。それが荘厳であった。日の光が幽《かすか》に漏《も》れた。
 裏門の方へ出ようとする傍《かたわら》に、寺の廚《くりや》があって、其処《そこ》で巡覧券を出すのを、車夫《わかいしゅ》が取次いでくれる。巡覧すべきは、はじめ薬師堂《やくしどう》、次の宝物庫《ほうもつこ》、さて金色堂《こんじきどう》、いわゆる光堂《ひかりどう》。続いて経蔵《きょうぞう》、弁財天《べんざいてん》と言う順序である。
 皆、参詣の人を待って、はじめて扉を開く、すぐまたあとを鎖《とざ》すのである。が、宝物庫《ほうもつぐら》には番人がいて、経蔵には、年紀《とし》の少《わか》い出家が、火の気もなしに一人|経机《きょうづくえ》に対《むか》っていた。
 はじめ、薬師堂に詣でて、それから宝物庫《ほうもつぐら》を一巡すると、ここの番人のお小僧が鍵を手にして、一条《ひとすじ》、道を隔てた丘の上に導く。……階《きざはし》の前に、八重桜《やえざくら》が枝も撓《たわわ》に咲きつつ、かつ芝生に散って敷いたようであった。
 桜は中尊寺の門内にも咲いていた。麓《ふもと》から上《あが》ろうとする坂の下の取着《とッつき》の処《ところ》にも一本《ひともと》見事なのがあって、山中心得《さんちゅうこころえ》の条々《じょうじょう》を記した禁札《きんさつ》と一所《いっしょ》に、たしか「浅葱桜《あさぎざくら》」という札が建っていた。けれども、それのみには限らない。処々《ところどころ》汽車の窓から視《み》た桜は、奥が暗くなるに従って、ぱっと冴《さえ》を見せて咲いたのはなかった。薄墨《うすずみ》、鬱金《うこん》、またその浅葱《あさぎ》と言ったような、どの桜も、皆ぽっとりとして曇って、暗い紫を帯びていた。雲が黒かったためかも知れない。
 唯《と》、階《きざはし》の前の花片《はなびら》が、折からの冷い風に、はらはらと誘《さそ》われて、さっと散って、この光堂の中を、空《そら》ざまに、ひらりと紫に舞うかと思うと――羽目《はめ》に浮彫《うきぼり》した、孔雀《くじゃく》の尾に玉を刻んで、緑青《ろくしょう》に錆《さ》びたのがなお厳《おごそか》に美しい、その翼を――ぱらぱらとたたいて、ちらちらと床にこぼれかかる……と宙で、黄金《きん》の巻柱《まきばしら》の光をうけて、ぱっと金色《こんじき》に飜《ひるがえ》るのを見た時は、思わず驚歎の瞳《ひとみ》を瞠《みは》った。
 床も、承塵《なげし》も、柱は固《もと》より、彳《たたず》めるものの踏む処《ところ》は、黒漆《こくしつ》の落ちた黄金《きん》である。黄金《きん》の剥《は》げた黒漆とは思われないで、しかも些《さ》のけばけばしい感じが起らぬ。さながら、金粉の薄雲の中に立った趣《おもむき》がある。われら仙骨《せんこつ》を持たない身も、この雲はかつ踏んでも破れぬ。その雲を透《すか》して、四方に、七宝荘厳《しっぽうそうごん》の巻柱《まきばしら》に対するのである。美しき虹を、そのまま柱にして絵《えが》かれたる、十二光仏《じゅうにこうぶつ》の微妙なる種々相《しゅじゅそう》は、一つ一つ錦《にしき》の糸に白露《しらつゆ》を鏤《ちりば》めた如く、玲瓏《れいろう》として珠玉《しゅぎょく》の中にあらわれて、清く明《あきら》かに、しかも幽《かすか》なる幻である。その、十二光仏の周囲には、玉、螺鈿《らでん》を、星の流るるが如く輝かして、宝相華《ほうそうげ》、勝曼華《しょうまんげ》が透間《すきま》もなく咲きめぐっている。
 この柱が、須弥壇《しゅみだん》の四隅《しぐう》にある、まことに天上の柱である。須弥壇は四座《しざ》あって、壇上には弥陀《みだ》、観音《かんおん》、勢至《せいし》の三尊《さんぞん》、二天《にてん》、六地蔵《ろくじぞう》が安置され、壇の中は、真中に清衡《きよひら》、左に基衡《もとひら》、右に秀衡《ひでひら》の棺《かん》が納まり、ここに、各|一口《ひとふり》の剣《つるぎ》を抱《いだ》き、鎮守府将軍《ちんじゅふしょうぐん》の印《いん》を帯び、錦袍《きんぽう》に包まれた、三つの屍《しかばね》がまだそのままに横《よこた》わっているそうである。
 雛芥子《ひなげし》の紅《くれない》は、美人の屍より開いたと聞く。光堂は、ここに三個の英雄が結んだ金色《こんじき》の果《このみ》なのである。
 謹《つつし》んで、辞して、天界一叢《てんかいいっそう》の雲を下りた。
 階《きざはし》を下りざまに、見返ると、外囲《そとがこい》の天井裏に蜘蛛《くも》の巣がかかって、風に軽く吹かれながら、きらきらと輝くのを、不思議なる塵《ちり》よ、と見れば、一粒《いちりゅう》の金粉の落ちて輝くのであった。
 さて経蔵《きょうぞう》を見よ。また弥《いや》が上に可懐《なつかし》い。
 羽目《はめ》には、天女――迦陵頻伽《かりょうびんが》が髣
前へ 次へ
全7ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング