ごや》に来《き》て、今《いま》しがた枕《まくら》に就《つ》いた時《とき》まで、私《わたし》が知《し》つてる限《かぎ》り余《あま》り仰向《あふむ》けになつたことのない、詰《つま》り傲然《がうぜん》として物《もの》を見《み》ない質《たち》の人物《じんぶつ》である。
 一体《いつたい》東海道《とうかいだう》掛川《かけがは》の宿《しゆく》から同《おなじ》汽車《きしや》に乗《の》り組《く》んだと覚《おぼ》えて居《ゐ》る、腰掛《こしかけ》の隅《すみ》に頭《かうべ》を垂《た》れて、死灰《しくわい》の如《ごと》く控《ひか》へたから別段《べつだん》目《め》にも留《と》まらなかつた。
 尾張《をはり》の停車場《ステーシヨン》で他《た》の乗組員《のりくみゐん》は言合《いひあ》はせたやうに、不残《のこらず》下《お》りたので、函《はこ》の中《なか》には唯《たゞ》上人《しやうにん》と私《わたし》と二人《ふたり》になつた。
 此《こ》の汽車《きしや》は新橋《しんばし》を昨夜《さくや》九時半《くじはん》に発《た》つて、今夕《こんせき》敦賀《つるが》に入《はい》らうといふ、名古屋《なごや》では正午《ひる》だつたから、飯《めし》に一折《ひとをり》の鮨《すし》を買《かつ》た。旅僧《たびそう》も私《わたし》と同《おなじ》く其《そ》の鮨《すし》を求《もと》めたのであるが、蓋《ふた》を開《あ》けると、ばら/\と海苔《のり》が懸《かゝ》つた、五目飯《ちらし》の下等《かとう》なので。
(やあ、人参《にんじん》と干瓢《かんぺう》ばかりだ、)と踈匆《そゝ》ツかしく絶叫《ぜつけう》した、私《わたし》の顔《かほ》を見《み》て旅僧《たびそう》は耐《こら》へ兼《か》ねたものと見《み》える、吃々《くつ/\》と笑《わら》ひ出《だ》した、固《もと》より二人《ふたり》ばかりなり、知己《ちかづき》にはそれから成《な》つたのだが、聞《き》けば之《これ》から越前《ゑちぜん》へ行《い》つて、派《は》は違《ちが》ふが永平寺《えいへいじ》に訪《たづ》ねるものがある、但《たゞ》し敦賀《つるが》に一泊《いつぱく》とのこと。
 若狭《わかさ》へ帰省《きせい》する私《わたし》もおなじ処《ところ》で泊《とま》らねばならないのであるから、其処《そこ》で同行《どうかう》の約束《やくそく》が出来《でき》た。
 渠《かれ》は高野山《かうやさん》に籍《せき》を置《
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