》に障ったから、おいらあな、」
 活気は少年の満面に溢《あふ》れて、蒼然《そうぜん》たる暗がりの可恐《おそろ》しい響《ひびき》の中に、灯はやや一条《ひとすじ》の光を放つ。

       三十七

「晩方で薄暗かったし、鼻と鼻と打《ぶ》つかっても誰だか分らねえような群衆だから難かしいこたあねえ。一番驚かしてやろうと思って、お前《めえ》、真直《まっすぐ》に出た。いきなり突立《つった》って、その仏像を帳《とばり》の中から引出したんだから乱暴なこたあ乱暴よ。媼《ばあ》やゆっくり拝みねえッて、掴《つか》みかかった坊主を一人|引捻《ひんねじ》って転《の》めらせたのに、片膝を着いて、差つけて見せてやった。どうして耐《たま》ったもんじゃあねえ。戦争の最中に支那《ちゃん》が小児《こども》を殺したってあんな騒《さわぎ》をしやあしまい。たちまち五六人血眼になって武者振つくと、仏敵だ、殺せと言って、固めている消防夫《しごとし》どもまで鳶口《とびぐち》を振って駈《か》け着けやがった。」
 光景の陰惨なのに気を打たれて、姿も悄然《しょうぜん》として淋しげに、心細く見えた女賊は、滝太郎が勇しい既往の物語にやや色を直して、蒼白《あおじろ》い顔の片頬《かたほ》に笑《えみ》を湛《たた》えていたが、思わず声を放って、
「危いねえ!」
「そんなこたあ心得てら。やい、おいらが手にゃあ仏様持ってるぜ、手を懸けられるなら懸けてみろッて、大《おおき》な声で喚《わめ》きつけた。」
「うむ、うむ、」とばかりお兼は嬉しそうに頷《うなず》いて聞くのである。
「おいらが手で持ってさいその位騒ぐ奴等だ、それをお前こっちへ掴んでるからうっかり手出《てだし》ゃならねえやな。堂の中は人間の黒山が崩れるばかり、潮が湧《わ》いたようになってごッた返す中を、仏様を振廻しちゃあ後へ後へと退《さが》って、位牌堂《いはいどう》へ飛込んで、そこからお前壁の隅ン処を突き破って、墓原へ出て田圃《たんぼ》へ逃げたぜ。その替り取れようとも思わねえ大変なものをやッつけた。今でもお前、これを盗まれたとってどの位探してるか知れねえよ。富山の家《うち》が五六百焼けたってあんなじゃあるめえと思う位、可い心持じゃあねえか。姉や、それだがね、おらあこんなことを遣ってからはじめてだ、実は恐《こわ》かった、殺されるだろうと思ったよ。へん、おいらアのせいじゃないぜ、大丈夫知れッこなしだ、占めたもんだい、この分じゃあ今に見ねえ、また大仕事をやらかしてやらあな。」
 血も迸《ほとば》しらんばかり壮《さかん》だった滝太郎の面《おもて》を、つくづく見て、またその罪の数を※[#「目+句」、第4水準2−81−91]《みまわ》して、お兼はほっという息を吐《つ》いた。
 歎息《ためいき》して、力なげにほとんどよろめいたかと見えて、後《うしろ》ざまに壁のごとき山腹の土に凭《もた》れかかり、
「滝さん、まあ、こうやって、どうする意《つもり》だねえ。いいえ、知ってるさ。私だって、そうだったが、殊にお前さん銭金《ぜにかね》に不自由はなし、売ってどうしようというんじゃあない、こりゃ疾《やまい》なんだ。どうしても止《や》められやしないんだろうね。」
 言うことは白魚のお兼である。滝太郎は可怪《あやし》い目をして、
「誰がお前、これを止しちゃッて何がつまるもんか。おらあ時とすると筵《むしろ》を敷いて、夜一夜《よッぴて》この中で寝て帰ることがある位だ。見ねえ、おい、可い心持じゃあねえか、人にも見せてやりたくッてしようがねえんだけれど、下らない奴に嗅《かぎ》つけられた日にゃ打破《ぶちこわ》しだから、ああ、浅草で別れた姉やぐらいなのがあったらと、しょッちゅう思っていねえこたあなかったよ。おいら一人も友達は拵《こせ》えねえんだ、総曲輪でお前に、滝やッて言われた時にゃあ、どんなに喜んだと思うんだ、よく見て誉《ほ》めてくんねえな。」
 ずッと寄ると袖を開いて、姉御は何と思ったか、滝太郎の頸《うなじ》を抱いて、仰向《あおむき》の顔を、
「どれ、」
 燈《ともし》は捧げられた、二人はつくづくと目を見合せたのであった。お兼は屹《きっ》と打守って、
「滝さん、お前さんは自分の目がどんなに立派なものだか知ってるかね。」

       三十八

「お前さんの母様《おっかさん》が亡《なく》なんなすった時も、お前にゃあ何でもしたいことが出来るからってとお言いだったと聞いちゃあいたがね、まあ、随分思切ったこったね。何かい、ここで寝ることがあるのかい。」
「ああ、あの荒物屋の媼《ばば》っていうのが、それが、何よ、その清全寺で仏像の時の媼なんだから、おいらにゃあ自由が利くんだ。邸《やしき》からじゃあ面倒だからね、荒物屋を足溜《あしだまり》にしちゃあ働きに出るのよ。それでも何や彼《か》や出入に
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