ないから、小腰を屈《かが》めて、
「お嬢様、例《いつぞ》の花売の娘が参っております。若様、もうお忘れ遊ばしたでしょう、冷水《おひや》は毒でございますよ。」

       七

 場末ではあるけれども、富山で賑《にぎや》かなのは総曲輪《そうがわ》という、大手先。城の外壕《そとぼり》が残った水溜《みずたまり》があって、片側町に小商賈《こあきゅうど》が軒を並べ、壕に沿っては昼夜交代に露店《ほしみせ》を出す。観世物《みせもの》小屋が、氷店《こおりみせ》に交《まじ》っていて、町外《まちはずれ》には芝居もある。
 ここに中空を凌《しの》いで榎《えのき》が一本、梢《こずえ》にははや三日月が白く斜《ななめ》に懸《かか》った。蝙蝠《こうもり》が黒く、見えては隠れる横町、総曲輪から裏の旅籠町《はたごまち》という大通《おおどおり》に通ずる小路を、ひとしきり急足《いそぎあし》の往来《ゆきき》があった後へ、もの淋《さみ》しそうな姿で歩行《ある》いて来たのは、大人しやかな学生風の、年配二十五六の男である。
 久留米の蚊飛白《かがすり》に兵児帯《へこおび》して、少し皺《しわ》になった紬《つむぎ》の黒の紋着《もんつ
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