》と気ばかり急《せ》きたがるもので、一時《いっとき》も早く如来様《にょらいさま》が拝みたさに、こんな不了簡《ふりょうけん》を起しまして。……」
「うむ、無理はないさ。」と学生は頷《うなず》きて、
「何も目が見えんからといって、船に乗られんという理窟《りくつ》はすこしもない。盲人《めくら》が船に乗るくらいは別に驚くことはないよ。僕は盲目《めくら》の船頭に邂逅《でッくわ》したことがある。」
 その友は渠《かれ》の背《そびら》に一撃《いちげき》を吃《くらわ》して、
「吹くぜ、お株《かぶ》だ!」
 学生は躍起《やっき》となりて、
「君の吹くぜもお株《かぶ》だ。実際ださ、実際僕の見た話だ。」
「へん、躄《いざり》の人力挽《じんりきひき》、唖《おし》の演説家に雀盲《とりめ》の巡査、いずれも御採用にはならんから、そう思い給え。」
「失敬な! うそだと思うなら聞き給うな。僕は単独《ひとり》で話をする。」
「単独《ひとり》で話をするとは、覚悟を極《き》めたね。その志に免じて一條《ひとくさり》聞いてやろう。その代り莨《たばこ》を一本。……」
 眼鏡|越《ごし》に学生は渠《かれ》を悪《にく》さげに見遣《みや》りて、
「その口が憎いよ。何もその代りと言わんでも、与《く》れなら与《く》れと。……」
「与《く》れ!」と渠《かれ》はその掌《てのひら》を学生の鼻頭《はなさき》に突出《つきいだ》せり。学生は直《ただち》にパイレットの函《はこ》を投付けたり。渠《かれ》はその一本を抽出《ぬきいだ》して、燐枝《マッチ》を袂《たもと》に捜《さぐ》りつつ、
「うむ、それから。」
「うむ、それからもないもんだ。」
「まあそう言わずに折角《せっかく》話したまえ。謹聴々々《きんちょうきんちょう》。」
「その謹聴《きんちょう》のきん[#「きん」に丸傍点]の字は現金のきん[#「きん」に丸傍点]の字だろう。」
「未《いま》だ詳《つまびらか》ならず。」とその友は頭《かしら》を掉《ふ》りぬ。
「それじゃその莨《たばこ》を喫《の》んで謹聴《きんちょう》し給え。
 去年の夏だ、八田潟《はったがた》ね、あすこから宇木村《うのきむら》へ渡ッて、能登《のと》の海浜《かいひん》の勝《しょう》を探《さぐ》ろうと思って、家《うち》を出たのが六月の、あれは十日……だったかな。
 渡場《わたしば》に着くと、ちょうど乗合《のりあい》が揃《そろ》ッていたので、すぐに乗込《のりこ》んだ。船頭は未だ到《い》なかッたが、所《ところ》の壮者《わかいもの》だの、娘だの、女房《かみさん》達が大勢で働いて、乗合《のりあい》に一箇《ひとつ》ずつ折《おり》をくれたと思い給え。見ると赤飯《こわめし》だ。」
「塩釜《しおがま》よりはいい。」とその友は容喙《まぜかえ》せり。
「謹聴《きんちょう》の約束じゃないか。まあ聴き給えよ。見ると赤飯《こわめし》だ。」
「おや。二個《ふたつ》貰《もら》ッたのか。だから近来《ちかごろ》はどこでも切符を出すのだ。」
 この饒舌《じょうぜつ》を懲《こら》さんとて、学生は物をも言わで拳《こぶし》を挙《あ》げぬ。
「謝《あやま》ッた謝ッた。これから真面目《まじめ》に聴く。よし、見ると赤飯《こわめし》だ。それは解《わか》ッた。」
「そこで……」
「食ったのか。」
「何を?」
「いや、よし、それから。」
「これはどういう事実だと聞くと、長年この渡《わたし》をやッていた船頭が、もう年を取ッたから、今度|息子《むすこ》に艪《ろ》を譲ッて、いよいよ隠居《いんきょ》をしようという、この日《ひ》が老船頭、一世一代《いっせいちだい》の漕納《こぎおさめ》だというんだ。面白《おもしろ》かろう。」
 渠《かれ》の友は嗤笑《せせらわら》いぬ。
「赤飯《こわめし》を貰《もら》ッたと思ってひどく面白がるぜ。」
「こりゃ怪《け》しからん! 僕が[#「怪《け》しからん! 僕が」は底本では「怪《け》しからん!僕が」]赤飯《こわめし》のために面白がるなら、君なんぞは難有《ありがた》がッていいのだ。」
「なぜなぜ。」と渠《かれ》は起回《おきかえ》れり。
「その葉巻《はまき》はどうした。」
「うむ、なるほど。面白い、面白い、面白い話だ。」
 渠《かれ》は再び横になりて謹聴《きんちょう》せり。学生は一笑《いっしょう》して後《のち》件《くだん》の譚《はなし》を続けたり。
「その祝《いわい》の赤飯《こわめし》だ。その上に船賃《ふなちん》を取らんのだ。乗合《のりあい》もそれは目出度《めでたい》と言うので、いくらか包んで与《や》る者もあり、即吟《そくぎん》で無理に一句浮べる者もありさ。まあ思《おも》い思いに祝《いわ》ッてやったと思《おも》いたまえ。」
 例の饒舌先生はまた呶々《どゝ》せり。
「君は何を祝った。」
「僕か、僕は例の敷島《しきしま》の道さ。」
「ふふふ、むしろ一つの癖《くせ》だろう。」
「何か知らんが、名歌だッたよ。」
「しかし伺《うかが》おう。何と言うのだ。」
 学生はしばらく沈思《ちんし》せり。その間に「年波《としなみ》」、「八重の潮路《しおじ》」、「渡守《わたしもり》」、「心なるらん」などの歌詞《うたことば》はきれぎれに打誦《うちずん》ぜられき。渠《かれ》はおのれの名歌を忘却《ぼうきゃく》したるなり。
「いや、名歌《めいか》はしばらく預ッておいて、本文《ほんもん》に懸《かか》ろう。そうこうしているうちに船頭が出て来た。見ると疲曳《よぼよぼ》の爺様《じいさん》さ。どうで隠居《いんきょ》をするというのだから、老者《としより》は覚悟《かくご》の前だッたが、その疲曳《よぼよぼ》が盲《めくら》なのには驚いたね。
 それがまた勘《かん》が悪いと見えて、船着《ふなつき》まで手を牽《ひか》れて来る始末だ。無途方《むてっぽう》も極《きわま》れりというべしじゃないか。これで波の上を漕《こ》ぐ気だ。皆《みんな》呆《あき》れたね。険難千方《けんのんせんばん》な話さ。けれども潟《かた》の事だから川よりは平穏だから、万一《まさか》の事もあるまい、と好事《ものずき》な連中《れんじゅう》は乗ッていたが、遁《に》げた者も四五人は有《あ》ッたよ。僕も好奇心《こうきしん》でね、話の種《たね》だと思ッたから、そのまま乗って出るとまた驚いた。
 実に見せたかッたね、その疲曳《よぼよぼ》の盲者《めくら》がいざと言《い》ッて櫓柄《ろづか》を取ると、※[#「にんべん+乞」、第3水準1−14−8]然《しゃっきり》としたものだ、まるで別人さね。なるほどこれはその道《みち》に達したものだ、と僕は想《おも》ッた。もとよりあのくらいの潟《かた》だから、誰だッて漕《こ》げるさ、けれどもね、その体度《たいど》だ、その気力《きあい》だ、猛将《もうしょう》の戦《たたかい》に臨《のぞ》んで馬上に槊《さく》を横《よこた》えたと謂ッたような、凛然《りんぜん》として奪《うば》うべからざる、いや実にその立派さ、未だに僕は忘れんね。人が難《わけ》のない事を(眠っていても出来る)と言うが、その船頭は全くそれなのだ。よく聞いて見ると、その理《はず》さ。この疲曳《よぼよぼ》の盲者《めくら》を誰《たれ》とか為《な》す! 若い時には銭屋五兵衛《ぜにやごへえ》の抱《かかえ》で、年中千五百|石積《こくづみ》を家として、荒海を漕廻《こぎまわ》していた曲者《くせもの》なのだ。新潟から直江津ね、佐渡|辺《あたり》は持場《もちば》であッたそうだ。中年《ちゅうねん》から風眼《ふうがん》を病《わず》らッて、盲《つぶ》れたんだそうだが、別に貧乏というほどでもないのに、舟を漕《こ》がんと飯《めし》が旨《うま》くないという変物《へんぶつ》で、疲曳《よぼよぼ》の盲目《めくら》で在《い》ながら、つまり洒落《しゃれ》半分に渡《わたし》をやッていたのさ。
 乗合《のりあい》に話好《はなしずき》の爺様《じいさん》が居《い》て、それが言ッたよ。上手な船頭は手先で漕《こ》ぐ。巧者《こうしゃ》なのは眼で漕《こ》ぐ。それが名人となると、肚《はら》で漕《こ》ぐッ。これは大《おお》いにそうだろう。沖で暴風《はやて》でも吃《く》ッた時には、一寸先は闇だ。そういう場合には名人は肚《はら》で漕《こ》ぐから確《たしか》さ。
 生憎《あいにく》この近眼だから、顔は瞭然《はっきり》見えなかッたが、咥煙管《くわえぎせる》で艪を押すその持重加減《おちつきかげん》! 遖《あっぱ》れ見物《みもの》だッたよ。」
 饒舌《じょうぜつ》先生も遂に口を噤《つぐ》みて、そぞろに興《きょう》を催《もよお》したりき。

         下

 魚津《うおづ》より三日市《みっかいち》、浦山《うらやま》、船見《ふなみ》、泊《とまり》など、沿岸の諸駅《しょえき》を過ぎて、越中越後の境なる関《せき》という村を望むまで、陰晴《いんせい》すこぶる常ならず。日光の隠顕《いんけん》するごとに、天《そら》の色はあるいは黒く、あるいは蒼《あお》く、濃緑《こみどり》に、浅葱《あさぎ》に、朱《しゅ》のごとく、雪のごとく、激しく異状を示したり。
 邇《ちか》く水陸を画《かぎ》れる一帯の連山中に崛起《くっき》せる、御神楽嶽飯豊山《おかぐらがたけいいとよさん》の腰を十重二十重《とえはたえ》に※[#「榮」の「木」に代えて「糸」、第3水準1−90−16]《めぐ》れる灰汁《あく》のごとき靄《もや》は、揺曳《ようえい》して巓《いただき》に騰《のぼ》り、見《み》る見る天上に蔓《はびこ》りて、怪物などの今や時を得んずるにはあらざるかと、いと凄《すさま》じき気色《けしき》なりき。
 元来|伏木《ふしき》直江津間の航路の三分の一は、遙《はるか》に能登半島の庇護《ひご》によりて、辛《から》くも内海《うちうみ》を形成《かたちつく》れども、泊《とまり》以東は全く洋々たる外海《そとうみ》にて、快晴の日は、佐渡島の糢糊《もこ》たるを見るのみなれば、四面《しめん》※[#「水/(水+水)」、第3水準1−86−86]茫《びょうぼう》として、荒波《あらなみ》山《やま》の崩《くず》るるごとく、心易《こころやす》かる航行は一年中半日も有難《ありがた》きなり。
 さるほどに汽船の出発は大事を取りて、十分に天気を信ずるにあらざれば、解纜《かいらん》を見合《みあわ》すをもて、却《かえ》りて危険の虞《おそれ》寡《すくな》しと謂《い》えり。されどもこの日の空合《そらあい》は不幸にして見謬《みあやま》られたりしにあらざるなきか。異状の天色《てんしょく》はますます不穏《ふおん》の徴《ちょう》を表せり。
 一時《ひとしきり》魔鳥《まちょう》の翼《つばさ》と翔《かけ》りし黒雲は全く凝結《ぎょうけつ》して、一髪《いっぱつ》を動かすべき風だにあらず、気圧は低落して、呼吸の自由を礙《さまた》げ、あわれ肩をも抑《おさ》うるばかりに覚えたりき。
 疑うべき静穏《せいおん》! 異《あやし》むべき安恬《あんてん》! 名だたる親不知《おやしらず》の荒磯に差懸《さしかか》りたるに、船体は微動だにせずして、畳《たたみ》の上を行くがごとくなりき。これあるいはやがて起らんずる天変の大頓挫《だいとんざ》にあらざるなきか。
 船は十一分の重量《おもみ》あれば、進行極めて遅緩《ちかん》にして、糸魚川《いといがわ》に着きしは午後四時半、予定に後《おく》るること約《およそ》二時間なり。
 陰※[#「日+(士/冖/一/一/口/一)」、38−9]《いんえい》たる空に覆《おおわ》れたる万象《ばんしょう》はことごとく愁《うれ》いを含みて、海辺の砂山に著《いちじ》るき一点の紅《くれない》は、早くも掲げられたる暴風|警戒《けいかい》の球標《きゅうひょう》なり。さればや一|艘《そう》の伝馬《てんま》も来《きた》らざりければ、五分間も泊《とどま》らで、船は急進直江津に向えり。
 すわや海上の危機は逼《せま》ると覚《おぼ》しく、あなたこなたに散在したりし数十の漁船は、北《にぐ》るがごとく漕戻《こぎもど》しつ。観音丸《かんのんまる》にちかづくものは櫓綱《ろづな》を弛《ゆる》めて、この異腹《いふく》の兄弟の前途を危《き
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