お、お坊様《ぼうさま》。)と立顕《たちあらわ》れたのは小造《こづくり》の美しい、声も清《すず》しい、ものやさしい。
 私《わし》は大息を吐《つ》いて、何にもいわず、
(はい。)と頭《つむり》を下げましたよ。
 婦人《おんな》は膝《ひざ》をついて坐《すわ》ったが、前へ伸上《のびあが》るようにして、黄昏《たそがれ》にしょんぼり立った私《わし》が姿を透《す》かして見て、
(何か用でござんすかい。)
 休めともいわずはじめから宿の常世《つねよ》は留守《るす》らしい、人を泊《と》めないときめたもののように見える。
 いい後《おく》れてはかえって出そびれて頼むにも頼まれぬ仕誼《しぎ》にもなることと、つかつかと前へ出た。
 丁寧《ていねい》に腰を屈《かが》めて、
(私は、山越で信州へ参ります者ですが旅籠《はたご》のございます処まではまだどのくらいでございましょう。)

     十一

(あなたまだ八里|余《あまり》でございますよ。)
(その他《ほか》に別に泊めてくれます家《うち》もないのでしょうか。)
(それはございません。)といいながら目《ま》たたきもしないで清《すず》しい目で私《わし》の顔をつ
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