おおよろい》、樹蔭《こかげ》に沈んだ色ながら鎧《よろい》の袖《そで》は颯爽《さっそう》として、長刀《なぎなた》を軽くついて、少し屈《こご》みかかった広い胸に、兵《えもの》の柄《え》のしなうような、智と勇とが満ちて見える。かつ柄も長くない、頬先《ほおさき》に内側にむけた刃も細い。が、かえって無比の精鋭を思わせて、颯《さっ》と掉《ふ》ると、従って冷い風が吹きそうである。
別に、仏菩薩《ぶつぼさつ》の、尊《とうと》い古像が架《か》に据えて数々ある。
みどり児《ご》を、片袖《かたそで》で胸に抱《いだ》いて、御顔《おんかお》を少し仰向《あおむ》けに、吉祥果《きっしょうか》の枝を肩に振掛《ふりか》け、裳《もすそ》をひらりと、片足を軽く挙げて、――いいぐさは拙《つたな》いが、舞《まい》などしたまう状《さま》に、たとえば踊りながらでんでん太鼓で、児《こ》をおあやしのような、鬼子母神《きしぼじん》の像があった。御面《おんおもて》は天女に斉《ひと》しい。彩色《いろどり》はない。八寸ばかりのほのぐらい、が活けるが如き木彫《きぼり》である。
「戸を開けて拝んでは悪いんでしょうか。」
置手拭《おきてぬぐい》のが、
「はあ、其処《そこ》は開けません事になっております。けれども戸棚でございますから。」
「少々ばかり、御免下さい。」
と、網の目の細い戸を、一、二寸開けたと思うと、がっちりと支《つか》えたのは、亀井六郎《かめいろくろう》が所持と札を打った笈《おい》であった。
三十三枚の櫛《くし》、唐《とう》の鏡、五尺のかつら、紅《くれない》の袴《はかま》、重《かさね》の衣《きぬ》も納《おさ》めつと聞く。……よし、それはこの笈にてはあらずとも。
「ああ、これは、疵《きず》をつけてはなりません。」
棚が狭いので支《つか》えたのである。
そのまま、鬼子母神を礼して、ソッと戸を閉《た》てた。
連《つれ》の家内が、
「粋《いき》な御像《おすがた》ですわね。」
と、ともに拝んで言った。
「失礼な事を、――時に、御案内料は。」
「へい、五銭。」
「では――あとはどうぞお賽銭《さいせん》に。」
そこで、鎧《よろい》着《き》たたのもしい山法師に別れて出た。
山道、二町ばかり、中尊寺はもう近い。
大《おおき》な広い本堂に、一体見上げるような釈尊《しゃくそん》のほか、寂寞《せきばく》として何もない。それが荘厳であった。日の光が幽《かすか》に漏《も》れた。
裏門の方へ出ようとする傍《かたわら》に、寺の廚《くりや》があって、其処《そこ》で巡覧券を出すのを、車夫《わかいしゅ》が取次いでくれる。巡覧すべきは、はじめ薬師堂《やくしどう》、次の宝物庫《ほうもつこ》、さて金色堂《こんじきどう》、いわゆる光堂《ひかりどう》。続いて経蔵《きょうぞう》、弁財天《べんざいてん》と言う順序である。
皆、参詣の人を待って、はじめて扉を開く、すぐまたあとを鎖《とざ》すのである。が、宝物庫《ほうもつぐら》には番人がいて、経蔵には、年紀《とし》の少《わか》い出家が、火の気もなしに一人|経机《きょうづくえ》に対《むか》っていた。
はじめ、薬師堂に詣でて、それから宝物庫《ほうもつぐら》を一巡すると、ここの番人のお小僧が鍵を手にして、一条《ひとすじ》、道を隔てた丘の上に導く。……階《きざはし》の前に、八重桜《やえざくら》が枝も撓《たわわ》に咲きつつ、かつ芝生に散って敷いたようであった。
桜は中尊寺の門内にも咲いていた。麓《ふもと》から上《あが》ろうとする坂の下の取着《とッつき》の処《ところ》にも一本《ひともと》見事なのがあって、山中心得《さんちゅうこころえ》の条々《じょうじょう》を記した禁札《きんさつ》と一所《いっしょ》に、たしか「浅葱桜《あさぎざくら》」という札が建っていた。けれども、それのみには限らない。処々《ところどころ》汽車の窓から視《み》た桜は、奥が暗くなるに従って、ぱっと冴《さえ》を見せて咲いたのはなかった。薄墨《うすずみ》、鬱金《うこん》、またその浅葱《あさぎ》と言ったような、どの桜も、皆ぽっとりとして曇って、暗い紫を帯びていた。雲が黒かったためかも知れない。
唯《と》、階《きざはし》の前の花片《はなびら》が、折からの冷い風に、はらはらと誘《さそ》われて、さっと散って、この光堂の中を、空《そら》ざまに、ひらりと紫に舞うかと思うと――羽目《はめ》に浮彫《うきぼり》した、孔雀《くじゃく》の尾に玉を刻んで、緑青《ろくしょう》に錆《さ》びたのがなお厳《おごそか》に美しい、その翼を――ぱらぱらとたたいて、ちらちらと床にこぼれかかる……と宙で、黄金《きん》の巻柱《まきばしら》の光をうけて、ぱっと金色《こんじき》に飜《ひるがえ》るのを見た時は、思わず驚歎の瞳《ひとみ》を瞠《みは》った。
床も、承塵《なげし》も、柱は固《もと》より、彳《たたず》めるものの踏む処《ところ》は、黒漆《こくしつ》の落ちた黄金《きん》である。黄金《きん》の剥《は》げた黒漆とは思われないで、しかも些《さ》のけばけばしい感じが起らぬ。さながら、金粉の薄雲の中に立った趣《おもむき》がある。われら仙骨《せんこつ》を持たない身も、この雲はかつ踏んでも破れぬ。その雲を透《すか》して、四方に、七宝荘厳《しっぽうそうごん》の巻柱《まきばしら》に対するのである。美しき虹を、そのまま柱にして絵《えが》かれたる、十二光仏《じゅうにこうぶつ》の微妙なる種々相《しゅじゅそう》は、一つ一つ錦《にしき》の糸に白露《しらつゆ》を鏤《ちりば》めた如く、玲瓏《れいろう》として珠玉《しゅぎょく》の中にあらわれて、清く明《あきら》かに、しかも幽《かすか》なる幻である。その、十二光仏の周囲には、玉、螺鈿《らでん》を、星の流るるが如く輝かして、宝相華《ほうそうげ》、勝曼華《しょうまんげ》が透間《すきま》もなく咲きめぐっている。
この柱が、須弥壇《しゅみだん》の四隅《しぐう》にある、まことに天上の柱である。須弥壇は四座《しざ》あって、壇上には弥陀《みだ》、観音《かんおん》、勢至《せいし》の三尊《さんぞん》、二天《にてん》、六地蔵《ろくじぞう》が安置され、壇の中は、真中に清衡《きよひら》、左に基衡《もとひら》、右に秀衡《ひでひら》の棺《かん》が納まり、ここに、各|一口《ひとふり》の剣《つるぎ》を抱《いだ》き、鎮守府将軍《ちんじゅふしょうぐん》の印《いん》を帯び、錦袍《きんぽう》に包まれた、三つの屍《しかばね》がまだそのままに横《よこた》わっているそうである。
雛芥子《ひなげし》の紅《くれない》は、美人の屍より開いたと聞く。光堂は、ここに三個の英雄が結んだ金色《こんじき》の果《このみ》なのである。
謹《つつし》んで、辞して、天界一叢《てんかいいっそう》の雲を下りた。
階《きざはし》を下りざまに、見返ると、外囲《そとがこい》の天井裏に蜘蛛《くも》の巣がかかって、風に軽く吹かれながら、きらきらと輝くのを、不思議なる塵《ちり》よ、と見れば、一粒《いちりゅう》の金粉の落ちて輝くのであった。
さて経蔵《きょうぞう》を見よ。また弥《いや》が上に可懐《なつかし》い。
羽目《はめ》には、天女――迦陵頻伽《かりょうびんが》が髣髴《ほうふつ》として舞いつつ、かなでつつ浮出《うきで》ている。影をうけた束《つか》、貫《ぬき》の材は、鈴と草の花の玉の螺鈿《らでん》である。
漆塗《うるしぬり》、金の八角《はちかく》の台座には、本尊、文珠師利《もんじゅしり》、朱の獅子に騎《き》しておわします。獅子の眼《まなこ》は爛々《らんらん》として、赫《かっ》と真赤な口を開けた、青い毛の部厚な横顔が視《み》られるが、ずずッと足を挙げそうな構えである。右にこの轡《くつわ》を取って、ちょっと振向いて、菩薩《ぼさつ》にものを言いそうなのが優※[#「門<眞」、第3水準1−93−54]玉《ゆうてんぎょく》、左に一匣《いっこう》を捧げたのは善哉童子《ぜんざいどうじ》。この両側左右の背後に、浄名居士《じょうみょうこじ》と、仏陀波利《ぶっだはり》が一《ひとつ》は払子《ほっす》を振り、一《ひとつ》は錫杖《しゃくじょう》に一軸《いちじく》を結んだのを肩にかつぐように杖《つ》いて立つ。額《ひたい》も、目も、眉も、そのいずれも莞爾莞爾《にこにこ》として、文珠《もんじゅ》も微笑《ほほえ》んでまします。第一獅子が笑う、獅子が。
この須弥壇《しゅみだん》を左に、一架《いっか》を高く設けて、ここに、紺紙金泥《こんしきんでい》の一巻を半ば開いて捧げてある。見返しは金泥銀泥《きんでいぎんでい》で、本経《ほんきょう》の図解を描く。……清麗巧緻《せいれいこうち》にしてかつ神秘である。
いま此処《ここ》に来てこの経を視《み》るに、毛越寺の彼はあたかも砂金を捧ぐるが如く、これは月光を仰ぐようであった。
架《か》の裏に、色の青白い、痩《や》せた墨染《すみぞめ》の若い出家が一人いたのである。
私の一礼に答えて、
「ご緩《ゆる》り、ご覧なさい。」
二、三の散佚《さんいつ》はあろうが、言うまでもなく、堂の内壁《ないへき》にめぐらした八《やつ》の棚に満ちて、二代|基衡《もとひら》のこの一切経《いっさいきょう》、一代|清衡《きよひら》の金銀泥一行《きんぎんでいいちぎょう》まぜ書《がき》の一切経、並《ならび》に判官贔屓《ほうがんびいき》の第一人者、三代|秀衡《ひでひら》老雄の奉納した、黄紙宋板《おうしそうばん》の一切経が、みな黒燿《こくよう》の珠玉の如く漆《うるし》の架《か》に満ちている。――一切経の全部量は、七駄片馬《しちだかたうま》と称うるのである。
「――拝見をいたしました。」
「はい。」
と腰衣《こしごろも》の素足で立って、すっと、経堂を出て、朴歯《ほおば》の高足駄《たかあしだ》で、巻袖《まきそで》で、寒く細《ほっそ》りと草を行《ゆ》く。清らかな僧であった。
「弁天堂を案内しますで。」
と車夫《わかいしゅ》が言った。
向うを、墨染《すみぞめ》で一人|行《ゆ》く若僧《にゃくそう》の姿が、寂《さび》しく、しかも何となく貴《とうと》く、正に、まさしく彼処《かしこ》におわする……天女の御前《おんまえ》へ、われらを導く、つつましく、謙譲なる、一個のお取次のように見えた。
かくてこそ法師たるものの効《かい》はあろう。
世に、緋、紫、金襴《きんらん》、緞子《どんす》を装《よそお》うて、伽藍《がらん》に処すること、高家諸侯《こうけだいみょう》の如く、あるいは仏菩薩《ぶつぼさつ》の玄関番として、衆俗《しゅうぞく》を、受附で威張《いば》って追払《おっぱら》うようなのが少くない。
そんなのは、僧侶なんど、われらと、仏神の中を妨ぐる、姑《しゅうと》だ、小姑《こじゅうと》だ、受附だ、三太夫だ、邪魔ものである。
衆生《しゅじょう》は、きゃつばらを追払《おいはら》って、仏にも、祖師にも、天女にも、直接《じか》にお目にかかって話すがいい。
時に、経堂を出た今は、真昼ながら、月光に酔《よ》[#ルビの「よ」は底本ではは「え」]い、桂《かつら》の香《か》に巻かれた心地がして、乱れたままの道芝《みちしば》を行くのが、青く清明なる円《まる》い床を通るようであった。
階《きざはし》の下に立って、仰ぐと、典雅温優《てんがおんゆう》なる弁財天《べんざいてん》の金字《きんじ》に縁《ふち》して、牡丹花《ぼたんか》の額《がく》がかかる。……いかにや、年ふる雨露《あめつゆ》に、彩色《さいしき》のかすかになったのが、木地《きじ》の胡粉《ごふん》を、かえってゆかしく顕《あら》わして、萌黄《もえぎ》に群青《ぐんじょう》の影を添え、葉をかさねて、白緑碧藍《はくりょくへきらん》の花をいだく。さながら瑠璃《るり》の牡丹である。
ふと、高縁《たかえん》の雨落《あまおち》に、同じ花が二、三輪咲いているように見えた。
扉がギイ、キリキリと……僧の姿は、うらに隠れつつ、見えずに開く。
ぽかんと立ったのが極《きまり》が悪い。
ああ、もう彼処《あすこ》から透見《す
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