を打って花に日の光が動いたのである。濃く香《かぐわ》しい、その幾重《いくえ》の花葩《はなびら》の裡《うち》に、幼児《おさなご》の姿は、二つながら吸われて消えた。
 ……ものには順がある。――胸のせまるまで、二人が――思わず熟《じっ》と姉妹《きょうだい》の顔を瞻《みまも》った時、忽《たちま》ち背中で――もお――と鳴いた。
 振向くと、すぐ其処《そこ》に小屋があって、親が留守の犢《こうし》が光った鼻を出した。
 ――もお――
 濡れた鼻息は、陽炎《かげろう》に蒸されて、長閑《のどか》に銀粉《ぎんぷん》を刷《は》いた。その隙《ひま》に、姉妹《きょうだい》は見えなくなったのである。桃の花の微笑《ほほえ》む時、黙って顔を見合せた。
 子のない夫婦は、さびしかった。
 おなじようなことがある。様子はちょっと違っているが、それも修善寺で、時節は秋の末、十一月はじめだから、……さあ、もう冬であった。
 場所は――前記のは、桂川《かつらがわ》を上《のぼ》る、大師《だいし》の奥の院へ行く本道と、渓流を隔てた、川堤の岐路《えだみち》だった。これは新停車場《しんていしゃじょう》へ向って、ずっと滝の末ともいおう、瀬の下で、大仁通《おおひとがよ》いの街道を傍《わき》へ入って、田畝《たんぼ》の中を、小路へ幾つか畝《うね》りつつ上《のぼ》った途中であった。
 上等の小春日和《こはるびより》で、今日も汗ばむほどだったが、今度は外套を脱いで、杖の尖《さき》には引っ掛けなかった。行《や》ると、案山子《かかし》を抜いて来たと叱られようから。
 婦《おんな》は、道端の藪《やぶ》を覗《のぞ》き松の根を潜《くぐ》った、竜胆《りんどう》の、茎の細いのを摘んで持った。これは袂《たもと》にも懐にも入らないから、何に対し、誰《たれ》に恥ていいか分らない。
「マッチをあげますか。」
「先ず一服だ。」
 安煙草《やすたばこ》の匂《におい》のかわりに、稲の甘い香《か》が耳まで包む。日を一杯に吸って、目の前の稲は、とろとろと、垂穂《たりほ》で居眠りをするらしい。
 向って、外套の黒い裙《すそ》と、青い褄《つま》で腰を掛けた、むら尾花《おばな》の連《つらな》って輝く穂は、キラキラと白銀《はくぎん》の波である。
 預けた、竜胆の影が紫の灯《ひ》のように穂をすいて、昼の十日ばかりの月が澄む。稲の下にも薄《すすき》の中にも、細流《せせ
前へ 次へ
全5ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング