が、一人女《ひとりむすめ》の評判なのがなくなってからは看板を外《はず》した、けれども昔《むかし》から懇意《こんい》な者は断らず泊めて、老人《としより》夫婦が内端《うちわ》に世話をしてくれる、宜《よろ》しくばそれへ、その代《かわり》といいかけて、折を下に置いて、
(ご馳走《ちそう》は人参と干瓢ばかりじゃ。)
とからからと笑った、慎《つつし》み深そうな打見《うちみ》よりは気の軽い。
二
岐阜《ぎふ》ではまだ蒼空《あおぞら》が見えたけれども、後は名にし負う北国空、米原《まいばら》、長浜《ながはま》は薄曇《うすぐもり》、幽《かすか》に日が射《さ》して、寒さが身に染みると思ったが、柳《やな》ヶ瀬《せ》では雨、汽車の窓が暗くなるに従うて、白いものがちらちら交《まじ》って来た。
(雪ですよ。)
(さようじゃな。)といったばかりで別に気に留めず、仰《あお》いで空を見ようともしない、この時に限らず、賤《しず》ヶ岳《たけ》が、といって、古戦場を指した時も、琵琶湖《びわこ》の風景を語った時も、旅僧はただ頷いたばかりである。
敦賀で悚毛《おぞけ》の立つほど煩《わずら》わしいのは宿引《やどひき》の悪弊《あくへい》で、その日も期したるごとく、汽車を下《おり》ると停車場《ステイション》の出口から町端《まちはな》へかけて招きの提灯《ちょうちん》、印傘《しるしがさ》の堤《つつみ》を築き、潜抜《くぐりぬ》ける隙《すき》もあらなく旅人を取囲んで、手《て》ン手《で》に喧《かまびす》しく己《おの》が家号《やごう》を呼立《よびた》てる、中にも烈《はげ》しいのは、素早《すばや》く手荷物を引手繰《ひったく》って、へい難有《ありがと》う様《さま》で、を喰《くら》わす、頭痛持は血が上るほど耐《こら》え切れないのが、例の下を向いて悠々《ゆうゆう》と小取廻《ことりまわ》しに通抜《とおりぬ》ける旅僧は、誰《たれ》も袖を曳《ひ》かなかったから、幸いその後に跟《つ》いて町へ入って、ほっという息を吐《つ》いた。
雪は小止《おやみ》なく、今は雨も交らず乾いた軽いのがさらさらと面《おもて》を打ち、宵《よい》ながら門《かど》を鎖《とざ》した敦賀の通《とおり》はひっそりして一条二条|縦横《たてよこ》に、辻《つじ》の角は広々と、白く積った中を、道の程《ほど》八町ばかりで、とある軒下《のきした》に辿《たど》り着いたのが
前へ
次へ
全51ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング