大道店の掘出しもの。流れ渡りの旅商人《たびあきんど》が、因縁は知らずここへ茣蓙《ござ》を広げたらしい。もっとも総曲輪一円は、露店も各自《てんでん》に持場が極《きま》って、駈出《かけだ》しには割込めないから、この空地へ持って来たに違いない。それにしても大胆な、女の癖にと、珍しがるやら、怪《あやし》むやら。ここの国も物見高で、お先走りの若いのが、早や大勢。
 婦人《おんな》は流るるような瞳を廻《めぐ》らし、人だかりがしたのを見て、得意な顔色《かおつき》。
「へい、鍍金《めっき》は鍍金、ガラハギはガラハギ、品物に品が備わりませぬで、一目見てちゃんと知れる。どこへ出しても偽物《いかもの》でございますが、手前商いまする銀流しを少々、」と言いかけて、膝に着いた手を後《うしろ》へ引き、煙管を差置いて箱の中の粉を一捻《いちねん》し、指を仰向《あおむ》けて、前へ出して、つらりと見せた。
「ほんの纔《わずか》ばかり、一|撮《つま》み、手巾《ハンケチ》、お手拭の端、切《きれ》ッ屑《くず》、お鼻紙、お手許お有合せの柔かなものにちょいとつけて、」
 婦人《おんな》は絹の襤褸切《ぼろきれ》[#「襤褸切」は底本では「襤褄切」]に件《くだん》の粉を包んで、俯向《うつむ》いて、真鍮の板金を取った。
 お掛けなさいまし、お休みなさいましと、間近な氷店で金切声。夜芝居《よしばい》の太鼓、どろどろどろ、遥《はるか》に聞える観世物《みせもの》の、評判、評判。

       十一

「訳のないこと、子供|衆《しゅ》でも誰でも出来る。ちょいと水をつけておいて、柔かにぐいぐいとこう遣《や》りさえすりゃ、あい、鷹《たか》化して鳩《はと》となり、傘《からかさ》変わって助六となり、田鼠《でんそ》化して鶉《うずら》となり、真鍮変じて銀となるッ。」
「雀入海中為蛤《すずめかいちゅうにいってはまぐりとなる》か。」と、立合の中《うち》から声を懸けるものがあった。
 婦人《おんな》はその声の主《ぬし》を見透そうとするごとく、人顔をじろりと見廻わし、黙って莞爾《にっこり》して、また陳立《のべた》てる。
「さあさあ召して下さい、召して下さいよ。御当地は薬が名物、津々浦々までも効能が行渡るんでございますがね、こればかりは看板を掛けちゃ売らないのですよ。一家秘法の銀流《ぎんながし》、はい、やい、お立合のお方は御遠慮なく、お持合せ[#「お持合せ」は底本では「お待合せ」]のお煙管なり、お簪《かんざし》なり、これへ出してお験《ため》しなさいまし、目の前で銀にしてお慰《なぐさみ》に見せましょう、御遠慮には及びません。」
 といってちょいと句切り、煙管を手にして、莨《たばこ》を捻《ひね》りながら、動静を伺って、
「さあさあ、誰方《どなた》でもどうでござんす。」
 若い同士耳打をするのがあり、尻を突《つつ》いて促すのがあり、中には耳を引張《ひっぱ》るのがある。止せ、と退《しさ》る、遣着《やッつ》けろ、と出る、ざまあ見ろ、と笑うやら、痛え、といって身悶《みもだ》えするやら、一斉に皆うようよ。有触れた銀流し、汚い親仁《おやじ》なら何事もあるまい、いずれ器量が操る木偶《でく》であろう。
「姉《ねえ》や。」
 この時、人の背後《うしろ》から呼んだ、しかしこれは、前に黄な声を発して雀海中に入《い》ってを云々《うんぬん》したごとき厭味《いやみ》なものではない。清《すず》しい活溌なものであった。
 婦人《おんな》は屹《きっ》と其方《そなた》を見る、トまた悪怯《わるび》れず呼懸けて、
「姉や、姉や。」
「何でございますか、は、私《わたくし》、」
「指環でも出来るかい。」
「ええ、出来ますとも、何でもお出しなさいましよ。」
「そう、」と極めてその意を得たという調子で、いそいそずッと出て、店前《みせさき》の地《つち》へ伝法に屈《かが》んだのは、滝太郎である。遊好《あそびずき》の若様は時間に関らず、横町で糸を切って、勇美子の頭飾《かみかざり》をどうして取ったか、人知れず掌《たなそこ》に弄《もてあそ》んだ上に、またここへ来てその姿を顕《あらわ》した。
 滝太郎は、さすがに玉のような美しい手を握って、猶予《ためら》わず、売物の銀流の粉《こ》の包、お験しの真鍮板、水入、絹の切などを並べた女の膝の前に真直《まっすぐ》に出した。指環のきらりとするのを差向けて、
「こいつを一つ遣《や》ってくんねえな。」
 立合の手合はもとより、世擦れて、人馴れて、この榎の下を物ともせぬ、弁舌の爽《さわやか》な、見るから下っ腹に毛のない姉御《あねご》も驚いて目を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》った。その容貌《ようぼう》、その風采《ふうさい》、指環は紛うべくもない純金であるのに、銀流しを懸けろと言うから。
「これですかい。」
「ちょいと遣っておくんな。」
「結構じゃありませんかね。」
「お銭《あし》がなくっちゃあ不可《いけ》ねえか、ここにゃ持っていねえんだが、可《よ》かったらつけてくんねえ。後で持たして寄越《よこ》すぜ。」
 と真顔でいう、言葉つき、顔形、目の中《うち》をじっと見ながら、
「そんな吝《けち》じゃアありませんや。お望《のぞみ》なら、どれ、附けて上げましょう。」と婦人《おんな》は切の端に銀流を塗《まぶ》して、滝太郎の手を密《そっ》と取った。
「ようよう、」とまた後《うしろ》の方で、雀海中に入った時のごとき、奇なる音声を発する者あり。

       十二

「可《い》いぜ、可いぜ、沢山だ、」と滝太郎はやや有って手を引こうとする、ト指の尖《さき》を握ったのを放さないで、銀流の切《きれ》を摺着《すりつ》けながら、
「よくして上げましょう、もう少しですから。」
「沢山だよ。」
「いいえ、これだけじゃあ綺麗にはなりません。」と婦人《おんな》は急に止《や》めそうにもない。
「さあ、大変。」
「お静《しずか》に、お静に。」
「構わず、ぐっと握るべしさ、」
「しっかり頼むぜ。」
 などと立合はわやわやいうのを、澄《すま》したもので、
「口切《くちきり》の商《あきない》でございます、本磨《ほんみがき》にして、成程これならばという処を見せましょう、これから艶布巾《つやぶきん》をかけて、仕上げますから。」
「止せ。」
 滝太郎の声はやや激して、振放そうとして力を入れる。押えて動かさず、
「ま、もうちっと辛抱をなさいましな、これから裏の方を磨きましょうね。」
 婦人《おんな》はこういいつつ、ちらちらと目をつけて、指環の形、顔、服装《みなり》、天窓《あたま》から爪先《つまさき》まで、屹《きっ》と見てはさりげなく装うのを、滝太郎は独り見て取って、何か憚《はばか》る処あるらしく、一度は一度、婦人《おんな》が黒い目で睨《にら》む数の重《かさな》るに従うて、次第に暗々|裡《り》に己《おのれ》を襲うものが来《きた》り、近《ちかづ》いて迫るように覚えて、今はほとんど耐難《たえがた》くなったと見え、知らず知らず左の手が、片手その婦人《おんな》に持たれた腕に懸《かか》って、力を添えて放そうとする。肩は聳《そび》え、顔には薄く血を染めて、滝太郎は眉を顰《ひそ》めた。
「可いッてんだい。」
「お待ち!」とばかりで婦人《おんな》も商売を忘れて、別に心あって存するごとく、瞳を据えて面《おもて》を合せた。
 ちょうどその時、四五十歩を隔てた、夜店の賑かな中を、背後《うしろ》の方で、一声高く、馬の嘶《いなな》くのが、往来の跫音《あしおと》を圧して近々と響いた。
 と思うと、滝太郎は、うむ、といって、振向いたが、吃驚《びっくり》したように、
「義作だ、おう、ここに居るぜ。」
「ちょいと、」
「ええ、」
「あれ、」といって振返された手を押えた。指の間には紅《くれない》一滴、見る見る長くなって、手首へ掛けて糸を引いて血が流れた。
「姉《ねえ》さん、」
「どうなすった。」
 押魂消《おッたまげ》た立合は、もう他人ではなくなって、驚いて声を懸ける。滝太郎はもう影も見えない。
 婦人《おんな》は顔の色も変えないで、切《きれ》で、血を押えながら、姉《ねえ》さん被《かぶり》のまま真仰向《まあおの》けに榎を仰いだ。晴れた空も梢《こずえ》のあたりは尋常《ただ》ならず、木精《こだま》の気勢《けはい》暗々として中空を籠《こ》めて、星の色も物凄《ものすご》い。
「おや、おや、おかしいねえ、変だよ、奇体なことがあるものだよ。露か知らん、上の枝から雫《しずく》が落ちたそうで、指が冷《ひや》りとしたと思ったら、まあ。」
「へい、引掻《ひっか》いたんじゃありませんか。」
「今のが切ったんじゃないんですかい。」
「指環で切れるものかね、御常談を、引掻いたって、血が流れるものですか。」
「さればさ。」
「厭《いや》だ、私は、」と薄気味の悪そうな、悄《しょ》げた様子で、婦人《おんな》は人の目に立つばかり身顫《みぶるい》をして黙った。榎の下|寂《せき》として声なし、いずれも顔を見合せたのである。

       十三

「何だね、これは。」
「叱《しっ》、」と押えながら、島野紳士のセル地の洋服の肱《ひじ》を取って、――奥を明け広げた夏座敷の灯が漏れて、軒端《のきば》には何の虫か一個《ひとつ》唸《うなり》を立ててはたと打着《ぶつ》かってはまた羽音を響かす、蚊が居ないという裏町、俗にお園小路と称《とな》える、遊廓桜木町の居まわりに在り、夜更けて門涼《かどすずみ》の団扇が招くと、黒板塀の陰から頬被《ほおかぶり》のぬっと出ようという凄《すご》い寸法の処柄、宵の口はかえって寂寞《ひっそり》している。――一軒の格子戸を背後《うしろ》へ退《すさ》った。
 これは雀部《ささべ》多磨太といって、警部長なにがし氏の令息で、島野とは心合《こころあい》の朋友である。
 箱を差したように両人気はしっくり合ってるけれども、その為人《ひととなり》は大いに違って、島野は、すべて、コスメチック、香水、巻莨《シガレット》、洋杖《ステッキ》、護謨靴《ゴムぐつ》という才子肌。多磨太は白薩摩《しろさつま》のやや汚れたるを裾短《すそみじか》に着て、紺染の兵児帯《へこおび》を前下りの堅結《かたむすび》、両方|腕捲《うでまくり》をした上に、裳《もすそ》を撮上《つまみあ》げた豪傑造り。五分刈にして芋のようにころころと肥えた様子は、西郷の銅像に肖《に》て、そして形《なり》の低い、年紀《とし》は二十三。まだ尋常中学を卒業しないが、試験なんぞをあえて意とするような吝《けち》なのではない。
 島野を引張《ひっぱ》り着けて、自分もその意気な格子戸を後《うしろ》に五六歩。
「見たか。」
 島野は瘠《やせ》ぎすで体も細く、釣棹《つりざお》という姿で洋杖《ステッキ》を振った。
「見た、何さ、ありゃ。門札の傍《わき》へ、白で丸い輪を書いたのは。」
「井戸でない。」
「へえ。」
「飲用水の印ではない、何じゃ、あれじゃ。その、色事の看板目印というやつじゃ。まだ方々にあるわい。試みに四五軒見しょう、一所に来う、歩きながら話そうで。まずの、」
 才子と豪傑は、鼠のセル地と白薩摩で小路の黄昏《たそがれ》の色に交《まじ》り、くっ着いて、並んで歩く。
 ここに注意すべきは多磨太が穿物《はきもの》である。いかに辺幅を修せずといって、いやしくも警部長の令息で、知事の君の縁者、勇美子には再従兄《またいとこ》に当る、紳士島野氏の道伴《みちづれ》で、護謨靴と歩を揃えながら、何たる事! 藁草履《わらぞうり》の擦切れたので、埃《ほこり》をはたはた。
 歩きながら袂を探って、手帳と、袂草《たもとくそ》と一所くたに掴《つか》み出した。
「これ見い、」
 紳士は軽く目を注いで、
「白墨かい。」
「はははは、白墨じゃが、何と、」
「それで、」と言懸けて、衣兜《かくし》に堆《うずだか》く、挟んでおく、手巾《ハンケチ》の白いので口の辺《あたり》をちょいと拭《ふ》いた。
「うむ、おりゃ、近頃博愛主義になってな、同好の士には皆《みんな》見せてやる事にした。あえてこの慰《なぐさみ》を独擅《どくせん》にせんのじゃで、到
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