おくんな。」
「結構じゃありませんかね。」
「お銭《あし》がなくっちゃあ不可《いけ》ねえか、ここにゃ持っていねえんだが、可《よ》かったらつけてくんねえ。後で持たして寄越《よこ》すぜ。」
 と真顔でいう、言葉つき、顔形、目の中《うち》をじっと見ながら、
「そんな吝《けち》じゃアありませんや。お望《のぞみ》なら、どれ、附けて上げましょう。」と婦人《おんな》は切の端に銀流を塗《まぶ》して、滝太郎の手を密《そっ》と取った。
「ようよう、」とまた後《うしろ》の方で、雀海中に入った時のごとき、奇なる音声を発する者あり。

       十二

「可《い》いぜ、可いぜ、沢山だ、」と滝太郎はやや有って手を引こうとする、ト指の尖《さき》を握ったのを放さないで、銀流の切《きれ》を摺着《すりつ》けながら、
「よくして上げましょう、もう少しですから。」
「沢山だよ。」
「いいえ、これだけじゃあ綺麗にはなりません。」と婦人《おんな》は急に止《や》めそうにもない。
「さあ、大変。」
「お静《しずか》に、お静に。」
「構わず、ぐっと握るべしさ、」
「しっかり頼むぜ。」
 などと立合はわやわやいうのを、澄《すま》したもので、
「口切《くちきり》の商《あきない》でございます、本磨《ほんみがき》にして、成程これならばという処を見せましょう、これから艶布巾《つやぶきん》をかけて、仕上げますから。」
「止せ。」
 滝太郎の声はやや激して、振放そうとして力を入れる。押えて動かさず、
「ま、もうちっと辛抱をなさいましな、これから裏の方を磨きましょうね。」
 婦人《おんな》はこういいつつ、ちらちらと目をつけて、指環の形、顔、服装《みなり》、天窓《あたま》から爪先《つまさき》まで、屹《きっ》と見てはさりげなく装うのを、滝太郎は独り見て取って、何か憚《はばか》る処あるらしく、一度は一度、婦人《おんな》が黒い目で睨《にら》む数の重《かさな》るに従うて、次第に暗々|裡《り》に己《おのれ》を襲うものが来《きた》り、近《ちかづ》いて迫るように覚えて、今はほとんど耐難《たえがた》くなったと見え、知らず知らず左の手が、片手その婦人《おんな》に持たれた腕に懸《かか》って、力を添えて放そうとする。肩は聳《そび》え、顔には薄く血を染めて、滝太郎は眉を顰《ひそ》めた。
「可いッてんだい。」
「お待ち!」とばかりで婦人《おんな》も商売を
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