はしない。ただそうですか済みませんとばかり、人前では当らず障らずに挨拶をして、滝や、滝やと不断の通り優《やさ》しい声。
 それもその筈《はず》、滝は他に向って乱暴|狼藉《ろうぜき》[#ルビの「ろうぜき」は底本では「ろうせき」]を極め、憚《はばか》らず乳虎《にゅうこ》の威を揮《ふる》うにもかかわらず、母親の前では大《おおき》な声でものも言わず、灯頃《ひともしころ》辻の方に母親の姿が見えると、駆出して行って迎えて帰る。それからは畳を歩行《ある》く跫音《あしおと》もしない位、以前の俤《おもかげ》の偲《しの》ばるる鏡台の引出《ひきだし》の隅に残った猿屋の小楊枝《こようじ》の尖《さき》で字をついて、膝も崩さず母親の前に畏《かしこま》って、二年級のおさらいをするのが聞える。あれだから母親《おッかさん》は本当にしないのだと、隣近所では切歯《はがみ》をしてもどかしがった。
 学校は私立だったが、先生はまたなく滝太郎を可愛がって、一度同級の者と掴合《つかみあい》をして遁《に》げて帰って、それッきり、登校しないのを、先生がわざわざ母親の留守に迎《むかい》に来て連れて行って、そのために先生は他《ほか》の生徒の父兄等に信用を失って、席札は櫛《くし》の歯の折れるように透いて無くなったが、あえて意《こころ》にも留めないで、ますます滝太郎を愛育した。いかにか見処《みどころ》があったのであろう。

       三十一

 しかるに先生は教うるにいかなる事をもってしたのであるか、まさかに悪智慧《わるぢえ》を着けはしまい。前年その長屋の表町に道普請があって、向側へ砂利を装上《もりあ》げたから、この町を通る腕車荷車は不残《のこらず》路地口の際を曳《ひ》いて通ることがあった。雨が続いて泥濘《ぬかるみ》になったのを見澄して、滝太が手で掬《すく》い、丸太で掘って、地面を窪《くぼ》めておき、木戸に立って車の来るのを待っていると、窪《くぼみ》は雨溜《あめだまり》で探りが入《い》らず、来るほどの車は皆輪が喰い込んで、がたりとなる。さらぬだに持余すのにこの陥羂《おとしわな》に懸《かか》っては、後へも前《さき》へも行くのではないから、汗になって弱るのを見ると、会心の笑《えみ》を洩《も》らして滝太、おじさん押してやろう、幾干《いくら》かくんねえ、と遣ったのである。自から頼む所がなくなってはさる計《はかりごと》もしはせま
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