らわし》。
 片側の商店《あきないみせ》の、夥《おびただ》しい、瓦斯《がす》、洋燈《ランプ》の灯と、露店のかんてらが薄くちらちらと黄昏《たそがれ》の光を放って、水打った跡を、浴衣着、団扇《うちわ》を手にした、手拭を提げた漫歩《そぞろあるき》の人通、行交《ゆきちが》い、立換《たちかわ》って賑《にぎや》かな明《あかる》い中に、榎の梢《こずえ》は蓬々《ほうほう》としてもの寂しく、風が渡る根際に、何者かこれ店を拡げて、薄暗く控えた商人《あきんど》あり。
 ともすると、ここへ、痩枯《やせが》れた坊主の易者が出るが、その者は、何となく、幽霊を済度しそうな、怪しい、そして頼母《たのも》しい、呪文を唱える、堅固な行者のような風采《ふうさい》を持ってるから、衆《ひと》の忌む処、かえって、底の見えない、霊験ある趣を添えて、誰もその易者が榎の下に居るのを怪しまぬけれども、今夜のはそれではない。
 今灯を点《つ》けたばかり、油煙も揚らず、かんてらの火も新しい、店の茣蓙《ござ》の端に、汚れた風呂敷を敷いて坐り込んで、物|馴《な》れた軽口で、
「召しませぬか、さあさあ、これは阿蘭陀《オランダ》トッピイ産の銀流し、何方《どなた》もお煙管《きせる》なり、お簪《かんざし》なり、真鍮《しんちゅう》、銅《あかがね》、お試しなさい。鍍金《めっき》、ガラハギをなさいましても、鍍金、ガラハギは、鍍金ガラハギ、やっぱり鍍金、ガラハギは、ガラハギ。」
 と尻ッ刎《ぱね》の上調子で言って、ほほと笑った。鉄漿《かね》を含んだ唇赤く、細面で鼻筋通った、引緊《ひきしま》った顔立の中年増《ちゅうどしま》。年紀《とし》は二十八九、三十でもあろう、白地の手拭《てぬぐい》を姉《あね》さん被《かぶり》にしたのに額は隠れて、あるのか、無いのか、これで眉が見えたらたちまち五ツばかりは若やぎそうな目につく器量。垢抜《あかぬけ》して色の浅黒いのが、絞《しぼり》の浴衣の、糊《のり》の落ちた、しっとりと露に湿ったのを懊悩《うるさ》げに纏《まと》って、衣紋《えもん》も緩《くつろ》げ、左の手を二の腕の見ゆるまで蓮葉《はすは》に捲《まく》ったのを膝に置いて、それもこの売物の広告か、手に持ったのは銀の斜子打《ななこうち》の女煙管である。
 氷店《こおりみせ》の白粉首《しろくび》にも、桜木町の赤襟にもこれほどの美なるはあらじ、ついぞ見懸けたことのない、大道店の掘出しもの。流れ渡りの旅商人《たびあきんど》が、因縁は知らずここへ茣蓙《ござ》を広げたらしい。もっとも総曲輪一円は、露店も各自《てんでん》に持場が極《きま》って、駈出《かけだ》しには割込めないから、この空地へ持って来たに違いない。それにしても大胆な、女の癖にと、珍しがるやら、怪《あやし》むやら。ここの国も物見高で、お先走りの若いのが、早や大勢。
 婦人《おんな》は流るるような瞳を廻《めぐ》らし、人だかりがしたのを見て、得意な顔色《かおつき》。
「へい、鍍金《めっき》は鍍金、ガラハギはガラハギ、品物に品が備わりませぬで、一目見てちゃんと知れる。どこへ出しても偽物《いかもの》でございますが、手前商いまする銀流しを少々、」と言いかけて、膝に着いた手を後《うしろ》へ引き、煙管を差置いて箱の中の粉を一捻《いちねん》し、指を仰向《あおむ》けて、前へ出して、つらりと見せた。
「ほんの纔《わずか》ばかり、一|撮《つま》み、手巾《ハンケチ》、お手拭の端、切《きれ》ッ屑《くず》、お鼻紙、お手許お有合せの柔かなものにちょいとつけて、」
 婦人《おんな》は絹の襤褸切《ぼろきれ》[#「襤褸切」は底本では「襤褄切」]に件《くだん》の粉を包んで、俯向《うつむ》いて、真鍮の板金を取った。
 お掛けなさいまし、お休みなさいましと、間近な氷店で金切声。夜芝居《よしばい》の太鼓、どろどろどろ、遥《はるか》に聞える観世物《みせもの》の、評判、評判。

       十一

「訳のないこと、子供|衆《しゅ》でも誰でも出来る。ちょいと水をつけておいて、柔かにぐいぐいとこう遣《や》りさえすりゃ、あい、鷹《たか》化して鳩《はと》となり、傘《からかさ》変わって助六となり、田鼠《でんそ》化して鶉《うずら》となり、真鍮変じて銀となるッ。」
「雀入海中為蛤《すずめかいちゅうにいってはまぐりとなる》か。」と、立合の中《うち》から声を懸けるものがあった。
 婦人《おんな》はその声の主《ぬし》を見透そうとするごとく、人顔をじろりと見廻わし、黙って莞爾《にっこり》して、また陳立《のべた》てる。
「さあさあ召して下さい、召して下さいよ。御当地は薬が名物、津々浦々までも効能が行渡るんでございますがね、こればかりは看板を掛けちゃ売らないのですよ。一家秘法の銀流《ぎんながし》、はい、やい、お立合のお方は御遠慮なく、お持合せ[#「
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