《いた》る処俺が例の観察をして突留めた奴の家《うち》には、必ず、門札の下へ、これで、ちょいとな。」
「ふん、はてね。」
「貴様今見たか、あれじゃ、あの形じゃ。目立たぬように丸い輪を付けておくことにしたんじゃ。」
「御趣向だね。」
「どうだ、今の家《うち》には限らずな、どこでも可《よ》いぞ、あの印の付いた家を随時|窺《うかが》って見い。殊に夜な、きっと男と女とで、何かしら、演劇《しばい》にするようなことを遣っとるわ。」

       十四

 多磨太は言懸けて北叟笑《ほくそえ》み、
「貴様も覚えておいてちと慰みに覗《のぞ》いて見い。犬川でぶらぶら散歩して歩いても何の興味もないで、私《わし》があの印を付けておく内は不残《のこらず》趣味があるわい。姦通かな、親々の目を盗んで密会するかな、さもなけりゃ生命《いのち》がけで惚《ほ》れたとか、惚れられたとかいう奴等、そして男の方は私等《わしら》構わんが、女どもはいずれも国色じゃで、先生|難有《ありがた》いじゃろ。」
 ぎろりとした眼で島野を見ると、紳士は苦笑して、
「変ったお慰《なぐさみ》だね、よくそして見付けますなあ。」
「ははあ、なんぞ必ずしも多く労するを用いん。国民皆|堕落《だらく》、優柔|淫奔《いんぽん》になっとるから、夜分なあ、暗い中へ足を突込《つッこ》んで見い。あっちからも、こっちからも、ばさばさと遁出《にげだ》すわ、二疋ずつの、まるでもって※[#「虫+奚」、第3水準1−91−59]※[#「虫+斥」、第3水準1−91−53]《ばった》蟷螂《かまきり》が草の中から飛ぶようじゃ。其奴《そいつ》の、目星い処を選取《えりと》って、縦横に跡を跟《つ》けるわい。ここぞという極めが着いた処で、印を付けておくんじゃ。私《わし》も初手の内は二軒三軒と心覚えにしておいたが、蛇《じゃ》の道は蛇《へび》じゃ、段々その術に長ずるに従うて、蔓《つる》を手繰るように、そら、ぞろぞろ見付かるで。ああ遣って印をして、それを目的《めあて》にまた、同好の士な、手下どもを遣わす、巡査、探偵などという奴が、その喜ぶこと一通《ひととおり》でないぞ。中には夜行をするのに、あの印ばかり狙《ねら》いおる奴がある。ぐッすり寐込《ねこ》んででもいようもんなら、盗賊《どろぼう》が遁込《にげこ》んだようじゃから、なぞというて、叩き起して周章《あわ》てさせる。」
「酷《ひど》いことを!」
 島野は今更のように多磨太の豪傑|面《づら》を瞻《みまも》った。
「何《な》に其等《そいら》はほんの前芸じゃわい。一体何じゃぞ、手下どもにも言って聞かせるが、野郎と女と両方夢中になっとる時は常識を欠いて社会の事を顧みぬじゃから、脱落《ぬかり》があってな、知らず知らず罪を犯しおるじゃ。私《わし》はな、ただ秘密ということばかりでも一種立派な罪悪と断ずるで、勿論市役所へ届けた夫婦には関係せぬ。人の目を忍ぶほどの中の奴なら、何か後暗いことをしおるに相違ないでの。仔細《しさい》に観察すると、こいつ禁錮《きんこ》するほどのことはのうても、説諭位はして差支えないことを遣っとるから、掴《つか》み出して警察で発《あば》かすわい。」
「大変だね。」
「発くとの、それ親に知れるか、亭主に知れるか、近所へ聞える。何でも花火を焚《た》くようなもので、その途端に光輝天に燦爛《さんらん》するじゃ。すでにこないだも東の紙屋の若い奴が、桜木町である女と出来合って、意気事を極《き》めるちゅうから、癪《しゃく》に障ってな、いろいろ験《しら》べたが何事もないで、為方《しかた》がない、内に居る母親《おふくろ》が寺|参《まいり》をするのに木綿を着せて、汝《うぬ》が傾城買《じょろうかい》をするのに絹を纏《まと》うのは何たることじゃ、という廉《かど》をもって、説諭をくらわした。」
「それで何かね、警察へ呼出しかね。」
「ははあ、幾ら俺が手下を廻すとって、まさかそれほどの事では交番へも引張《ひっぱ》り出せないで、一名制服を着けて、洋刀《サアベル》を佩《お》びた奴を従えて店前《みせさき》へ喚《わめ》き込んだ。」
「おやおや、」
「何、喧嘩をするようにして言って聞かせても、母親《おふくろ》は昔|気質《かたぎ》で、有るものを着んのじゃッて。そんなことを構うもんか、こっちはそのせいで藁草履《わらぞうり》を穿《は》いて歩いてる位じゃもの。」
 さなり、多磨太君の藁草履は、人の跡を跟《つ》けるのに跫音《あしおと》を立てぬ用意である。

       十五

「それからの、山田下の植木屋の娘がある、美人じゃ。貴様知ってるだろう、あれがな、次助というて、近所の鋳物師の忰《せがれ》と出来た。先月の末、闇《やみ》の晩でな、例のごとく密行したが、かねて目印の付いてる部じゃで、密《そっ》と裏口へ廻ると、木戸が開いていたから
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