ま》の内《うち》へ生《うま》れてござつたといって、信心《しん/″\》渇仰《かつがう》の善男《ぜんなん》善女《ぜんによ》? 病男《びやうなん》病女《びやうぢよ》が我《われ》も我《われ》もと詰《つ》め懸《か》ける。
 其《それ》といふのが、はじまりは彼《か》の嬢様《ぢやうさま》が、それ、馴染《なじみ》の病人《びやうにん》には毎日《まいにち》顔《かほ》を合《あ》はせる所《ところ》から、愛相《あいさう》の一つも、あなたお手《て》が痛《いた》みますかい、甚麼《どんな》でございます、といつて手先《てさき》へ柔《やはらか》な掌《てのひら》が障《さは》ると第一番《だいいちばん》に次作兄《じさくあに》いといふ若《わか》いのゝ(りやうまちす)が全快《ぜんくわい》、お苦《くる》しさうなといつて腹《はら》をさすつて遣《や》ると水《みづ》あたりの差込《さしこみ》の留《と》まつたのがある、初手《しよて》は若《わか》い男《をとこ》ばかりに利《き》いたが、段々《だん/″\》老人《としより》にも及《およ》ぼして、後《のち》には婦人《をんな》の病人《びやうにん》もこれで復《なほ》る、復《なほ》らぬまでも苦痛《いたみ》が薄《うす》らぐ、根太《ねぶと》の膿《うみ》を切《き》つて出《だ》すさへ、錆《さ》びた小刀《こがたな》で引裂《ひツさ》く医者殿《いしやどの》が腕前《うでまへ》ぢや、病人《びやうにん》は七|顛《てん》八|倒《たう》して悲鳴《ひめい》を上《あ》げるのが、娘《むすめ》が来《き》て背中《せなか》へぴつたりと胸《むね》をあてゝ肩《かた》を押《おさ》へて居《ゐ》ると、我慢《がまん》が出来《でき》る、といつたやうなわけであつたさうな。
 一|時《しきり》彼《あ》の藪《やぶ》の前《まへ》にある枇杷《びは》の古木《ふるき》へ熊蜂《くまばち》が来《き》て可恐《おそろし》い大《おほき》な巣《す》をかけた。
 すると、医者《いしや》の内弟子《うちでし》で薬局《やくきよく》、拭掃除《ふきさうぢ》もすれば総菜畠《さうざいばたけ》の芋《いも》も堀《ほ》る、近《ちか》い所《ところ》へは車夫《しやふ》も勤《つと》めた、下男《げなん》兼帯《けんたい》の熊蔵《くまざう》といふ、其頃《そのころ》二十四五|歳《さい》、稀塩散《きゑんさん》に単舎利別《たんしやりべつ》を混《ま》ぜたのを瓶《びん》に盗《ぬす》んで、内《うち》が吝嗇《けち》ぢやから見附《みつ》かると叱《しか》られる、之《これ》を股引《もゝひき》や袴《はかま》と一|所《しよ》に戸棚《とだな》の上《うへ》に載《の》せて置《お》いて、隙《ひま》さへあればちびり/\と飲《の》んでた男《をとこ》が、庭掃除《にはさうじ》をするといつて、件《くだん》の蜂《はち》の巣《す》を見《み》つけたつけ。
 椽側《えんがは》へ遣《や》つて来《き》て、お嬢様《ぢやうさま》面白《おもしろ》いことをしてお目《め》に懸《か》けませう、無躾《ぶしつけ》でござりますが、私《わたし》の此《こ》の手《て》を握《にぎ》つて下《くだ》さりますと、彼《あ》の蜂《はち》の中《なか》へ突込《つツこ》んで、蜂《はち》を掴《つか》んで見《み》せましやう。お手《て》が障《さは》つた所《ところ》だけは刺《さ》しましても痛《いた》みませぬ、竹箒《たけばうき》で引払《ひツぱた》いては八|方《ぱう》へ散《ちらば》つて体中《からだぢう》に集《たか》られては夫《それ》は凌《しの》げませぬ即死《そくし》でございますがと、微笑《ほゝゑ》んで控《ひか》へる手《て》で無理《むり》に握《にぎ》つて貰《もら》ひ、つか/\と行《ゆ》くと、凄《すさま》じい虫《むし》の唸《うなり》、軈《やが》て取《と》つて返《かへ》した左《ひだり》の手《て》に熊蜂《くまばち》が七ツ八ツ、羽《は》ばたきをするのがある、脚《あし》を揮《ふる》ふのがある、中《なか》には掴《つか》んだ指《ゆび》の股《また》へ這出《はひだ》して居《ゐ》るのがあツた。
 さあ、那《あ》の神様《かみさま》の手《て》が障《さは》れば鉄砲玉《てツぱうだま》でも通《とほ》るまいと、蜘蛛《くも》の巣《す》のやうに評判《ひやうばん》が八|方《ぱう》へ。
 其《そ》の頃《ころ》からいつとなく感得《かんとく》したものと見《み》えて、仔細《しさい》あつて、那《あ》の白痴《ばか》に身《み》を任《まか》せて山《やま》に籠《こも》つてからは神変不思議《しんぺんふしぎ》、年《とし》を経《ふ》るに従《したが》ふて神通自在《じんつうじざい》ぢや、はじめは体《からだ》を押《お》つけたのが、足《あし》ばかりとなり、手《て》さきとなり、果《はて》は間《あひだ》を隔《へだ》てゝ居《ゐ》ても、道《みち》を迷《まよ》ふた旅人《たびゞと》は嬢様《ぢやうさま》が思《おも》ふまゝはツといふ呼吸《いき》で変《へん》ずるわ。
 と親仁《おやぢ》が其時《そのとき》物語《ものがた》つて、御坊《ごばう》は、孤家《ひとつや》の周囲《ぐるり》で、猿《さる》を見《み》たらう、蟇《ひき》を見《み》たらう、蝙蝠《かうもり》を見《み》たであらう、兎《うさぎ》も蛇《へび》も皆《みんな》嬢様《ぢやうさま》に谷川《たにがは》の水《みづ》を浴《あ》びせられて、畜生《ちくしやう》にされたる輩《やから》!
 あはれ其時《そのとき》那《あ》の婦人《をんな》が、蟇《ひき》に絡《まつは》られたのも、猿《さる》に抱《だ》かれたのも、蝙蝠《かうもり》に吸《す》はれたのも、夜中《よなか》に※[#「魅」の「未」に代えて「知」、61−5]魅魍魎《ちみまうりやう》に魘《おそ》はれたのも、思出《おもひだ》して、私《わし》は犇々《ひし/\》と胸《むね》に当《あた》つた、
 なほ親仁《おやぢ》のいふやう。
 今《いま》の白痴《ばか》も、件《くだん》の評判《ひやうばん》の高《たか》かつた頃《ころ》、医者《いしや》の内《うち》へ来《き》た病人《びやうにん》、其頃《そのころ》は未《ま》だ子供《こども》、朴訥《ぼくとつ》な父親《てゝおや》が附添《つきそ》ひ、髪《かみ》の長《なが》い、兄貴《あにき》がおぶつて山《やま》から出《で》て来《き》た。脚《あし》に難渋《なんじう》な腫物《しゆもつ》があつた、其《そ》の療治《れうぢ》を頼《たの》んだので。
 固《もと》より一|室《ま》を借受《かりう》けて、逗留《たうりう》をして居《を》つたが、かほどの悩《なやみ》は大事《おほごと》ぢや、血《ち》も大分《だいぶん》に出《だ》さねばならぬ殊《こと》に子供《こども》手《て》を下《お》ろすには体《からだ》に精分《せいぶん》をつけてからと、先《ま》づ一|日《にち》に三ツづゝ鶏卵《たまご》を飲《の》まして、気休《きやす》めに膏薬《かうやく》を張《は》つて置《お》く。
 其《そ》の膏薬《かうやく》を剥《は》がすにも親《おや》や兄《あに》、又《また》傍《そば》のものが手《て》を懸《か》けると、堅《かた》くなつて硬《こは》ばつたのが、めり/\と肉《にく》にくツついて取《と》れる、ひい/\と泣《な》くのぢやが、娘《むすめ》が手《て》をかけてやれば黙《だま》つて耐《こら》へた。
 一|体《たい》は医者殿《いしやどの》、手《て》のつけやうがなくつて、身《み》の衰《おとろへ》をいひ立《た》てに一|日《にち》延《の》ばしにしたのぢやが三|日《か》経《た》つと、兄《あに》を残《のこ》して、克明《こくめい》な父親《てゝおや》の股引《もゝひき》の膝《ひざ》でずつて、あとさがりに玄関《げんくわん》から土間《どま》へ、草鞋《わらぢ》を穿《は》いて又《また》地《つち》に手《て》をついて、次男坊《じなんばう》の生命《いのち》の扶《たす》かりまするやうに、ねえ/\、といふて山《やま》へ帰《かへ》つた。
 其《それ》でもなか/\捗取《はかど》らず、七日《なぬか》も経《た》つたので、後《あと》に残《のこ》つて附添《つきそ》つて居《ゐ》た兄者人《あにじやひと》が丁度《ちやうど》苅入《かりいれ》で、此節《このせつ》は手《て》が八|本《ほん》も欲《ほ》しいほど忙《いそが》しい、お天気《てんき》模様《もやう》も雨《あめ》のやう、長雨《ながあめ》にでもなりますと、山畠《やまはたけ》にかけがへのない稲《いね》が腐《くさ》つては、餓死《うゑじに》でござりまする、総領《さうりやう》の私《わし》は一|番《ばん》の働手《はたらきて》、かうしては居《を》られませぬから、と辞《ことわり》をいつて、やれ泣《な》くでねえぞ、としんめり子供《こども》にいひ聞《き》かせて病人《びやうにん》を置《お》いて行《い》つた。
 後《あと》には子供《こども》一人《ひとり》、其時《そのとき》が戸長様《こちやうさま》の帳面前《ちやうめんまへ》年紀《とし》六ツ、親《おや》六十で児《こ》が二十《はたち》なら徴兵《ちようへい》はお目《め》こぼしと何《なに》を間違《まちが》へたか届《とゞけ》が五|年《ねん》遅《おそ》うして本当《ほんたう》は十一、それでも奥山《おくやま》で育《そだ》つたから村《むら》の言葉《ことば》も碌《ろく》には知《し》らぬが、怜悧《りこう》な生《うまれ》で聞分《きゝわけ》があるから、三ツづつあひかはらず鶏卵《たまご》を吸《す》はせられる汁《つゆ》も、今《いま》に療治《れうぢ》の時《とき》不残《のこらず》血《ち》になつて出《で》ることゝ推量《すゐりやう》して、べそを掻《か》いても、兄者《あにじや》が泣《な》くなといはしつたと、耐《こら》へて居《ゐ》た心《こゝろ》の内《うち》。
 娘《むすめ》の情《なさけ》で内《うち》と一|所《しよ》に膳《ぜん》を並《なら》べて食事《しよくじ》をさせると、沢庵《たくわん》の切《きれ》をくわへて隅《すみ》の方《はう》へ引込《ひきこ》むいぢらしさ。
 弥《いよい》よ明日《あす》が手術《しゆじゆつ》といふ夜《よ》は、皆《みんな》寝静《ねしづ》まつてから、しく/\蚊《か》のやうに泣《な》いて居《ゐ》るのを、手水《てうづ》に起《お》きた娘《むすめ》が見《み》つけてあまりの不便《ふびん》さに抱《だ》いて寝《ね》てやつた。
 さて療治《れうぢ》となると例《れい》の如《ごと》く娘《むすめ》が背後《うしろ》から抱《だ》いて居《ゐ》たから、脂汗《あぶらあせ》を流《なが》しながら切《き》れものが入《はい》るのを、感心《かんしん》にじつと耐《こら》へたのに、何処《どこ》を切違《きりちが》へたか、それから流《なが》れ出《だ》した血《ち》が留《と》まらず、見《み》る/\内《うち》に色《いろ》が変《かは》つて、危《あぶな》くなつた。
 医者《いしや》も蒼《あを》くなつて、騒《さわ》いだが、神《かみ》の扶《たす》けか漸《やうや》う生命《いのち》は取留《とりと》まり、三|日《か》ばかりで血《ち》も留《とま》つたが、到頭《たうとう》腰《こし》が抜《ぬ》けた、固《もと》より不具《かたわ》。
 之《これ》が引摺《ひきず》つて、足《あし》を見《み》ながら情《なさけ》なさうな顔《かほ》をする、蟋蟀《きり/″\す》が※[#「怨」の「心」に代えて「手」、第4水準2−13−4]《も》がれた脚《あし》を口《くち》に啣《くは》へて泣《な》くのを見《み》るやう、目《め》もあてられたものではない。
 しまひには泣出《なきだ》すと、外聞《ぐわいぶん》もあり、少焦《すこぢれ》で、医者《いしや》は可恐《おそろし》い顔《かほ》をして睨《にら》みつけると、あはれがつて抱《だ》きあげる娘《むすめ》の胸《むね》に顔《かほ》をかくして縋《すが》る状《さま》に、年来《ねんらい》随分《ずゐぶん》と人《ひと》を手《て》にかけた医者《いしや》も我《が》を折《を》つて腕組《うでくみ》をして、はツといふ溜息《ためいき》。
 軈《やが》て父親《てゝおや》が迎《むかひ》にござつた、因果《いんぐわ》と諦《あきら》めて、別《べつ》に不足《ふそく》はいはなんだが、何分《なにぶん》小児《こども》が娘《むすめ》の手《て》を放《はな》れようといはぬので、医者《いしや》も幸《さひはひ》、言訳《いひわけ》旁《かた/″\》、
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