》るやうな冷汗《ひやあせ》になる気味《きみ》の悪《わる》さ、足《あし》が窘《すく》んだといふて立《た》つて居《ゐ》られる数《すう》ではないから、びく/\しながら路《みち》を急《いそ》ぐと又《また》しても居《ゐ》たよ。
然《しか》も今度《こんど》のは半分《はんぶん》に引切《ひきき》つてある胴《どう》から尾《を》ばかりの虫《むし》ぢや、切口《きりくち》が蒼《あをみ》を帯《お》びて其《それ》で恁《か》う黄色《きいろ》な汁《しる》が流《なが》れてぴくぴくと動《うご》いたわ。
我《われ》を忘《わす》れてばら/\とあとへ遁帰《にげかへ》つたが、気《き》が着《つ》けば例《れい》のが未《ま》だ居《ゐ》るであらう、譬《たと》ひ殺《ころ》されるまでも二|度《ど》とは彼《あれ》を跨《また》ぐ気《き》はせぬ。あゝ前刻《さツき》のお百姓《ひやくしやう》がものゝ間違《まちがひ》でも故道《ふるみち》には蛇《へび》が恁《か》うといつてくれたら、地獄《ぢごく》へ落《お》ちても来《こ》なかつたにと照《て》りつけられて、涙《なみだ》が流《なが》れた、南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》、今《いま》でも悚然《ぞツ》とする。」と額《ひたひ》に手《て》を。
第七
「果《はてし》が無《な》いから肝《きも》を据《す》ゑた、固《もと》より引返《ひきかへ》す分《ぶん》ではない。旧《もと》の処《ところ》には矢張《やツぱり》丈足《たけた》らずの骸《むくろ》がある、遠《とほ》くへ避《さ》けて草《くさ》の中《なか》へ駆《か》け抜《ぬ》けたが、今《いま》にもあとの半分《はんぶん》が絡《まと》ひつきさうで耐《たま》らぬから気臆《きおくれ》がして足《あし》が筋張《すぢば》ると、石《いし》に躓《つまづ》いて転《ころ》んだ、其時《そのとき》膝節《ひざふし》を痛《いた》めましたものと見《み》える。
それからがく/″\して歩行《ある》くのが少《すこ》し難渋《なんじふ》になつたけれども、此処《こゝ》で倒《たふ》れては温気《うんき》で蒸殺《むしころ》されるばかりぢやと、我身《わがみ》で我身《わがみ》を激《はげ》まして首筋《くびすぢ》を取《と》つて引立《ひきた》てるやうにして峠《たうげ》の方《はう》へ。
何《なに》しろ路傍《みちばた》の草《くさ》いきれが可恐《おそろ》しい、大鳥《おほとり》の卵《たまご》見《み》たやうなも
前へ
次へ
全74ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング