思うが可いさ。」
法学生の堕落したのが、上部を繕ってる衣を脱いだ狼と、虎とで引挟《ひっぱさ》み、縛って宙に釣ったよりは恐しい手籠《てごめ》の仕方。そのまま歩き出した、一筋路。少《わか》い女を真中《まんなか》に、漢《おのこ》が二人要こそあれと、総曲輪の方から来かかって歩《あゆみ》を停《とど》め、間《あわい》を置いて前屈《まえかが》みになって透かしたが、繻子《しゅす》の帯をぎゅうと押えて呑込んだという風で、立直って片蔭に忍んだのは、前夜|榎《えのき》の下で、銀流《ぎんながし》の粉を売った婦人《おんな》であった。
お雪は呼吸《いき》さえ高うはせず、気を詰めて、汗になって、
「まあ、この手を放して、ねえ、手を放して、」と漫《そぞろ》である。
「可いわ、放すから遁《に》げちゃあならんぞ、」
「何、逃げれば、捕《つかま》える分のことさ、」
あらかじめ因果を含めたからと、高を括《くく》って、手を放すと半ば夢中、身を返して湯の谷の方へ走ろうとする。
「やい、汝《うぬ》!」
藁草履を蹴立てて飛着いて、多磨太が暗まぎれに掻掴《かいつか》む、鉄拳《かなこぶし》に握らせて、自若として、少しも騒がず、
「色男!」といって呵々《からから》と笑ったのは、男の声。呆れて棒立になった多磨太は、余りのことにその手を持ったまま動かず、ほとんど無意識に窘《すく》んだ。
「島野か、そこに居るのは。島野、おい、島野じゃないか。」
紳士はぎょっとして、思わず調子はずれに、
「誰《だ》、誰です。」
「己《おいら》だ、滝だよ。おい、ちょいと誰だか手を握った奴があるぜ。串戯《じょうだん》じゃあない、気味が悪いや、そういってお前放さしてくんな。おう、後生大事と握ってやがらあ。」
先刻《さっき》荒物屋の納戸で、媼《おうな》と蚊の声の中に言《ことば》を交えた客はすなわちこれである。媼は、誰とも、いかなる氏素性の少年とも弁えぬが、去年秋銃猟の途次《みちすがら》、渋茶を呑みに立寄って以来、婆や、家《うち》は窮屈で為方《しかた》がねえ、と言っては、夜昼|寛《くつろ》ぎに来るので、里の乳母のように心安くなった。ただ風変りな貴公子だとばかり思ってはいるが、――その時お雪が島野に引出されたのを見て、納戸へ転込《ころげこ》んで胸を打って歎くので、一人の婦人《おんな》を待つといって居合わせたのが、笑いながら駆出して湯の谷から救
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