お》くものだといつた、年配《ねんぱい》四十五六《しじふごろく》、柔和《にうわ》な、何等《なんら》の奇《き》も見《み》えぬ、可懐《なつかし》い、おとなしやかな風采《とりなり》で、羅紗《らしや》の角袖《かくそで》の外套《ぐわいたう》を着《き》て、白《しろ》のふらんねるの襟巻《えりまき》を占《し》め、土耳古形《とるこがた》の帽《ばう》を冠《かむ》り、毛糸《けいと》の手袋《てぶくろ》を箝《は》め、白足袋《しろたび》に、日和下駄《ひよりげた》で、一見《いつけん》、僧侶《そうりよ》よりは世《よ》の中《なか》の宗匠《そうしやう》といふものに、其《それ》よりも寧《むし》ろ俗《ぞく》歟《か》。
(お泊《とま》りは何方《どちら》ぢやな、)といつて聞《き》かれたから、私《わたし》は一人旅《ひとりたび》の旅宿《りよしゆく》の詰《つま》らなさを、染々《しみ/″\》歎息《たんそく》した、第一《だいいち》盆《ぼん》を持《も》つて女中《ぢよちう》が坐睡《ゐねむり》をする、番頭《ばんとう》が空世辞《そらせじ》をいふ、廊下《らうか》を歩行《ある》くとじろ/\目《め》をつける、何《なに》より最《もつと》も耐《た》へ難《がた》いのは晩飯《ばんめし》の支度《したく》が済《す》むと、忽《たちま》ち灯《あかり》を行燈《あんどう》に換《か》へて、薄暗《うすぐら》い処《ところ》でお休《やす》みなさいと命令《めいれい》されるが、私《わたし》は夜《よ》が更《ふ》けるまで寝《ね》ることが出来《でき》ないから、其間《そのあひだ》の心持《こゝろもち》といつたらない、殊《こと》に此頃《このごろ》の夜《よ》は長《なが》し、東京《とうきやう》を出《で》る時《とき》から一晩《ひとばん》の泊《とまり》が気《き》になつてならない位《くらゐ》、差支《さしつか》へがなくば御僧《おんそう》と御一所《ごいつしよ》に。
 快《こゝろよ》く頷《うなづ》いて、北陸地方《ほくりくちはう》を行脚《あんぎや》の節《せつ》はいつでも杖《つゑ》を休《やす》める香取屋《かとりや》といふのがある、旧《もと》は一軒《いつけん》の旅店《りよてん》であつたが、一人女《ひとりむすめ》の評判《ひやうばん》なのがなくなつてからは看板《かんばん》を外《はづ》した、けれども昔《むかし》から懇意《こんい》な者《もの》は断《ことは》らず留《とめ》て、老人夫婦《としよりふうふ》が内端《
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