紫陽花
泉鏡花

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)其《その》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)年|少《わか》き

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)[#「目+爭」、第3水準1−88−85、28−8]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)きら/\
−−

     一

 色青く光ある蛇、おびたゞしく棲めればとて、里人は近よらず。其《その》野社《のやしろ》は、片眼の盲ひたる翁ありて、昔より斉眉《かしず》けり。
 其《その》片眼を失ひし時一たび見たりと言ふ、几帳の蔭に黒髪のたけなりし、それぞ神なるべき。
 ちかきころ水無月中旬、二十日余り照り続きたる、けふ日ざかりの、鼓子花《ひるがお》さへ草いきれに色褪せて、砂も、石も、きら/\と光を帯びて、松の老木《おいき》の梢より、糸を乱せる如き薄き煙の立ちのぼるは、木精《こだま》とか言ふものならむ。おぼろ/\と霞むまで、暑き日の静さは夜半にも増して、眼もあてられざる野の細道を、十歳《とお》ばかりの美少年の、尻を端折《はしよ》り、竹の子笠被りたるが、跣足《はだし》にて、
「氷や、氷や。」
 と呼びもて来つ。其より市に行かんとするなり。氷は筵包《むしろづつみ》にして天秤に釣したる、其片端には、手ごろの石を藁縄《わらなわ》もて結びかけしが、重きもの荷ひたる、力なき身体のよろめく毎に、石は、ふらゝこの如くはずみて揺れつ。
 とかうして、此の社の前に来りし時、太き息つきて立停りぬ。
 笠は目深《まぶか》に被りたれど、日の光は遮らで、白き頸《うなじ》も赤らみたる、渠《かれ》はいかに暑かりけむ。
 蚯蚓《みみず》の骸《むくろ》の干乾びて、色黒く成りたるが、なかばなま/\しく、心ばかり蠢《うごめ》くに、赤き蟻の群りて湧くが如く働くのみ、葉末の揺るゝ風もあらで、平たき焼石の上に何とか言ふ、尾の尖《さき》の少し黒き蜻蛉《とんぼ》の、ひたと居て動きもせざりき。
 かゝる時、社の裏の木蔭より婦人《おんな》二人出で来れり。一人は涼傘《ひがさ》畳み持ちて、細き手に杖としたる、いま一人は、それよりも年|少《わか》きが、伸上るやうにして、背後より傘さしかけつ。腰元なるべ
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