼろしのなつかしい、空蝉《うつせみ》のかやうな風土《ふうど》は、却《かへ》つてうつくしいものを産《さん》するのか、柳屋《やなぎや》に艶麗《あでやか》な姿《すがた》が見《み》える。
 與吉《よきち》は父親《ちゝおや》に命《めい》ぜられて、心《こゝろ》に留《と》めて出《で》たから、岸《きし》に上《あが》ると、思《おも》ふともなしに豆腐屋《とうふや》に目《め》を注《そゝ》いだ。
 柳屋《やなぎや》は淺間《あさま》な住居《すまひ》、上框《あがりがまち》を背後《うしろ》にして、見通《みとほし》の四疊半《よでふはん》の片端《かたはし》に、隣家《となり》で帳合《ちやうあひ》をする番頭《ばんとう》と同一《おなじ》あたりの、柱《はしら》に凭《もた》れ、袖《そで》をば胸《むね》のあたりで引《ひ》き合《あ》はせて、浴衣《ゆかた》の袂《たもと》を折返《をりかへ》して、寢床《ねどこ》の上《うへ》に坐《すわ》つた膝《ひざ》に掻卷《かいまき》を懸《か》けて居《ゐ》る。背《うしろ》には綿《わた》の厚《あつ》い、ふつくりした、竪縞《たてじま》のちやん/\を着《き》た、鬱金木綿《うこんもめん》の裏《うら》が見《み》えて襟脚《えりあし》が雪《ゆき》のやう、艶氣《つやけ》のない、赤熊《しやぐま》のやうな、ばさ/\した、餘《あま》るほどあるのを天神《てんじん》に結《ゆ》つて、淺黄《あさぎ》の角絞《つのしぼり》の手絡《てがら》を弛《ゆる》う大《おほ》きくかけたが、病氣《びやうき》であらう、弱々《よわ/\》とした後姿《うしろすがた》。
 見透《みとほし》の裏《うら》は小庭《こには》もなく、すぐ隣屋《となり》の物置《ものおき》で、此處《こゝ》にも犇々《ひし/\》と材木《ざいもく》が建重《たてかさ》ねてあるから、薄暗《うすぐら》い中《なか》に、鮮麗《あざやか》な其《その》淺黄《あさぎ》の手絡《てがら》と片頬《かたほ》の白《しろ》いのとが、拭込《ふきこ》むだ柱《はしら》に映《うつ》つて、ト見《み》ると露草《つゆぐさ》が咲《さ》いたやうで、果敢《はか》なくも綺麗《きれい》である。
 與吉《よきち》はよくも見《み》ず、通《とほ》りがかりに、
「今日《こんにち》は、」と、聲《こゑ》を掛《か》けたが、フト引戻《ひきもど》さるゝやうにして覗《のぞ》いて見《み》た、心着《こゝろづ》くと、自分《じぶん》が挨拶《あいさつ》したつもりの婦人《をんな》はこの人《ひと》ではない。

        四

「居《ゐ》ない。」と呟《つぶや》くが如《ごと》くにいつて、其《その》まゝ通拔《とほりぬ》けようとする。
 ト日《ひ》があたつて暖《あた》たかさうな、明《あかる》い腰障子《こししやうじ》の内《うち》に、前刻《さつき》から靜《しづ》かに水《みづ》を掻※[#「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11]《かきまは》す氣勢《けはひ》がして居《ゐ》たが、ばつたりといつて、下駄《げた》の音《おと》。
「與吉《よきち》さん、仕事《しごと》にかい。」
 と婀娜《あだ》たる聲《こゑ》、障子《しやうじ》を開《あ》けて顏《かほ》を出《だ》した、水色《みづいろ》の唐縮緬《たうちりめん》を引裂《ひつさ》いたまゝの襷《たすき》、玉《たま》のやうな腕《かひな》もあらはに、蜘蛛《くも》の圍《ゐ》を絞《しぼ》つた浴衣《ゆかた》、帶《おび》は占《し》めず、細紐《ほそひも》の態《なり》で裾《すそ》を端折《はしよ》つて、布《ぬの》の純白《じゆんぱく》なのを、短《みじ》かく脛《はぎ》に掛《か》けて甲斐々々《かひ/″\》しい。
 齒《は》を染《そ》めた、面長《おもなが》の、目鼻立《めはなだち》はつきりとした、眉《まゆ》は落《おと》さぬ、束《たば》ね髮《がみ》の中年増《ちうどしま》、喜藏《きざう》の女房《にようばう》で、お品《しな》といふ。
 濡《ぬ》れた手《て》を間近《まぢか》な柳《やなぎ》の幹《みき》にかけて半身《はんしん》を出《だ》した、お品《しな》は與吉《よきち》を見《み》て微笑《ほゝゑ》むだ。
 土間《どま》は一面《いちめん》の日《ひ》あたりで、盤臺《はんだい》、桶《をけ》、布巾《ふきん》など、ありつたけのもの皆《みな》濡《ぬ》れたのに、薄《うす》く陽炎《かげろふ》のやうなのが立籠《たちこ》めて、豆腐《とうふ》がどんよりとして沈《しづ》んだ、新木《あらき》の大桶《おほをけ》の水《みづ》の色《いろ》は、薄《うす》ら蒼《あを》く、柳《やなぎ》の影《かげ》が映《うつ》つて居《ゐ》る。
「晩方《ばんがた》又《また》來《く》るんだ。」
 お品《しな》は莞爾《につこり》しながら、
「難有《ありがた》う存《ぞん》じます、」故《わざ》と慇懃《いんぎん》にいつた。
 つか/\と行懸《ゆきか》けた與吉《よきち》は、これを聞《き》くと、あまり自分《じぶん》の素氣《そつけ》なかつたのに氣《き》がついたか、小戻《こもど》りして眞顏《まがほ》で、眼《め》を一《ひと》ツ瞬《しばだた》いて、
「えゝ、毎度《まいど》難有《ありがた》う存《ぞん》じます。」と、罪《つみ》のない口《くち》の利《き》きやうである。
「ほゝゝ、何《なに》をいつてるのさ。」
「何《なに》がよ。」
「だつてお前樣《まへさん》はお客樣《きやくさま》ぢやあないかね、お客樣《きやくさま》なら私《わたし》ン處《ところ》の旦那《だんな》だね、ですから、あの、毎度《まいど》難有《ありがた》う存《ぞん》じます。」と柳《やなぎ》に手《て》を縋《すが》つて半身《はんしん》を伸出《のびで》たまゝ、胸《むね》と顏《かほ》を斜《なゝ》めにして、與吉《よきち》の顏《かほ》を差覗《さしのぞ》く。
 與吉《よきち》は極《きまり》の惡《わる》さうな趣《おもむき》で、
「お客樣《きやくさま》だつて、あの、私《わたし》は木挽《こびき》の小僧《こぞう》だもの。」
 と手眞似《てまね》で見《み》せた、與吉《よきち》は兩手《りやうて》を突出《つきだ》してぐつと引《ひ》いた。
「かうやつて、かう挽《ひ》いてるんだぜ、木挽《こびき》の小僧《こぞう》だぜ。お前樣《まへさん》はおかみさんだらう、柳屋《やなぎや》のおかみさんぢやねえか、それ見《み》ねえ、此方《こつち》でお辭儀《じぎ》をしなけりやな
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