問に応ずべき、経験と知識とを有しているので、
「はい、石滝《いわたき》の奥には咲くそうでござります。」
 若山は静かに目を眠ったまま、
「どんな処ですか。」
「蛍の名所なのね。」とお雪は引取る。
「ええ、その入口迄は女子供も参りまする、夏の遊山場でな、お前様。お茶屋も懸《かか》っておりまするで、素麺《そうめん》、白玉、心太《ところてん》など冷物《ひやしもの》もござりますが、一坂越えると、滝がござります。そこまでも夜分参るものは少い位で、その奥山と申しますと、今身を投げようとするものでも恐がって入りませぬ。その中でなければ無いと申しますもの、とても見られますものではござりますまい。」婆さんは言って、蚊遣を煽《あお》ぐ団扇の手を留めて、その柄を踞《つくば》った膝の上にする。
「それでは滝があって蛍の名所、石滝という処は湿地だと見えるね。」
「それはもう昼も夜も真暗《まっくら》でござります。いかいこと樹が茂って、満月の時も光が射《さ》すのじゃござりませぬ。
 一体いつでも小雨が降っておりますような、この上もない陰気な所で、お城の真北《まッきた》に当りますそうな。ちょうどこの湯の谷とは両方の端で、こっちは南、田※[#「なべぶた/(田+久)」、264−5]《たんぼ》も広々としていつも明《あかる》うござりますほど、石滝は陰気じゃで、そのせいでもござりましょうか、評判の魔所で、お前様、ついしか入ったものの無事に帰りました例《ためし》はござりませぬよ。」
「その奥に黒百合があるんですッて、」お雪は婆さんの言《ことば》を取って、確めてこれを男に告げた。
 若山はややあって、
「そりゃきっとあるな、その色といい、形といい、それからその昔からの言い伝《つたえ》で、何か黒百合といえば因縁事の絡《まつ》わった、美しい、黒い、艶《つや》を持った、紫色の、物凄《ものすご》い、堅い花のように思われるのに、石滝という処は、今の談《はなし》では、場処も、様子もその花があって差支えないと考える。もっとも有ることはあるのだから、大方黒百合が咲いてるだろう。夏月《かげつ》花ありという時節もちょうど今なんだけれども、何かね、本当にあるものなら、お前さん、その嬢さんに頼まれたから、取りにでも行《ゆ》こうというのか。」と落着いて尋ねて、渠《かれ》は気遣わしく傾いた。
「…………」お雪はふとその答に支《つか》えたが
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