ま》を頂いては、こんな処《ところ》へ出て参りまして、偶《たま》に通りますものを驚《おど》かしますのが面白くて成りませんので、つい、あの、癖になりまして、今晩も……旦那様《だんなさま》に申訳のございません失礼をいたしました。何《ど》うぞ、御免遊ばして下さいまし。
紳士 言ふ事は其だけか。
初の烏 はい?(聞返《ききかえ》す。)
紳士 俺に云ふ事は、それだけか、女郎《めろう》。
初の烏 あの、(口籠《くちごも》る)今夜は何《ど》ういたしました事でございますか、私《わたくし》の形《なり》……あの、影法師が、此の、野中《のなか》の宵闇《よいやみ》に判然《はっきり》と見えますのでございます。其さへ気味が悪うございますのに、気をつけて見ますと、二つも三つも、私《わたくし》と一所《いっしょ》に動きますのでございますもの。
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三方に分れて彳《たたず》む、三羽の烏、また打頷《うちうなず》く。
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もう可恐《おそろし》く成りまして、夢中で駈出《かけだ》しましたものですから、御前様《ごぜんさま》に、つい――あの、そして……御前様は、何時《いつ》御旅行さきから。
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紳士 俺の旅行か。ふゝん。(自《みずか》ら嘲《あざ》ける口吻《くちぶり》)汝《きさま》たちは、俺が旅行をしたと思ふか。
初の烏 はい、一昨日《いっさくじつ》から、北海道の方へ。
紳士 俺の北海道は、すぐに俺の邸《やしき》の周囲ぢや。
初の烏 はあ、(驚く。)
紳士 俺の旅行は、冥土《めいど》の旅の如きものぢや。昔から、事が、恁《こ》う云ふ事が起つて、其が破滅に近づく時は、誰もするわ。平凡な手段ぢや。通例過ぎる遣方《やりかた》ぢやが、為《せ》んと云ふ事には行かなかつた。今云うた冥土の旅を、可厭《いや》ぢやと思うても、誰もしないわけには行かぬやうなものぢや。又、汝等《きさまら》とても、恁《こ》う云ふ事件の最後の際には、其の家の主人か、良人《おっと》か、可《え》えか、俺がぢや、或《ある》手段として旅行するに極《きま》つとる事を知つて居《お》る。汝《きさま》は知らいでも、怜悧《りこう》な彼《あれ》は知つて居《お》る。汝《きさま》とても、少しは分つて居《お》らう。分つて居て、其の主人が旅行と云ふ隙間《すきま》を狙《ねら》ふ。故《わざ》と安心して大胆な不埒《ふらち》を働く。うむ、耳を蔽《おお》うて鐸《すず》を盗むと云ふのぢや。いづれ音の立ち、声の響くのは覚悟ぢやらう。何も彼《か》も隠さずに言つて了《しま》へ。何時《いつ》の事か。一体、何時頃《いつごろ》の事か。これ。
侍女 何時頃《いつごろ》とおつしやつて、あの、影法師の事でございませうか。其は唯今《ただいま》……
紳士 黙れ。影法師か何《なに》か知らんが、汝等《きさまら》三人の黒い心が、形にあらはれて、俺の邸《やしき》の内外を横行しはじめた時だ。
侍女 御免遊ばして、御前様《ごぜんさま》、私《わたくし》は何にも存じません。
紳士 用意は出来とる。女郎《めろう》、俺の衣兜《かくし》には短銃《ピストル》があるぞ。
侍女 えゝ。
紳士 さあ、言へ。
侍女 御前様、お許し下さいまし。春の、暮方《くれがた》の事でございます。美しい虹《にじ》が立ちまして、盛りの藤《ふじ》の花と、つゝじと一所《いっしょ》に、お庭の池に影の映りましたのが、薄紫《うすむらさき》の頭《かしら》で、胸に炎の搦《から》みました、真紅《しんく》なつゝじの羽《はね》の交《まじ》つた、其の虹の尾を曳《ひ》きました大きな鳥が、お二階を覗《のぞ》いて居《お》りますやうに見えたのでございます。其の日は、御前様のお留守、奥様が欄干越《らんかんごし》に、其の景色をお視《なが》めなさいまして、――あゝ、綺麗《きれい》な、此の白い雲と、蒼空《あおぞら》の中に漲《みなぎ》つた大鳥《おおとり》を御覧――お傍に居《お》りました私《わたくし》に然《そ》うおつしやいまして――此の鳥は、頭《かしら》は私《わたし》の簪《かんざし》に、尾を私《わたし》の帯に成るために来たんだよ。角《つの》の九《ここの》つある、竜が、頭《かしら》を兜《かぶと》に、尾を草摺《くさずり》に敷いて、敵に向ふ大将軍を飾つたやうに。……けれども、虹には目がないから、私《わたし》の姿が見つからないので、頭《かしら》を水に浸して、うなだれ悄《しお》れて居る。どれ、目を遣《や》らう――と仰有《おっしゃ》いますと、右の中指に嵌《は》めておいで遊ばした、指環の紅《あか》い玉《たま》でございます。開《ひら》いては虹に見えぬし、伏せては奥様の目に見えません。ですから、其の指環をお抜きなさいまして。
紳士 うむ、指環を抜いてだな。うむ、指環を抜いて。
侍女 
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