つて、肱《ひぢ》を張《は》つて長々《なが/\》と伸《の》び、一人《ひとり》は横《よこ》ざまに手枕《てまくら》して股引《もゝひき》穿《は》いた脚《あし》を屈《かゞ》めて、天窓《あたま》をくツつけ合《あ》つて大工《だいく》が寢《ね》そべつて居《ゐ》る。普請小屋《ふしんごや》と、花崗石《みかげいし》の門柱《もんばしら》を並《なら》べて扉《とびら》が左右《さいう》に開《ひら》いて居《ゐ》る、門《もん》の内《うち》の横手《よこて》の格子《かうし》の前《まへ》に、萌黄《もえぎ》に塗《ぬ》つた中《なか》に南《みなみ》と白《しろ》で拔《ぬ》いたポンプが据《すわ》つて、其《その》縁《ふち》に釣棹《つりざを》と畚《ふご》とがぶらりと懸《かゝ》つて居《ゐ》る、眞《まこと》にもの靜《しづ》かな、大家《たいけ》の店前《みせさき》に人《ひと》の氣勢《けはひ》もない。裏庭《うらには》とおもふあたり、遙《はる》か奧《おく》の方《かた》には、葉《は》のやゝ枯《か》れかゝつた葡萄棚《ぶだうだな》が、影《かげ》を倒《さかしま》にうつして、此處《こゝ》もおなじ溜池《ためいけ》で、門《もん》のあたりから間近《まぢか》な橋《はし》へかけて、透間《すきま》もなく亂杭《らんぐひ》を打《う》つて、數限《かずかぎり》もない材木《ざいもく》を水《みづ》のまゝに浸《ひた》してあるが、彼處《かしこ》へ五|本《ほん》、此處《こゝ》へ六|本《ぽん》、流寄《ながれよ》つた形《かたち》が判《はん》で印《お》した如《ごと》く、皆《みな》三方《さんぱう》から三《みつ》ツに固《かたま》つて、水《みづ》を三角形《さんかくけい》に區切《くぎ》つた、あたりは廣《ひろ》く、一面《いちめん》に早苗田《さなへだ》のやうである。この上《うへ》を、時々《とき/″\》ばら/\と雀《すゞめ》が低《ひく》う。

        九

 其《その》他《た》に此處《こゝ》で動《うご》いてるものは與吉《よきち》が鋸《のこぎり》に過《す》ぎなかつた。
 餘《あま》り靜《しづ》かだから、しばらくして、又《また》しばらくして、樟《くすのき》を挽《ひ》く毎《ごと》にぼろ/\と落《お》つる木屑《きくづ》が判然《はつきり》聞《きこ》える。
(父親《ちやん》は何故《なぜ》魚《さかな》を食《た》べないのだらう、)とおもひながら膝《ひざ》をついて、伸上《のびあが》つて、鋸《のこぎり》を手元《てもと》に引《ひ》いた。木屑《きくづ》は極《きは》めて細《こま》かく、極《きは》めて輕《かる》く、材木《ざいもく》の一處《ひとところ》から湧《わ》くやうになつて、肩《かた》にも胸《むね》にも膝《ひざ》の上《うへ》にも降《ふ》りかゝる。トタンに向《むか》うざまに突出《つきだ》して腰《こし》を浮《う》かした、鋸《のこぎり》の音《おと》につれて、又《また》時雨《しぐれ》のやうな微《かすか》な響《ひゞき》が、寂寞《せきばく》とした巨材《きよざい》の一方《いつぱう》から聞《きこ》えた。
 柄《え》を握《にぎ》つて、挽《ひ》きおろして、與吉《よきち》は呼吸《いき》をついた。
(左樣《さう》だ、魚《さかな》の死骸《しがい》だ、そして骨《ほね》が頭《あたま》に繋《つな》がつたまゝ、皿《さら》の中《なか》に殘《のこ》るのだ、)
 と思《おも》ひながら、絶《た》えず拍子《ひやうし》にかゝつて、伸縮《のびちゞみ》に身體《からだ》の調子《てうし》を取《と》つて、手《て》を働《はたら》かす、鋸《のこぎり》が上下《じやうげ》して、木屑《きくづ》がまた溢《こぼ》れて來《く》る。
(何故《なぜ》だらう、これは鋸《のこぎり》で挽《ひ》く所爲《せゐ》だ、)と考《かんが》へて、柳《やなぎ》の葉《は》が痛《いた》むといつたお品《しな》の言《ことば》が胸《むね》に浮《うか》ぶと、又《また》木屑《きくづ》が胸《むね》にかゝつた。
 與吉《よきち》は薄暗《うすぐら》い中《なか》に居《ゐ》る、材木《ざいもく》と、材木《ざいもく》を積上《つみあ》げた周圍《しうゐ》は、杉《すぎ》の香《か》、松《まつ》の匂《にほひ》に包《つゝ》まれた穴《あな》の底《そこ》で、目《め》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つて、跪《ひざまづ》いて、鋸《のこぎり》を握《にぎ》つて、空《そら》ざまに仰《あふ》いで見《み》た。
 樟《くすのき》の材木《ざいもく》は斜《なゝ》めに立《た》つて、屋根裏《やねうら》を漏《も》れてちら/\する日光《につくわう》に映《うつ》つて、言《い》ふべからざる森嚴《しんげん》な趣《おもむき》がある。この見上《みあ》ぐるばかりな、これほどの丈《たけ》のある樹《き》はこの邊《あたり》でつひぞ見《み》た事《こと》はない、橋《はし》の袂《たもと》の銀杏《いてふ》は固《もと》より、岸《きし》の柳《や
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