面倒だったり、一品《ひとしな》々々|捻《ひね》くっちゃあ離れられなくって、面白い時はこの穴ン中で寝て行かあ。寝てるとね、盗んで来たここに在る奴等が、自分が盗《と》られた時の様子を、その道筋から、機会《きっかけ》から、各々《めいめい》に話をするようで、楽《たのしみ》ッたらないんだぜ。」
「それでまあよくお前さん体が何ともないね。浅草に餓鬼大将をやってお在《いで》の時とは違って、品もよくおなりだし、丸顔も長くなってさ、争われない、どう見ても若殿様だ。立派なもんだ。どうして、お前さんのその不思議な左の目の瞳子《どうし》に見覚《みおぼえ》がなかった日にゃあ、名告《なの》られたって本当に出来るもんじゃあない、その替り、こら、こんなに、」
 と手を取って、お兼は掌《てのひら》に据えて瞻《みまも》りながら、
「節もなくなって細うなったし、体も弱々しくって、夜露に打たれても毒そうではないか。」
「不景気なことを言ってらあ。麦畠《むぎばたけ》の中へ引《ひっ》くりかえって、青天井で寝た処で、天窓《あたま》が一つ重くなるようなんじゃあないよ、鍛えてあらあな。」と昂然《こうぜん》たり。
「そうかい、体はそれで可いとした処で、お前さんのような御身分じゃあ、鎖《じょう》を下ろした御門もあろうし、お次にはお茶坊主、宿直《とのい》の武士というのが控えてる位なもんじゃあないか。よくこうやって夜一夜《よッぴて》出歩かれるねえ。」
「何、そりゃおいら整然《ちゃん》と旨《うま》くやってるから、大概内の奴あ、今時分は御寝《ぎょし》なっていらっしゃると思ってるんだ。何から何まで邸の事をすっかり取締ってるなあ、守山てって、おいらを連れて来た爺さんだがね、難かしい顔をしてる割にゃあ解ってて、我儘《わがまま》をさしてくれらあね。」
「成程ね、華族様の内をすっかり預《あずか》って、何のこたあない乞食からお前さんを拾上げたほどの人だから、そりゃお前さんを扱うこたあ、よく知っているんだろう。」
「ああ、ただもう家名を傷《きずつ》けないようにって、耳|懊《うるさ》く言って聞かせるのよ。堅い奴だが、おいら嫌いじゃあねえ。」
「ふむ、それでお前さん、盗賊《どろぼう》をすりゃ世話は無いじゃあないか。」と言って、心ありげに淋しい笑《えみ》を含んだのである。
「おいら何もこれを盗って、儲けようというんじゃあなし、ただ遊んで楽《たのし》むんだあな。犬猫を殺すのも狩をするのも同一《おんなじ》こッた。何、知れりゃ華族だ、無断に品物を取って来た、代価は幾干《いくら》だ、好《すき》な程払ってやるまでの事じゃあねえか。」
「あんな気だから納まらないよ。ほんとに私もあの時分に心得違いをしていたから、見処のあるお前さん、立派な悪党に仕立ててみようと、そう思ったんだがね。滝さんお聞き、蛇がその累々《つぶつぶ》した鱗《うろこ》を立てるのを見ると気味が悪いだろう、何さ、恐《こわ》くはないまでも、可い心持はしないもんだ。蟻でも蠅でも、あれがお前、万と千と固《かたま》っていてみな、厭《いや》なもんだ。松の皮でもこう重《かさな》り重りして堆《うずだか》いのを見るとね、あんまり難有《ありがた》いもんじゃあない、景色の可い樹立《こだち》でも、あんまり茂ると物凄《ものすご》いさ。私ゃもう疾《とう》にからそこへ気が着いて厭になって、今じゃ堅気になっているよ。ね、お前さん、厭な姿は、蛇が自分でも可い心持じゃあなかろうではないか。蚊でも蚤《のみ》でも食ったのが、ぶつぶつ一面に並んでみな、自分の体でも打棄《うっちゃ》りたいやな。私ゃこうやってお前さんがここに盗んだものを並べてあるのを見ると、一々動くようで蛇の鱗だと思って、悚然《ぞっ》とした。」

       三十九

「野暮は言わない、私だって何も素人じゃあなし、お前さんの病な事も知ってるから、今めかしい意見をするんじゃないが、世の中にゃもッと面白い盗賊《どろぼう》のしようがありそうなもんじゃないか。時計だの、金だの、お前さんが嬉しがって手柄そうにここに並べて置くものは、こりゃ何だい! 私に言わせると吝《けち》さ、端《はした》のお鳥目でざら幾干《いくら》でもあるもんだ。金剛石《ダイヤモンド》だって、高々人間が大事がって秘《しま》っておくもんだよ、慾《よく》の固《かたまり》だね。金と灰吹は溜《たま》るほど汚いというが、その宝を盗んで来るのは、塵芥溜《ごみため》から食べ荒しをほじくり出す犬と同一《おんなじ》だね、小汚ない。
 そんなことより滝さん、もっと立派な、日本晴《にっぽんばれ》の盗賊《どろぼう》がありやしないかしら。
 主の棲《す》む淵《ふち》といえば誰も入ったものはあるまい。昔から人の入らない処なら、中にまたどんな珍らしい不思議なものがあろうも知れない。譬《たとえ》にも竜《りゅう》の※[#「月+咢」、第3水準1−90−51]《あご》には神様のような綺麗な珠があるというよ。何そんなものばかりじゃあない、世の中は広いんだ、富山にばかりも神通川も立山もあるじゃあないか。大海の中だの、人の行《ゆ》かない島などには、宝にしろ景色にしろ、どんな結構なものがあろうも知れぬ、そして見つかれば大びらに盗んで可いのさ。
 ただそれは難かしい。島へ行くには船もいろうし、山の奥へ入るには野宿だってしなけりゃならない。お前さんはお金子《かね》が自由だろう、我儘《わがまま》が出来るじゃあないか。気象はその通《とおり》だし、胆玉《きもたま》は大《おおき》いし、体は鍛えてある、まあ、第一、その目つきが容易じゃあない。火に焼《やか》れず、水に溺れずといったような好運があるようだ。好《すき》なことが何でも出来るッて、母様《おっかさん》が折紙をつけて下すった体だよ、私が見ても違いはないね。
 金目の懸《かか》った宝なんざ、人が大切がって惜しむもので、歩るくにも坐るにも腰巾着《こしぎんちゃく》につけていようが、鎖《じょう》を下ろしておこうが、土の中へ埋めてあろうが、私等が手にゃあお茶の子さ。考えて御覧、どんなに厳重にして守ったって、そりゃ人間の猿智慧《さるぢえ》でするこッた、現にお前さん、多勢黒山のような群集の中で、その観音様を一人で引揚げて来たじゃあないか。人の大事にするものを取って来るのは何でもないが、私がいう宝物は、山の霊、水の精、また天道様が大事に遊ばすものもあろう。人は誰も咎《とが》めないが、迂濶《うかつ》にお寄越《よこ》しはなさらない、大風で邪魔をするか、水で妨げるか、火で遮るか。恐い獣《けだもの》に守らしておきもしようし、真暗《まっくら》な森で包んであろうも知れず、地獄谷とやら、こんな恐い音のする、その立山の底に秘《か》くしてあるものもあろう。近い処が、お前さんが前刻《さっき》お話の、その黒百合というものだ、つい石滝とかの山を奥へ入るとあるッていうのに、そら、昔から人が足蹈《あしぶみ》をしない処で、魔処だ。入っちゃあならない、真暗だ、天窓《あたま》が石のような可恐《おそろし》い猿が居る、それが主だというじゃあないか。この国中|捌《さば》いてる知事の嬢さんが欲しくっても、金でも権柄《けんぺい》ずくでも叶《かな》わないというだろう。滝さんどうだね、そんなものを取って来ちゃあ。
 一番《ひとつ》何でもそういったものを、どしどし私たちが頂戴をすることにしようじゃないか。私ばかりでない、まだ同一《おんなじ》心の者が、方々に隠れている、その苧環《おだまき》の糸を引張ってさ、縁のあるものへ結びつけて、人間の手で網を張ろうという意《つもり》でね、こうやって方々歩いている。何、私なんざ、ほんの手先の小使だ、幾らも、お前さんの相談相手があるんだから、奮発をしてお前さん、連判状の筆頭につかないか。」
 意気八荒を呑む女賊は、その花のごとき唇から閃《ひらめ》いてのぼる毒炎を吐いた。洞穴《ほらあな》の中に、滝太郎が手なる燈《ともしび》の色はやや褪《あ》せたと見ると、件《くだん》の可恐《おそろし》い響《ひびき》は音絶《とだ》えるがごとく、どうーどうーどうーと次第に遠ざかって、はたと聞えなくなったようである。

       四十

「もう夜明だ、姉や、分ったい、うむ、早く出よう。そして、おいらもう、この穴へは入るまい。」
 滝太郎は決然として答えた。お兼は嬉しげに手を取って、
「滝さん、それでこそお前さんだ、ああ、富山じゃあ良《い》い事をした、お庇様《かげさま》で発程栄《たちばえ》がする。」
「お前《めえ》、もうちっとこっちに居てくんねえな。おいら勝手に好《すき》な真似はしてるけれど、友達も何《なんに》もありゃしないやな。本当は心細くッて、一向|詰《つま》らないんだぜ。」
「気の弱いことをいうもんじゃあない、私はこれから加州へ行って、少し心|当《あたり》があるんだし、あそこへは先へ行って待合わせている者がある。そうしちゃあいられないんだから、また逢おうよ。そしてお前さんの話をして、仲間の者を喜ばせよう。何の、味方にしようと思えば、こっちのものなんざ皆《みんな》味方さ。不残《のこらず》敵になったって難かしい事はないのだもの。」
「うむ、そんならそうよ。」と頷《うなず》いて身を開いた、滝太郎は今|森《しん》として響《ひびき》も止《や》んだ洞穴の中に耳を澄したが、見る見る顔の色が動いて、目が光った。
「や、山の上で蜩《ひぐらし》が鳴かあ、ちょッ、あいつが二三度鳴くと、直ぐに起きやあがる。花屋の女は早起だ、半日ここに居て耐《たま》るもんかい。」
 ふッと燈《あかし》を消すと同時に、再びお兼の手をしっかと取って、
「姉や、大丈夫だ、暗い内に、急いで。さあ、」
 温泉《ゆ》の口なる、花室の露を掻潜《かいくぐ》って、山の裾へ出ると前後《あとさき》になり、藪《やぶ》について曲る時、透かすと、花屋が裏庭に、お雪がまだ色も見え分かぬ、朝まだき、草花の中に、折取るべき一個《ひとつ》の籠《かご》を抱いて、しょんぼりとして立っていた。髪|艶《つやや》かに姿白く、袖もなえて、露に濡れたような風情。推するに渠《かれ》は若山の医療のために百金を得まく、一輪の黒百合を欲して、思い悩んでいるのであろう。南天の下に手水鉢《ちょうずばち》が見えるあたりから、雨戸を三枚ばかり繰った、奥が真四角《まッしかく》に黒々と見えて、蚊帳の片端の裾が縁側へ溢《あふ》れて出ている。ト見る時、また高らかに蜩《ひぐらし》が鳴いた。
「そらね、あれだから。」
 と苦笑する。滝太郎と囁《ささや》き合い、かかることに馴《な》れて忍《しのび》の術を得たるごとき両個の人物は、ものおもうお雪が寝起《ねおき》の目にも留まらず、垣を潜《くぐ》って外へ出ると、まだ閉切ってある、荒物屋の小店の、燻《くすぶ》った、破目《やれめ》や節穴の多い板戸の前を抜けて、総井戸の釣瓶《つるべ》がしとしとと落つる短夜の雫《しずく》もまだ切果《きれは》てず、小家がちなる軒に蚊の声のあわただしい湯の谷を出て、総曲輪まで一条《ひとすじ》の径《こみち》にかかり、空を包んだ木の下に隠れて見えなくなった。
「それじゃあ滝さん、もう、ここから帰っておくれ、ちょうど人目にもかからないで済んだ。」
 早朝《あさまだき》町はずれへ来て、お兼は神通川に架した神通橋の袂《たもと》で立停《たちどま》ったのである。雲のごときは前途《ゆくて》の山、煙《けぶり》のようなは、市中《まちなか》の最高処にあって、ここにも見らるる城址《しろあと》の森である。名にし負う神通二百八間の橋を、真中《まんなか》頃から吹断《ふきた》って、隣国の方へ山道をかけて深々と包んだ朝靄《あさもや》は、高く揚って旭《あさひ》を遮り、低く垂れて水を隠した。色も一様の東雲《しののめ》に、流《ながれ》の音はただどうどうと、足許《あしもと》に沈んで響く。
 お兼は立去りあえず頭《かしら》を垂れたが、つと擬宝珠《ぎぼうし》のついた、一抱《ひとかかえ》に余る古びた橋の欄干に目をつけて、嫣然《えんぜん》として、振返って、
「ちょいと滝さん、見せるものがある。ね、この欄干を御覧、種々《
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