たい》の味が違ふと言はぬか。あれ等《ら》を苦《くるし》ませては成らぬ、悲《かなし》ませては成らぬ、海の水を酒にして泳がせろ。
一の烏 むゝ、其処《そこ》で、椅子《いす》やら、卓子《テエブル》やら、天幕《テント》の上げさげまで手伝ふかい。
三の烏 彼《あ》れほどのものを、(天幕《テント》を指す)持運《もちはこ》びから、始末まで、俺たちが、此の黒い翼で人間の目から蔽《おお》うて手伝ふとは悟《さと》り得ず、薄《すすき》の中に隠したつもりの、彼奴等《あいつら》の甘さが堪《たま》らん。が、俺たちの為す処《ところ》は、退《しりぞ》いて見ると、如法《にょほう》これ下女下男の所為《しょい》だ。天《あめ》が下《した》に何と烏ともあらうものが、大分|権式《けんしき》を落すわけだな。
二の烏 獅子《しし》、虎《とら》、豹《ひょう》、地を走る獣《けもの》。空を飛ぶ仲間では、鷲《わし》、鷹《たか》、みさごぐらゐなものか、餌食を掴《つか》んで容色《きりょう》の可《い》いのは。……熊なんぞが、あの形で、椎《しい》の実《み》を拝んだ形な。鶴《つる》とは申せど、尻を振つて泥鰌《どじょう》を追懸《おっか》ける容体《ようだい》などは、余り喝采《やんや》とは参らぬ図だ。誰も誰も、食《くら》ふためには、品《ひん》も威も下げると思へ。然《さ》までにして、手に入れる餌食だ。突《つつ》くと成れば会釈はない。骨までしやぶるわ。餌食の無慙《むざん》さ、いや、又|其《そ》の骨の肉汁《ソップ》の旨《うま》さはよ。(身震ひする。)
一の烏 (聞く半《なか》ばより、じろ/\と酔臥《よいふ》したる画工を見て居《お》り)おふた、お二《ふた》どの。
二の烏 あい。
三の烏 あい、と吐《ぬか》す、魔ものめが、ふて/″\しい。
二の烏 望みとあらば、可愛《かわい》い、とも鳴くわ。
一の烏 いや、串戯《じょうだん》は措《お》け。俺は先刻《さっき》から思ふ事だ、待設《まちもう》けの珍味も可《い》いが、こゝに目の前に転がつた餌食は何《ど》うだ。
三の烏 其の事よ、血の酒に酔ふ前に、腹へ底を入れて置く相談には成るまいかな。何分《なにぶん》にも空腹だ。
二の烏 御同然《ごどうぜん》に夜食前よ。俺も一先《いっさき》に心付《こころづ》いては居るが、其の人間は未《ま》だ食頃《くいごろ》には成らぬと思ふ。念のために、面《つら》を見ろ。
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三羽の烏、ばさ/\と寄り、頭《こうべ》を、手を、足を、ふん/\と嚊《か》ぐ。
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一の烏 堪《たま》らぬ香《におい》だ。
三の烏 あゝ、旨《うま》さうな。
二の烏 いや、まだ然《そ》うは成るまいか。此の歯をくひしばつた処《ところ》を見い。総じて寝て居ても口を結んだ奴は、蓋《ふた》をした貝だと思へ。うかつに嘴《はし》を入れると最後、大事な舌を挟まれる。やがて意地汚《いじきたな》の野良犬《のらいぬ》が来て舐《な》めよう。這奴《しゃつ》四足《よつあし》めに瀬踏《せぶみ》をさせて、可《よ》いと成つて、其の後《あと》で取蒐《とりかか》らう。食《くい》ものが、悪いかして。脂《あぶら》のない人間だ。
一の烏 此の際、乾《ひ》ものでも構はぬよ。
二の烏 生命《いのち》がけで乾《ひ》ものを食つて、一分《いちぶん》が立つと思ふか、高蒔絵《たかまきえ》のお肴《とと》を待て。
三の烏 や、待つと云へば、例の通り、ほんのりと薫《かお》つて来た。
一の烏 おゝ、人臭《ひとくさ》いぞ。そりや、女のにほひだ。
二の烏 はて、下司《げす》な奴、同じ事を不思議な花が薫ると言へ。
三の烏 おゝ、蘭奢待《らんじゃたい》、蘭奢待。
一の烏 鈴ヶ森でも、此の薫《かおり》は、百年目に二三度だつたな。
二の烏 化鳥《ばけどり》が、古い事を云ふ。
三の烏 なぞと少《わか》い気で居《お》ると見える、はゝはゝ。
一の烏 いや、恁《こ》うして暗《くら》やみで笑つた処《ところ》は、我ながら不気味だな。
三の烏 人が聞いたら何と言はう。
二の烏 烏鳴《からすなき》だ、と吐《ぬか》す奴よ。
一の烏 何にも知らずか。
三の烏 不便《ふびん》な奴等《やつら》。
二の烏 (手を取合《とりお》うて)おゝ、見える、見える。それ侍女《こしもと》の気で迎へて遣《や》れ。(みづから天幕《テント》の中より、燭《とも》したる蝋燭《ろうそく》を取出《とりい》だし、野中《のなか》に黒く立ちて、高く手に翳《かざ》す。一の烏、三の烏は、二の烏の裾《すそ》に踞《しゃが》む。)
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薄《すすき》の彼方《あなた》、舞台深く、天幕《テント》の奥斜めに、男女《なんにょ》の姿|立顕《たちあらわ》る。一《いつ》は少《わかき》紳士《しんし》、一《いつ》は貴夫人、容姿《ようし》美しく輝くばかり。
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二の烏 恋も風、無情も風、情《なさけ》も露《つゆ》、生命《いのち》も露、別るゝも薄《すすき》、招くも薄、泣くも虫、歌ふも虫、跡は野原だ、勝手に成れ。(怪しき声にて呪《じゅ》す。一と三の烏、同時に跪《ひざまず》いて天を拝す。風一陣、灯《ともしび》消ゆ。舞台一時暗黒。)
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はじめ、月なし、此の時|薄月《うすづき》出《い》づ。舞台|明《あかる》く成りて、貴夫人も少《わかき》紳士《しんし》も、三羽の烏も皆見えず。天幕《テント》あるのみ。
画工、猛然として覚《さ》む。
魘《おそ》はれたる如く四辺《あたり》を※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みま》はし、慌《あわただ》しく画《え》の包《つつみ》をひらく、衣兜《かくし》のマツチを探り、枯草《かれくさ》に火を点ず。
野火《やか》、炎々《えんえん》。絹地《きぬじ》に三羽の烏あらはる。
凝視。
彼処《かしこ》に敵あるが如く、腕を挙げて睥睨《へいげい》す。
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画工 俺の画《え》を見ろ。――待て、しかし、絵か、其とも実際の奴等《やつら》か。
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[#地から2字上げ]――幕――



底本:「日本幻想文学集成1 泉鏡花」国書刊行会
   1991(平成3)年3月25日初版第1刷発行
   1995(平成7)年10月9日初版第5刷発行
底本の親本:「泉鏡花全集」岩波書店
   1940(昭和15)年発行
初出:「新小説」
   1913(大正2)年7月
※ルビは新仮名とする底本の扱いにそって、ルビの拗音、促音は小書きしました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:門田裕志
校正:川山隆
2009年5月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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