た。
 殊《こと》に娘が十六七、女盛《おんなざかり》となって来た時分には、薬師様が人助けに先生様の内《うち》へ生れてござったというて、信心渇仰《しんじんかつごう》の善男善女《ぜんなんぜんにょ》? 病男病女が我も我もと詰《つ》め懸《か》ける。
 それというのが、はじまりはかの嬢様が、それ、馴染《なじみ》の病人には毎日顔を合せるところから愛想《あいそ》の一つも、あなたお手が痛みますかい、どんなでございます、といって手先へ柔かな掌《てのひら》が障《さわ》ると第一番に次作兄《じさくあに》いという若いのの(りょうまちす)が全快、お苦しそうなといって腹をさすってやると水あたりの差込《さしこみ》の留《と》まったのがある、初手《しょて》は若い男ばかりに利いたが、だんだん老人《としより》にも及ぼして、後には婦人《おんな》の病人もこれで復《なお》る、復らぬまでも苦痛《いたみ》が薄らぐ、根太《ねぶと》の膿《うみ》を切って出すさえ、錆《さ》びた小刀で引裂《ひっさ》く医者殿が腕前じゃ、病人は七顛八倒《しちてんはっとう》して悲鳴を上げるのが、娘が来て背中へぴったりと胸をあてて肩を押えていると、我慢《がまん》が出来るといったようなわけであったそうな。
 ひとしきりあの藪《やぶ》の前にある枇杷《びわ》の古木へ熊蜂《くまんばち》が来て恐《おそろ》しい大きな巣をかけた。
 すると医者の内弟子《うちでし》で薬局、拭掃除《ふきそうじ》もすれば総菜畠《そうざいばたけ》の芋《いも》も掘《ほ》る、近い所へは車夫も勤めた、下男兼帯《げなんけんたい》の熊蔵という、その頃《ころ》二十四五|歳《さい》、稀塩散《きえんさん》に単舎利別《たんしゃりべつ》を混ぜたのを瓶《びん》に盗んで、内《うち》が吝嗇《けち》じゃから見附かると叱《しか》られる、これを股引《ももひき》や袴《はかま》と一所《いっしょ》に戸棚の上に載《の》せておいて、隙《ひま》さえあればちびりちびり飲んでた男が、庭|掃除《そうじ》をするといって、件《くだん》の蜂の巣を見つけたっけ。
 縁側《えんがわ》へやって来て、お嬢様面白いことをしてお目に懸《か》けましょう、無躾《ぶしつけ》でござりますが、私《わたし》のこの手を握《にぎ》って下さりますと、あの蜂の中へ突込《つッこ》んで、蜂を掴《つか》んで見せましょう。お手が障った所だけは螫《さ》しましても痛みませぬ、竹箒《たけぼうき》で引払《ひっぱた》いては八方へ散らばって体中に集《たか》られてはそれは凌《しの》げませぬ即死《そくし》でございますがと、微笑《ほほえ》んで控える手で無理に握ってもらい、つかつかと行くと、凄《すさま》じい虫の唸《うなり》、やがて取って返した左の手に熊蜂が七ツ八ツ、羽ばたきをするのがある、脚《あし》を振うのがある、中には掴んだ指の股《また》へ這出《はいだ》しているのがあった。
 さあ、あの神様の手が障れば鉄砲玉でも通るまいと、蜘蛛《くも》の巣のように評判が八方へ。
 その頃《ころ》からいつとなく感得したものとみえて、仔細《しさい》あって、あの白痴《ばか》に身を任せて山に籠《こも》ってからは神変不思議、年を経《ふ》るに従うて神通《じんつう》自在じゃ。はじめは体を押つけたのが、足ばかりとなり、手さきとなり、果《はて》は間を隔《へだ》てていても、道を迷うた旅人は嬢様が思うままはッという呼吸《いき》で変ずるわ。
 と親仁《おやじ》がその時物語って、ご坊は、孤家《ひとつや》の周囲《ぐるり》で、猿を見たろう、蟇《ひき》を見たろう、蝙蝠《こうもり》を見たであろう、兎《うさぎ》も蛇も皆嬢様に谷川の水を浴びせられて畜生《ちくしょう》にされたる輩《やから》!
 あわれあの時あの婦人《おんな》が、蟇に絡《まつわ》られたのも、猿に抱かれたのも、蝙蝠に吸われたのも、夜中に魑魅魍魎《ちみもうりょう》に魘《おそ》われたのも、思い出して、私《わし》はひしひしと胸に当った。
 なお親仁《おやじ》のいうよう。
 今の白痴《ばか》も、件《くだん》の評判の高かった頃、医者の内《うち》へ来た病人、その頃はまだ子供、朴訥《ぼくとつ》な父親が附添《つきそ》い、髪の長い、兄貴がおぶって山から出て来た。脚に難渋《なんじゅう》な腫物《はれもの》があった、その療治《りょうじ》を頼んだので。
 もとより一室《ひとま》を借受けて、逗留《とうりゅう》をしておったが、かほどの悩《なやみ》は大事《おおごと》じゃ、血も大分《だいぶん》に出さねばならぬ、殊《こと》に子供、手を下《おろ》すには体に精分をつけてからと、まず一日に三ツずつ鶏卵《たまご》を飲まして、気休めに膏薬《こうやく》を貼《は》っておく。
 その膏薬を剥《は》がすにも親や兄、また傍《そば》のものが手を懸けると、堅《かた》くなって硬《こわ》ばったのが、めりめりと肉にくッついて取れる、ひいひいと泣くのじゃが、娘が手をかけてやれば黙《だま》って耐《こら》えた。
 一体は医者殿、手のつけようがなくって身の衰《おとろえ》をいい立てに一日延ばしにしたのじゃが三日|経《た》つと、兄を残して、克明《こくめい》な父親《てておや》は股引の膝《ひざ》でずって、あとさがりに玄関から土間へ、草鞋《わらじ》を穿《は》いてまた地《つち》に手をついて、次男坊の生命《いのち》の扶《たす》かりまするように、ねえねえ、というて山へ帰った。
 それでもなかなか捗取《はかど》らず、七日《なぬか》も経ったので、後《あと》に残って附添っていた兄者人《あにじゃびと》が、ちょうど刈入で、この節は手が八本も欲しいほど忙《いそが》しい、お天気模様も雨のよう、長雨にでもなりますと、山畠《やまばたけ》にかけがえのない、稲が腐《くさ》っては、餓死《うえじに》でござりまする、総領の私《わし》は、一番の働手《はたらきて》、こうしてはおられませぬから、と辞《ことわり》をいって、やれ泣くでねえぞ、としんみり子供にいい聞かせて病人を置いて行った。
 後には子供一人、その時が、戸長様《こちょうさま》の帳面前|年紀《とし》六ツ、親六十で児《こ》が二十《はたち》なら徴兵《ちょうへい》はお目こぼしと何を間違えたか届が五年遅うして本当は十一、それでも奥山で育ったから村の言葉も碌《ろく》には知らぬが、怜悧《りこう》な生れで聞分《ききわけ》があるから、三ツずつあいかわらず鶏卵《たまご》を吸わせられる汁《つゆ》も、今に療治の時残らず血になって出ることと推量して、べそを掻《か》いても、兄者が泣くなといわしったと、耐えていた心の内。
 娘の情《なさけ》で内と一所に膳《ぜん》を並べて食事をさせると、沢庵《たくあん》の切《きれ》をくわえて隅《すみ》の方へ引込《ひきこ》むいじらしさ。
 いよいよ明日《あす》が手術という夜は、皆寐静《みんなねしず》まってから、しくしく蚊《か》のように泣いているのを、手水《ちょうず》に起きた娘が見つけてあまり不便《ふびん》さに抱いて寝てやった。
 さて治療《りょうじ》となると例のごとく娘が背後《うしろ》から抱いていたから、脂汗《あぶらあせ》を流しながら切れものが入るのを、感心にじっと耐えたのに、どこを切違えたか、それから流れ出した血が留まらず、見る見る内に色が変って、危《あぶな》くなった。
 医者も蒼《あお》くなって、騒いだが、神の扶《たす》けかようよう生命《いのち》は取留《とりと》まり、三日ばかりで血も留ったが、とうとう腰が抜けた、もとより不具《かたわ》。
 これが引摺《ひきず》って、足を見ながら情なそうな顔をする。蟋蟀《きりぎりす》が※[#「夕」に「ふしづくり」下に「手」 178−9]《も》がれた脚《あし》を口に銜《くわ》えて泣くのを見るよう、目もあてられたものではない。
 しまいには泣出すと、外聞もあり、少焦《すこじれ》で、医者は恐《おそろ》しい顔をして睨《にら》みつけると、あわれがって抱きあげる娘の胸に顔をかくして縋《すが》るさまに、年来随分《としごろずいぶん》と人を手にかけた医者も我《が》を折って腕組《うでぐみ》をして、はッという溜息《ためいき》。
 やがて父親《てておや》が迎《むかえ》にござった、因果《いんが》と断念《あきら》めて、別に不足はいわなんだが、何分|小児《こども》が娘の手を放れようといわぬので、医者も幸《さいわい》、言訳《いいわけ》かたがた、親兄《おやあに》の心をなだめるため、そこで娘に小児《こども》を家《うち》まで送らせることにした。
 送って来たのが孤家《ひとつや》で。
 その時分はまだ一個の荘《そう》、家も小《こ》二十軒あったのが、娘が来て一日二日、ついほだされて逗留《とうりゅう》した五日目から大雨が降出《ふりだ》した。滝を覆《くつがえ》すようで小歇《おやみ》もなく家に居ながら皆簑笠《みんなみのかさ》で凌《しの》いだくらい、茅葺《かやぶき》の繕《つくろ》いをすることはさて置いて、表の戸もあけられず、内から内、隣《となり》同士、おうおうと声をかけ合ってわずかにまだ人種《ひとだね》の世に尽《つ》きぬのを知るばかり、八日を八百年と雨の中に籠《こも》ると九日目の真夜中から大風が吹出してその風の勢ここが峠《とうげ》というところでたちまち泥海《どろうみ》。
 この洪水《こうずい》で生残ったのは、不思議にも娘と小児《こども》とそれにその時村から供をしたこの親仁《おやじ》ばかり。
 おなじ水で医者の内も死絶《しにた》えた、さればかような美女が片田舎《かたいなか》に生れたのも国が世がわり、代《だい》がわりの前兆であろうと、土地のものは言い伝えた。
 嬢様は帰るに家なく、世にただ一人となって小児《こども》と一所に山に留《とど》まったのはご坊が見らるる通り、またあの白痴《ばか》につきそって行届《ゆきとど》いた世話も見らるる通り、洪水の時から十三年、いまになるまで一日もかわりはない。
 といい果てて親仁《おやじ》はまた気味の悪い北叟笑《ほくそえみ》。
(こう身の上を話したら、嬢様を不便《ふびん》がって、薪《まき》を折ったり水を汲《く》む手助けでもしてやりたいと、情が懸《かか》ろう。本来の好心《すきごころ》、いい加減な慈悲《じひ》じゃとか、情じゃとかいう名につけて、いっそ山へ帰りたかんべい、はて措《お》かっしゃい。あの白痴殿《ばかどの》の女房になって世の中へは目もやらぬ換《かわり》にゃあ、嬢様は如意《にょい》自在、男はより取って、飽《あ》けば、息をかけて獣《けもの》にするわ、殊にその洪水以来、山を穿《うが》ったこの流は天道様《てんとうさま》がお授けの、男を誘《いざな》う怪《あや》しの水、生命《いのち》を取られぬものはないのじゃ。
 天狗道《てんぐどう》にも三熱の苦悩《くのう》、髪が乱れ、色が蒼ざめ、胸が痩《や》せて手足が細れば、谷川を浴びると旧《もと》の通り、それこそ水が垂るばかり、招けば活《い》きた魚《うお》も来る、睨《にら》めば美しい木《こ》の実《み》も落つる、袖《そで》を翳《かざ》せば雨も降るなり、眉《まゆ》を開けば風も吹くぞよ。
 しかもうまれつきの色好み、殊にまた若いのが好《すき》じゃで、何かご坊にいうたであろうが、それを実《まこと》としたところで、やがて飽《あ》かれると尾が出来る、耳が動く、足がのびる、たちまち形が変ずるばかりじゃ。
 いややがて、この鯉を料理して、大胡坐《おおあぐら》で飲む時の魔神の姿が見せたいな。
 妄念《もうねん》は起さずに早うここを退《の》かっしゃい、助けられたが不思議なくらい、嬢様別してのお情じゃわ、生命冥加《いのちみょうが》な、お若いの、きっと修行をさっしゃりませ。)とまた一ツ背中を叩《たた》いた、親仁《おやじ》は鯉を提《さ》げたまま見向きもしないで、山路《やまじ》を上《かみ》の方。
 見送ると小さくなって、一座の大山《おおやま》の背後《うしろ》へかくれたと思うと、油旱《あぶらひでり》の焼けるような空に、その山の巓《いただき》から、すくすくと雲が出た、滝の音も静まるばかり殷々《いんいん》として雷《らい》の響《ひびき》。
 藻抜《もぬ》けのように立っていた、私《わし》が
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