繰《あやつ》つて、畫《ゑ》の如《ごと》く漕《こ》いで來《く》る、筏《いかだ》は恰《あたか》も人《ひと》を乘《の》せて、油《あぶら》の上《うへ》を辷《すべ》るやう。
 する/\と向《むか》うへ流《なが》れて、横《よこ》ざまに近《ちか》づいた、細《ほそ》い黒《くろ》い毛脛《けずね》を掠《かす》めて、蒼《あを》い水《みづ》の上《うへ》を鴎《かもめ》が弓形《ゆみなり》に大《おほ》きく鮮《あざや》かに飛《と》んだ。

        十

「與太坊《よたばう》、父爺《ちやん》は何事《なにごと》もねえよ。」と、池《いけ》の眞中《まんなか》から聲《こゑ》を懸《か》けて、おやぢは小屋《こや》の中《なか》を覗《のぞ》かうともせず、爪《つま》さきは小波《さゝなみ》を浴《あ》ぶるばかり沈《しづ》むだ筏《いかだ》を棹《さを》さして、此《この》時《とき》また中空《なかぞら》から白《しろ》い翼《つばさ》を飜《ひるがへ》して、ひら/\と落《おと》して來《き》て、水《みづ》に姿《すがた》を宿《やど》したと思《おも》ふと、向《むか》うへ飛《と》んで、鴎《かもめ》の去《さ》つた方《かた》へ、すら/\と流《なが》して行《ゆ》く。
 これは彌六《やろく》といつて、與吉《よきち》の父翁《ちゝおや》が年來《ねんらい》の友達《ともだち》で、孝行《かうかう》な兒《こ》が仕事《しごと》をしながら、病人《びやうにん》を案《あん》じて居《ゐ》るのを知《し》つて居《ゐ》るから、例《れい》として毎日《まいにち》今時分《いまじぶん》通《とほ》りがかりに其《その》消息《せうそく》を傳《つた》へるのである。與吉《よきち》は安堵《あんど》して又《また》仕事《しごと》にかゝつた。
(父親《ちやん》は何事《なにごと》もないが、何故《なぜ》魚《さかな》を喰《た》べないのだらう。左樣《さう》だ、刺身《さしみ》は一|寸《すん》だめしで、鱠《なます》はぶつぶつ切《ぎり》だ、魚《うを》の煮《に》たのは、食《た》べると肉《にく》がからみついたまゝ頭《あたま》に繋《つなが》つて、骨《ほね》が殘《のこ》る、彼《あ》の皿《さら》の中《なか》の死骸《しがい》に何《ど》うして箸《はし》がつけられようといつて身震《みぶるひ》をする、まつたくだ。そして魚《さかな》ばかりではない、柳《やなぎ》の葉《は》も食切《くひき》ると痛《いた》むのだ、)と思《おも》ひ/\、
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