(世話《せわ》が焼《や》けることねえ、)
 婦人《をんな》は投《な》げるやうにいつて草履《ざうり》を突《つツ》かけて土間《どま》へついと出《で》る。
(嬢様《ぢやうさま》勘違《かんちが》ひさつしやるな、これはお前様《まへさま》ではないぞ、何《なん》でもはじめから其処《そこ》な御坊様《おばうさま》に目《め》をつけたつけよ、畜生《ちくしやう》俗縁《ぞくえん》があるだツぺいわさ。)
 俗縁《ぞくえん》は驚《おどろ》いたい。
 すると婦人《をんな》が、
(貴僧《あなた》こゝへ入《い》らつしやる路《みち》で誰《だれ》にかお逢《あ》ひなさりはしませんか。)」

         第十九

「(はい、辻《つぢ》の手前《てまへ》で富山《とやま》の反魂丹売《はんごんたんうり》に逢《あ》ひましたが、一|足《あし》前《さき》に矢張《やツぱり》此《この》路《みち》へ入《はい》りました。)
(あゝ、然《さ》う、)と会心《くわいしん》の笑《ゑみ》を洩《も》らして婦人《をんな》は蘆毛《あしげ》の方《はう》を見《み》た、凡《およ》そ耐《たま》らなく可笑《をか》しいといつた仂《はした》ない風采《とりなり》で。
 極《きは》めて与《くみ》し易《やす》う見《み》えたので、
(もしや此家《こちら》へ参《まゐ》りませなんだでございませうか。)
(否《いゝえ》、存《ぞん》じません。)といふ時《とき》忽《たちま》ち犯《をか》すべからざる者《もの》になつたから、私《わし》は口《くち》をつぐむと、婦人《をんな》は、匙《さぢ》を投《な》げて衣《きぬ》の塵《ちり》を払《はら》ふて居《ゐ》る馬《うま》の前足《まへあし》の下《した》に小《ちい》さな親仁《おやぢ》を見向《みむ》いて、
(為様《しやう》がないねえ、)といひながら、かなぐるやうにして、其《そ》の細帯《ほそおび》を解《と》きかけた、片端《かたはし》が土《つち》へ引《ひ》かうとするのを、掻取《かいと》つて一寸《ちよいと》猶予《ためら》ふ。
(あゝ、あゝ、)と濁《にご》つた声《こゑ》を出《だ》して白痴《あはう》が件《くだん》のひよろりとした手《て》を差向《さしむ》けたので、婦人《をんな》は解《と》いたのを渡《わた》して遣《や》ると、風呂敷《ふろしき》を寛《ひろ》げたやうな、他愛《たあい》のない、力《ちから》のない、膝《ひざ》の上《うへ》へわがねて宝物《はうもつ》を守護
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