高野聖《こうやひじり》
泉鏡花

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)高野聖《こうやひじり》

|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)参謀《さんぼう》本部|編纂《へんさん》の地図を

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)※[#「目」+「句」 101−3]《みまわ》している様子
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     一   

「参謀《さんぼう》本部|編纂《へんさん》の地図をまた繰開《くりひら》いて見るでもなかろう、と思ったけれども、余りの道じゃから、手を触《さわ》るさえ暑くるしい、旅の法衣《ころも》の袖《そで》をかかげて、表紙を附《つ》けた折本になってるのを引張《ひっぱ》り出した。
 飛騨《ひだ》から信州へ越《こ》える深山《みやま》の間道で、ちょうど立休らおうという一本の樹立《こだち》も無い、右も左も山ばかりじゃ、手を伸《の》ばすと達《とど》きそうな峰《みね》があると、その峰へ峰が乗り、巓《いただき》が被《かぶ》さって、飛ぶ鳥も見えず、雲の形も見えぬ。
 道と空との間にただ一人我ばかり、およそ正午《しょうご》と覚しい極熱《ごくねつ》の太陽の色も白いほどに冴《さ》え返った光線を、深々と戴《いただ》いた一重《ひとえ》の檜笠《ひのきがさ》に凌《しの》いで、こう図面を見た。」
 旅僧《たびそう》はそういって、握拳《にぎりこぶし》を両方|枕《まくら》に乗せ、それで額を支えながら俯向《うつむ》いた。
 道連《みちづれ》になった上人《しょうにん》は、名古屋からこの越前敦賀《えちぜんつるが》の旅籠屋《はたごや》に来て、今しがた枕に就いた時まで、私《わたし》が知ってる限り余り仰向《あおむ》けになったことのない、つまり傲然《ごうぜん》として物を見ない質《たち》の人物である。
 一体東海道|掛川《かけがわ》の宿《しゅく》から同じ汽車に乗り組んだと覚えている、腰掛《こしかけ》の隅《すみ》に頭《こうべ》を垂れて、死灰《しかい》のごとく控《ひか》えたから別段目にも留まらなかった。
 尾張《おわり》の停車場《ステイション》で他《ほか》の乗組員は言合《いいあわ》せたように、残らず下りたので、函《はこ》の中にはただ上人と私と二人になった。
 この汽車は新橋を昨夜九時半に発《た》って、今夕《こんせき》敦賀に入ろうという、名古屋では正午《ひる》だったか
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