け》ない顔をする。
 ぎょろりと目を剥《む》き、険《けん》な面《つら》で、
「これえ。」と言った。
 が、鰯《いわし》の催促をしたようで。
「今、焼いとるんや。」
 と隣室《となり》の茶の室《ま》で、女房の、その、上の姉が皺《しな》びた声。
「なんまいだ。」
 と婆《ばば》が唱《とな》える。……これが――「姫松殿《ひめまつどの》がえ。」と耳を貫く。……称名《しょうみょう》の中から、じりじりと脂肪《あぶら》の煮える響《ひびき》がして、腥《なまぐさ》いのが、むらむらと来た。
 この臭気《しゅうき》が、偶《ふ》と、あの黒表紙に肖然《そっくり》だと思った。
 とそれならぬ、姉様《あねさん》が、山賊の手に松葉燻《まつばいぶ》しの、乱るる、揺《ゆら》めく、黒髪《くろかみ》までが目前《めさき》にちらつく。
 織次は激《はげし》くいった。
「平吉、金子《かね》でつく話はつけよう。鰯《いわし》は待て。」



底本:「鏡花短篇集」岩波文庫、岩波書店
   1987(昭和62)年9月16日第1刷発行
   1999(平成11)年3月15日第19刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第十二卷」岩波書店
   19
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