(山したの方には大分|流行病《はやりやまい》がございますが、この水は何《なに》から、辻の方から流れて来るのではありませんか。)
(そうでねえ。)と女は何気《なにげ》なく答えた、まず嬉《うれ》しやと思うと、お聞きなさいよ。
ここに居て、さっきから休んでござったのが、右の売薬じゃ。このまた万金丹《まんきんたん》の下廻《したまわり》と来た日には、ご存じの通り、千筋《せんすじ》の単衣《ひとえ》に小倉《こくら》の帯、当節は時計を挟《はさ》んでいます、脚絆《きゃはん》、股引《ももひき》、これはもちろん、草鞋《わらじ》がけ、千草木綿《ちぐさもめん》の風呂敷包《ふろしきづつみ》の角《かど》ばったのを首に結《ゆわ》えて、桐油合羽《とうゆがっぱ》を小さく畳《たた》んでこいつを真田紐《さなだひも》で右の包につけるか、小弁慶《こべんけい》の木綿の蝙蝠傘《こうもりがさ》を一本、おきまりだね。ちょいと見ると、いやどれもこれも克明《こくめい》で分別のありそうな顔をして。
これが泊《とまり》に着くと、大形の浴衣《ゆかた》に変って、帯広解《おびひろげ》で焼酎《しょうちゅう》をちびりちびり遣《や》りながら、旅籠屋《はたごや》の女のふとった膝《ひざ》へ脛《すね》を上げようという輩《やから》じゃ。
(これや、法界坊《ほうかいぼう》。)
なんて、天窓《あたま》から嘗《な》めていら。
(異《おつ》なことをいうようだが何かね、世の中の女が出来ねえと相場がきまって、すっぺら坊主になってやっぱり生命《いのち》は欲しいのかね、不思議じゃあねえか、争われねえもんだ、姉さん見ねえ、あれでまだ未練のある内がいいじゃあねえか、)といって顔を見合せて二人でからからと笑った。
年紀《とし》は若し、お前様《まえさん》、私《わし》は真赤《まっか》になった、手に汲んだ川の水を飲みかねて猶予《ためら》っているとね。
ポンと煙管《きせる》を払《はた》いて、
(何、遠慮《えんりょ》をしねえで浴びるほどやんなせえ、生命《いのち》が危くなりゃ、薬を遣《や》らあ、そのために私《わし》がついてるんだぜ、なあ姉さん。おい、それだっても無銭《ただ》じゃあいけねえよ、憚《はばか》りながら神方《しんぽう》万金丹、一|貼《じょう》三百だ、欲しくば買いな、まだ坊主に報捨《ほうしゃ》をするような罪は造らねえ、それともどうだお前いうことを肯《き》くか。)
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