りする、幽《かすか》な、しかし脈を打つて、血の通ふ、其の符牒《ふちょう》で、黙つて居て、暗号《あいず》が出来ると、何時《いつ》も奥様がおつしやるもんだから。――卓子《テエブル》さん(卓をたゝく)殊《こと》にお前さんは三《み》ツ脚《あし》で、狐狗狸《こっくり》さん、其のまゝだもの。活《い》きてるも同じだと思ふから、つい、お話をしたんだわ。しかし、うつかりして、少々大事なことを饒舌《しゃべ》つたんだから、お前さん聞いたばかりにして置いておくれ。誰にも言つては不可《いけな》いよ。一寸《ちょいと》、注《つ》いだ酒を何《ど》うしよう。ああ、いゝ事がある。(酔倒《よいたお》れたる画工に近づく。後の烏一ツ、同じく近寄りて、画工の項《うなじ》を抱《いだ》いて仰向《あおむ》けにす。)
酔《よっ》ぱらひさん、さあ、冷水《おひや》。
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画工 (飲みながら、現《うつつ》にて)あゝ、日が出た、が、俺は暗夜《やみ》だ。(其まゝ寝返る。)
初の烏 日が出たつて――赤い酒から、私の此の烏を透かして、まあ。――画《え》に描《か》いた太陽《おひさま》の夢を見たんだらう。何だか謎《なぞ》のやうな事を言つてるわね。――さあ/\、お寝室《ねま》こしらへをして置きませう。(もとに立戻《たちもど》りて、又|薄《すすき》の中より、此のたびは一領の天幕《テント》を引出し、卓子《テエブル》を蔽《おお》うて建廻《たてま》はす。三羽の烏、左右より此を手伝ふ。天幕《テント》の裡《うち》は、見《けん》ぶつ席より見えざるあつらへ。)お楽《たのし》みだわね。(天幕《テント》を背後《うしろ》にして正面に立つ。三羽の烏、其の両方に彳《たたず》む。)
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もう、すつかり日が暮れた。(時に、はじめてフト自分の他《ほか》に、烏の姿ありて立てるに心付《こころづ》く。されどおのが目を怪《あやし》む風情《ふぜい》。少しづゝ、あちこち歩行《ある》く。歩行《ある》くに連れて、烏の形動き絡《まと》ふを見て、次第に疑惑《うたがい》を増し、手を挙ぐれば、烏|等《ら》も同じく挙げ、袖《そで》を振動《ふりうご》かせば、斉《ひと》しく振動かし、足を爪立《つまだ》つれば爪立ち、踞《しゃが》めば踞むを透《すか》し視《なが》めて、今はしも激しく恐怖し、慌《あわただ》しく駈出《かけいだ》す。)
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帽子を目深《まぶか》に、オーバーコートの鼠色《ねずみいろ》なるを被《き》、太き洋杖《ステッキ》を持てる老紳士、憂鬱《ゆううつ》なる重き態度にて登場。
初《はじめ》の烏ハタと行当《ゆきあた》る。驚いて身を開《ひら》く。紳士|其《そ》の袖を捉《とら》ふ。初の烏、遁《のが》れんとして威《おど》す真似して、かあ/\、と烏の声をなす。泣くが如き女の声なり。
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紳士 こりや、地獄の門を背負《しょ》つて、空を飛ぶ真似をするか。(掴《つかみ》ひしぐが如くにして突離《つきはな》す。初の烏、※[#「てへん+堂」、第4水準2−13−41]《どう》と地に坐す。三羽の烏は故《わざ》とらしく吃驚《きっきょう》の身振《みぶり》をなす。)地を這《は》ふ烏は、鳴く声が違ふぢやらう。うむ、何《ど》うぢや。地を這ふ烏は何と鳴くか。
初の烏 御免なさいまし、何《ど》うぞ、御免なさいまし。
紳士 はゝあ、御免なさいましと鳴くか。(繰返して)御免なさいましと鳴くぢやな。
初の烏 はい。
紳士 うむ、(重く頷《うなず》く)聞えた。とに角《かく》、汝《きさま》の声は聞えた。――こりや、俺の声が分るか。
初の烏 えゝ。
紳士 俺の声が分るかと云ふんぢや。こりや、面《つら》を上げろ。――何《ど》うだ。
初の烏 御前様《ごぜんさま》、あれ……
紳士 (杖《ステッキ》を以つて、其の裾《すそ》を圧《おさ》ふ)ばさ/\騒ぐな。槍《やり》で脇腹を突《つ》かれる外《ほか》に、樹の上へ得上《えあが》る身体《からだ》でもないに、羽ばたきをするな、女郎《めろう》、手を支《つ》いて、静《じっ》として口をきけ。
初の烏 真《まこと》に申訳《もうしわけ》のございません、飛んだ失礼をいたしました。……先達《せんだ》つて、奥様がお好みのお催しで、お邸《やしき》に園遊会の仮装がございました時、私《わたくし》がいたしました、あの、此のこしらへが、余りよく似合つたと、皆様が然《そ》うおつしやいましたものでございますから、つい、心得違《こころえちが》ひな事をはじめました。あの――後《あと》で、御前様が御旅行を遊ばしましたお留守中は、お邸にも御用が少《すくの》うございますものですから、自分の買《かい》もの、用達しだの、何のと申して、奥様にお暇《ひ
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