紅玉
泉鏡花
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)停車場《ステエション》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)水|汲《く》む
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「目+句」、第4水準2−81−91]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)何だい/\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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時―――現代、初冬。
場所――府下郊外の原野。
人物――画工。侍女(烏の仮装したる)。貴夫人。老紳士。少紳士。小児五人。――別に、三羽の烏(侍女と同じ扮装)。
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小児一 やあ、停車場《ステエション》の方の、遠くの方から、あんなものが遣《や》つて来たぜ。
小児二 何だい/\。
小児三 あゝ、大《おおき》なものを背負《しょ》つて、蹌踉々々《よろよろ》来るねえ。
小児四 影法師まで、ぶら/\して居るよ。
小児五 重いんだらうか。
小児一 何だ、引越《ひっこし》かなあ。
小児二 構ふもんか、何だつて。
小児三 御覧よ、脊《せな》よりか高い、障子見たやうなものを背負《しょ》つてるから、凧《たこ》が歩行《ある》いて来るやうだ。
小児四 糸をつけて揚げる真似エして遣《や》らう。
小児五 遣れ/\、おもしろい。
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凧を持つたのは凧を上げ、独楽《こま》を持ちたるは独楽を廻す。手にものなき一人《いちにん》、一方に向ひ、凧の糸を手繰《たぐ》る真似して笑ふ。
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画工 (枠張《わくばり》のまゝ、絹地《きぬじ》の画《え》を、やけに紐《ひも》からげにして、薄汚《うすよご》れたる背広の背に負ひ、初冬《はつふゆ》、枯野の夕日影にて、あか/\と且《か》つ寂《さみ》しき顔。酔《よ》へる足どりにて登場)……落第々々、大落第《おおらくだい》。(ぶらつく体を杖《ステッキ》に突掛《つっか》くる状《さま》、疲切《つかれき》つたる樵夫《きこり》の如し。しばらくして、叫ぶ)畜生《ちくしょう》、状《ざま》を見やがれ。
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声に驚き、且《か》つ活《い》ける玩具《おもちゃ》の、手許《てもと》に近づきたるを見て、糸を手繰りたる小児《こども》、衝《つ》と開《ひら》いて素知《そし》らぬ顔す。
画工、其《そ》の事には心付《こころづ》かず、立停《たちど》まりて嬉戯《きぎ》する小児等《しょうにら》を※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》す。
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よく遊んでるな、あゝ、羨《うらやま》しい。何《ど》うだ。皆《みんな》、面白いか。
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小児等《こどもら》、彼の様子を見て忍笑《しのびわらい》す。中に、糸を手繰りたる一人《いちにん》。
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小児三 あゝ、面白かつたの。
画工 (管《くだ》をまく口吻《くちぶり》)何、面白かつた。面白かつたは不可《いか》んな。今の若さに。……小児《こども》をつかまへて、今の若さも変だ。(笑ふ)はゝゝは、面白かつたは心細い。過去《すぎさ》つた事のやうで情《なさけ》ない。面白いと云へ。面白がれ、面白がれ。尚《な》ほ其の上に面白く成れ。むゝ、何《ど》うだ。
小児三 だつて、兄《にい》さん怒《おこ》るだらう。
画工 (解し得ず)俺が怒《おこ》る、何を……何を俺が怒るんだ。生命《いのち》がけで、描《か》いて文部省の展覧会で、平《へえ》つくばつて、可《い》いか、洋服の膝《ひざ》を膨らまして膝行《いざ》つてな、いゝ図ぢやないぜ、審査所のお玄関で頓首《とんしゅ》再拝《さいはい》と仕《つかまつ》つた奴を、紙鉄砲《かみでっぽう》で、ポンと撥《は》ねられて、ぎやふんとまゐつた。それでさへ怒り得ないで、悄々《すごすご》と杖《つえ》に縋《すが》つて背負《しょ》つて帰る男ぢやないか。景気よく馬肉《けとばし》で呷《あお》つた酒なら、跳ねも、いきりもしようけれど、胃のわるい処《ところ》へ、げつそりと空腹《すきばら》と来て、蕎麦《そば》ともいかない。停車場《ステエション》前で饂飩《うどん》で飲んだ、臓腑《ぞうふ》が宛然《さながら》蚯蚓《みみず》のやうな、しツこしのない江戸児擬《えどっこまがい》が、何《ど》うして腹なんぞ立て得《え》るものかい。ふん、だらしやない。
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他《た》の小児《こども》はきよろ/\見て居る。
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小児三 何だか知らないけれどね、今、向うから来る兄さんに、糸目をつけて手繰《たぐ》つて居たんだぜ。
画工 何だ、糸を着けて……手繰つたか。いや、怒りやしない。何の真似だい。
小児一 兄さんがね、然《そ》うやつてね、ぶら/\来た処《ところ》がね。
小児二 遠くから、まるで以て、凧《たこ》の形に見えたんだもの。
画工 はゝあ、凧か。(背負《しょ》つてる絵を見る)むゝ、其処《そこ》で、(仕形《しかた》しつゝ)と遣《や》つて面白がつて居たんだな。処《ところ》で、俺が恁《こ》う近く来たから、怒られやしないかと思つて、其の悪戯《いたずら》を止《や》めたんだ。だから、面白かつたと云ふのか。……かつたは寂《さみ》しい、つまらない。壮《さかん》に面白がれ、もつと面白がれ。さあ、糸を手繰《たぐ》れ、上げろ、引張れ。俺が、凧に成つて、上《あが》つて遣らう。上つて、高い空から、上野の展覧会を見て遣る。京、大阪を見よう。日本中《にっぽんじゅう》を、いや世界を見よう。……さあ、あの児《こ》来て煽《あお》れ、それ、お前は向うで上げるんだ。さあ、遣れ、遣れ。(笑ふ)はゝゝ、面白い。
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小児等《こどもら》しばらく逡巡《しゅんじゅん》す。画工の機嫌よげなるを見るより、一人は、画工の背《せなか》を抱《いだ》いて、凧を煽る真似す。一人は駈出《かけだ》して距離を取る。其の一人《いちにん》。
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小児三 やあ、大凧《おおだこ》だい、一人ぢや重い。
小児四 うん、手伝つて遣ら。(と独楽《こま》を懐《ふところ》にして、立並《たちなら》ぶ)――風吹け、や、吹け。山の風吹いて来い。――(同音に囃《はや》す。)
画工 (あふりたる児《こ》の手を離るゝと同時に、大手《おおで》を開《ひら》いて)恁《こ》う成りや凧絵だ、提灯屋《ちょうちんや》だ。そりや、しやくるぞ、水|汲《く》むぞ、べつかつこだ。
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小児等《こどもら》の糸を引いて駈《かけ》るがまゝに、ふら/\と舞台を飛廻《とびまわ》り、やがて、樹根《きのね》に※[#「てへん+堂」、第4水準2−13−41]《どう》と成りて、切なき呼吸《いき》つく。
暮色《ぼしょく》到る。
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小児三 凧は切れ了《ちゃ》つた。
小児一 暗く成つた。――丁《ちょう》ど可《い》い。
小児二 又、……あの事をしよう。
其の他 遣《や》らうよ、遣らうよ。――(一同、手はつながず、少しづゝ間《あいだ》をおき、くるりと輪に成りて唄《うた》ふ。)
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青山《あおやま》、葉山《はやま》、羽黒《はぐろ》の権現《ごんげん》さん
あとさき言はずに、中はくぼんだ、おかまの神《かみ》さん
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唄ひつゝ、廻りつゝ、繰返す。
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画工 (茫然《ぼうぜん》として黙想したるが、吐息《といき》して立つて此《これ》を視《なが》む。)おい、おい、其《それ》は何の唄だ。
小児一 あゝ、何の唄だか知らないけれどね、恁《こ》うやつて唄つて居ると、誰か一人|踊出《おどりだ》すんだよ。
画工 踊る? 誰が踊る。
小児二 誰が踊るつて、此《こ》のね、環《わ》の中へ入つて踞《しゃが》んでるものが踊るんだつて。
画工 誰も、入つては居《お》らんぢやないか。
小児三 でもね、気味が悪いんだもの。
画工 気味が悪いと?
小児四 あゝ、あの、其がね、踊らうと思つて踊るんぢやないんだよ。ひとりでにね、踊るの。踊るまいと思つても。だもの、気味が悪いんだ。
画工 遣《や》つて見よう、俺を入れろ。
一同 やあ、兄さん、入るかい。
画工 俺が入る、待て、(画《え》を取つて大樹《たいじゅ》の幹によせかく)さあ、可《い》いか。
小児三 目を塞《ふさ》いで居るんだぜ。
画工 可《よし》、此の世間《よのなか》を、酔《よ》つて踊りや本望《ほんもう》だ。
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青山、葉山、羽黒の権現さん
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小児等《こどもら》唄ひながら画工の身の周囲《まわり》を廻《めぐ》る。環《わ》の脈を打つて伸び且《か》つ縮むに連れて、画工、殆《ほと》んど、無意識なるが如く、片手又片足を異様に動かす。唄ふ声、愈々《いよいよ》冴《さ》えて、次第に暗く成る。
時に、樹《き》の蔭より、顔黒く、嘴《くちばし》黒く、烏《からす》の頭《かしら》して真黒なるマント様《よう》の衣《きぬ》を裾《すそ》まで被《かぶ》りたる異体のもの一個|顕《あらわ》れ出《い》で、小児《こども》と小児《こども》の間《あいだ》に交《まじ》りて斉《ひと》しく廻《まわ》る。
地に踞《うずくま》りたる画工、此の時、中腰に身を起して、半身を左右に振つて踊る真似す。
続いて、初《はじめ》の黒きものと同じ姿したる三個、人の形の烏《からす》。樹蔭《こかげ》より顕《あらわ》れ、同じく小児等《こどもら》の間《あいだ》に交《まじ》つて、画工の周囲を繞《めぐ》る。
小児等《こどもら》は絶えず唄ふ。いづれも其の怪《あやし》き物の姿を見ざる趣《おもむき》なり。あとの三|羽《ば》の烏|出《い》でて輪に加はる頃より、画工全く立上《たちあが》り、我を忘れたる状《さま》して踊り出《いだ》す。初手《しょて》の烏もともに、就中《なかんずく》、後《あと》なる三羽の烏は、足も地に着かざるまで跳梁《ちょうりょう》す。
彼等の踊狂《おどりくる》ふ時、小児等《こどもら》は唄を留《とど》む。
[#ここで字下げ終わり]
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一同 (手に手に石を二《ふた》ツ取り、カチ/\と打鳴《うちな》らして)魔が来た、でん/\。影がさいた、もんもん。(四五|度《たび》口々に寂《さみ》しく囃《はや》す)真個《ほんと》に来た。そりや来た。
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小児《こども》のうちに一人《いちにん》、誰《たれ》とも知らず恁《か》く叫ぶとともに、ばら/\と、左右に分れて逃げ入る。
木《こ》の葉《は》落つ。
木の葉落つる中に、一人《いちにん》の画工と四個の黒き姿と頻《しきり》に踊る。画工は靴を穿《は》いたり。後《あと》の三羽の烏皆|爪尖《つまさき》まで黒し。初《はじめ》の烏ひとり、裾《すそ》をこぼるゝ褄《つま》紅《くれない》に、足白し。
[#ここで字下げ終わり]
[#ここから改行天付き、折り返して1字下げ]
画工 (疲果《つかれは》てたる状《さま》、※[#「てへん+堂」、第4水準2−13−41]《どう》と仰様《のけざま》に倒る)水だ、水をくれい。
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いづれも踊り留《や》む。後の烏三羽、身を開《ひら》いて一方に翼を交《か》はしたる如く、腕を組合《くみあわ》せつゝ立ちて視《なが》む。
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初の烏 (うら若き女の声にて)寝たよ。まあ……だらしのない事。人間、恁《こ》うは成りたくないものだわね。――其のうちに目が覚めたら行《ゆ》くだらう――別にお座敷の邪魔《じゃま》にも成るまいか
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