を追払《おいはら》って、仏にも、祖師にも、天女にも、直接《じか》にお目にかかって話すがいい。
時に、経堂を出た今は、真昼ながら、月光に酔《よ》[#ルビの「よ」は底本ではは「え」]い、桂《かつら》の香《か》に巻かれた心地がして、乱れたままの道芝《みちしば》を行くのが、青く清明なる円《まる》い床を通るようであった。
階《きざはし》の下に立って、仰ぐと、典雅温優《てんがおんゆう》なる弁財天《べんざいてん》の金字《きんじ》に縁《ふち》して、牡丹花《ぼたんか》の額《がく》がかかる。……いかにや、年ふる雨露《あめつゆ》に、彩色《さいしき》のかすかになったのが、木地《きじ》の胡粉《ごふん》を、かえってゆかしく顕《あら》わして、萌黄《もえぎ》に群青《ぐんじょう》の影を添え、葉をかさねて、白緑碧藍《はくりょくへきらん》の花をいだく。さながら瑠璃《るり》の牡丹である。
ふと、高縁《たかえん》の雨落《あまおち》に、同じ花が二、三輪咲いているように見えた。
扉がギイ、キリキリと……僧の姿は、うらに隠れつつ、見えずに開く。
ぽかんと立ったのが極《きまり》が悪い。
ああ、もう彼処《あすこ》から透見《す
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