丈《ぢやう》余《よ》、段々《だん/″\》と草《くさ》の動《うご》くのが広《ひろ》がつて、傍《かたへ》の谷《たに》へ一|文字《もんじ》に颯《さツ》と靡《なび》いた、果《はて》は峯《みね》も山《やま》も一|斉《せい》に揺《ゆる》いだ、悚毛《おぞけ》を震《ふる》つて立窘《たちすく》むと涼《すゞ》しさが身《み》に染《し》みて気《き》が着《つ》くと山颪《やまおろし》よ。
 此《こ》の折《をり》から聞《きこ》えはじめたのは哄《どツ》といふ山彦《やまひこ》に伝《つた》はる響《ひゞき》、丁度《ちやうど》山《やま》の奥《おく》に風《かぜ》が渦巻《うづま》いて其処《そこ》から吹起《ふきおこ》る穴《あな》があいたやうに感《かん》じられる。
 何《なに》しろ山霊《さんれい》感応《かんおう》あつたか、蛇《へび》は見《み》えなくなり暑《あつ》さも凌《しの》ぎよくなつたので気《き》も勇《いさ》み足《あし》も捗取《はかど》つたが程《ほど》なく急《きふ》に風《かぜ》が冷《つめ》たくなつた理由《りいう》を会得《ゑとく》することが出来《でき》た。
 といふのは目《め》の前《まへ》に大森林《だいしんりん》があらはれたので。
 世《よ》の譬《たとへ》にも天生峠《あまふたうげ》は蒼空《あをぞら》に雨《あめ》が降《ふ》るといふ人《ひと》の話《はなし》にも神代《じんだい》から杣《そま》が手《て》を入《い》れぬ森《もり》があると聞《き》いたのに、今《いま》までは余《あま》り樹《き》がなさ過《す》ぎた。
 今度《こんど》は蛇《へび》のかはりに蟹《かに》が歩《ある》きさうで草鞋《わらぢ》が冷《ひ》えた。暫《しばら》くすると暗《くら》くなつた、杉《すぎ》、松《まつ》、榎《えのき》と処々《ところ/″\》見分《みわ》けが出来《でき》るばかりに遠《とほ》い処《ところ》から幽《かすか》に日《ひ》の光《ひかり》の射《さ》すあたりでは、土《つち》の色《いろ》が皆《みな》黒《くろ》い。中《なか》には光線《くわうせん》が森《もり》を射通《いとほ》す工合《ぐあひ》であらう、青《あを》だの、赤《あか》だの、ひだが入《い》つて美《うつく》しい処《ところ》があつた。
 時々《とき/″\》爪尖《つまさき》に絡《から》まるのは葉《は》の雫《しづく》の落溜《おちたま》つた糸《いと》のやうな流《ながれ》で、これは枝《えだ》を打《う》つて高《たか》い処《
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