らす方が、よっぽど贅沢じゃないか、と思ったけれど、何しろ、木胴鉄胴《きどうかねどう》からくり胴鳴って通る飛団子、と一所に、隧道《トンネル》を幾つも抜けるんだからね。要するに仲蔵以前の定九郎だろう。
 そこで、小鳥の回向料《えこうりょう》を包んだのさ。
 十時四十分頃、二つさきの山の中の停車場へ下りた。が、別れしなに、袂《たもと》から名札を出して、寄越《よこ》そうとして、また目を光らして引込《ひっこ》めてしまった。
 ――小鳥は比羅《びら》のようなものに包んでくれた。比羅は裂いて汽車の窓から――小鳥は――包み直して宿へ着いてから裏の川へ流した。が、眼張魚《めばる》は、蟇《ひきがえる》だと諺《ことわざ》に言うから、血の頬白は、※[#「魚+成」、第3水準1−94−43]《うぐい》になろうよ。――その男のだね、名刺に、用のありそうな人物が、何となく、立っていたんじゃないかとも思ったよ。」
 家業がら了解《わかり》は早い。
「その向《むき》の方なら、大概私が顔見知りよ。……いいえ、盗賊《どろぼう》や風俗の方ばかりじゃありません。」
「いや、大きに――それじゃ違ったろう。……安心した。――時に……実は椎の樹を通ってもらおうと思ったが、お藻代さんの話のいまだ。今度にしようか。」
「ええ、どちらでも。……ですが、もうこの軒を一つ廻った塀外が、じきその椎の樹ですよ。棟に蔭がさすでしょう。路地の暗いのもそのせいですわ。」
「大きな店らしいのに、寂寞《ひっそり》している。何屋だろう。」
「有名な、湯葉屋です。」
「湯葉屋――坊主になり損《そこな》った奴の、慈姑《くわい》と一所に、大好きなものだよ。豆府の湯へ箱形の波を打って、皮が伸びて浮く処をすくい上げる。よく、東の市場で覗《のぞ》いたっけ。……あれは、面白い。」
「入ってみましょう。」
「障子は開いている――ははあ、大きな湯の字か。こん度は映画と間違えなかった。しかし、誰も居ないが、……可《い》いかい。」
「何かいったら、挨拶をしますわ。ちょっと参観に、何といいましょう、――見学に、ほほほ。」
 掃清めた広い土間に、惜《おし》いかな、火の気がなくて、ただ冷たい室《むろ》だった。妙に、日の静寂間《しじま》だったと見えて、人の影もない。窓の並んだ形が、椅子をかたづけた学校に似ていたが、一列に続いて、ざっと十台、曲尺《かねじゃく》に隅を取って、また五つばかり銅《あかがね》の角鍋が並んで、中に液体だけは湛《たた》えたのに、青桐《あおぎり》の葉が枯れつつ映っていた。月も十五に影を宿すであろう。出ようとすると、向うの端から、ちらちらと点《つ》いて、次第に竈《かまど》に火が廻った。電気か、瓦斯《がす》を使うのか、ほとんど五彩である。ぱッと燃えはじめた。
 この火が、一度に廻ると、カアテンを下ろしたように、窓が黒くなって、おかしな事には、立っている土間にひだを打って、皺《しわ》が出来て、濡色に光沢《つや》が出た。
 お町が、しっかりと手を取った。
 背後《うしろ》から、
「失礼ですが、貴方《あなた》……」
 前刻《さっき》の蓮根市《はすいち》の影法師が、旅装で、白皙《はくせき》の紳士になり、且つ指環《ゆびわ》を、竈《かまど》の火に彩られて顕《あら》われた。
「おお、これは。」
 名古屋に時めく大資産家の婿君で、某学校の教授と、人の知る……すなわち、以前、この蓮池邸《はすいけやしき》の坊ちゃんであった。
「見覚えがおありでしょう。」
 と斜《ななめ》に向って、お町にいった。
「まあ。」
 時めく婿は、帽子《ソフト》を手にして、
「後刻、お伺いする処でした。」
 驚破す、再び、うぐい亭の当夜の嫖客《ひょうかく》は――渠《かれ》であった。
 三人のめぐりあい。しかし結末にはならない。おなじ廓《くるわ》へ、第一歩、三人のつまさきが六つ入交《いれまじ》った時である。
 落葉のそよぐほどの、跫音《あしおと》もなしに、曲尺《かねじゃく》の角を、この工場から住居《すまい》へ続くらしい、細長い、暗い土間から、白髪《しらが》がすくすくと生えた、八十を越えよう、目口も褐漆《かっしつ》に干からびた、脊の低い、小さな媼《ばあ》さんが、継はぎの厚い布子《ぬのこ》で、腰を屈《かが》めて出て来た。
 蒼白《まっさお》になって、お町があとへ引いた。
「お姥《ばあ》さん、見物をしていますよ。」
 と鷹揚《おうよう》に、先代の邸主は落《おち》ついて言った。
 何と、媼《ばば》は頤《あご》をしゃくって、指二つで、目を弾《はじ》いて、じろりと見上げたではないか。
「無断で、いけませんでしたかね。」
 外套氏は、やや妖変《ようへん》を感じながら、丁寧に云ったのである。
「どうなとせ。」
 唾《つば》と泡が噛合《かみあ》うように、ぶつぶつと一言《ひとこと》いったが、ふ、ふふん、と鼻の音をさせて、膝の下へ組手のまま、腰を振って、さあ、たしか鍋《なべ》の列のちょうど土間へ曲角の、火の気の赫《かっ》と強い、その鍋の前へ立つと、しゃんと伸びて、肱《ひじ》を張り、湯気のむらむらと立つ中へ、いきなり、くしゃくしゃの顔を突込《つっこ》んだ。
 が、ばっと音を立てて引抜いた灰汁《あく》の面《つら》と、べとりと真黄色《まっきいろ》に附着《くッつ》いた、豆府の皮と、どっちの皺《しわ》ぞ! 這《は》ったように、低く踞《しゃが》んで、その湯葉の、長い顔を、目鼻もなしに、ぬっと擡《もた》げた。
 口のあたりが、びくりと動き、苔《こけ》の青い舌を長く吐いて、見よ見よ、べろべろと舐《な》め下ろすと、湯葉は、ずり下《さが》り、めくれ下《お》り、黒い目金と、耳までのマスクで、口が開いた、その白い顔は、湯葉一枚を二倍にして、土間の真中《まんなか》に大きい。
 同時に、蛇のように、再び舌が畝《うね》って舐め廻すと、ぐしゃぐしゃと顔一面、山女《あけび》を潰《つぶ》して真赤《まっか》になった。
 お町の肩を、両手でしっかとしめていて、一つ所に固《かたま》った、我が足がよろめいて、自分がドシンと倒れたかと思う。名古屋の客は、前のめりに、近く、第一の銅鍋の沸上った中へ面《おもて》を捺《お》して突伏《つっぷ》した。
「あッ。」
 片手で袖を握《つか》んだ時、布子の裾のこわばった尖端《とっさき》がくるりと刎《は》ねて、媼《ばばあ》の尻が片隅へ暗くかくれた。竈《かまど》の火は、炎を潜めて、一時《いっとき》に皆消えた。
 同時に、雨がまた迫るように、窓の黒さが風に動いて、装《も》り上ったように見透かさるる市街に、暮早き電燈の影があかく立って、銅《あかがね》の鍋は一つ一つ、稲妻に似てぴかぴかと光った。
 足許も定まらない。土間の皺《しわ》が裂けるかと思う時、ひいても離れなかった名古屋の客の顔が、湯気を飛ばして、辛うじて上るとともに、ぴちぴちと魚《うお》のごとく、手足を刎《は》ねて、どっと倒れた。両腋を抱いて、抱起した、その色は、火の皮の膨れた上に、爛《ただれ》が紫の皺を、波打って、動いたのである。
 市《いち》のあたりの人声、この時|賑《にぎや》かに、古椎《ふるしい》の梢《こずえ》の、ざわざわと鳴る風の腥蕈《なまぐさ》さ。
 ――病院は、ことさらに、お藻代の時とちがった、他《ほか》のを選んだ。
 生命《いのち》に仔細《しさい》はない。
 男だ。容色なんぞは何でもあるまい。
 ただお町の繰り言に聞いても、お藻代の遺書《かきおき》にさえ、黒髪のおくれ毛ばかりも、怨恨《うらみ》は水茎のあとに留めなかったというのに。――
 現代――ある意味において――めぐる因果の小車《おぐるま》などという事は、天井裏の車麩《くるまぶ》を鼠が伝うぐらいなものであろう。
 待て、それとても不気味でない事はない。
 魔は――鬼神は――あると見える。

 附言。
 今年、四月八日、灌仏会《かんぶつえ》に、お向うの遠藤さんと、家内と一所に、麹町《こうじまち》六丁目、擬宝珠《ぎぼうし》屋根に桃の影さす、真宝寺の花御堂《はなみどう》に詣《もう》でた。寺内に閻魔堂《えんまどう》がある。遠藤さんが扉を覗いて、袖で拝んで、
「お釈迦様と、お閻魔さんとは、どういう関係があるんでしょう。」
 唯今、七彩五色の花御堂に香水を奉仕した、この三十歳の、竜女の、深甚微妙なる聴問には弱った。要品《ようほん》を読誦《どくじゅ》する程度の智識では、説教も済度も覚束《おぼつか》ない。
「いずれ、それは……その、如是我聞《にょぜがもん》という処ですがね。と時に、見附を出て、美佐古《みさご》(鮨屋)はいかがです。」
「いや。」
「これは御挨拶。」
 いきな坊主の還俗したのでもないものが、こはだの鮨を売るんだから、ツンとして、愛想のないのに無理はない。
「朝飯《あさ》を済ましたばかりなのよ。」
 午後三時半である。ききたまえ。
「そこを見込んで誘いましたよ。」
「私もそうだろうと思ってさ。」
 大通りを少しあるくと、向うから、羽織の袖で風呂敷づつみを抱いた、脊のすらりとした櫛巻《くしまき》の女が、もの静《しずか》に来かかって、うつむいて、通過ぎた。
「いい女ね。見ましたか。」
「まったく。」
「しっとりとした、いい容子《ようす》ね、目許《めもと》に恐ろしく情のある、口許の優しい、少し寂しい。」
 三人とも振返ると、町並樹の影に、その頸許《えりもと》が白く、肩が窶《やつ》れていた。
 かねて、外套氏から聞いた、お藻代の俤《おもかげ》に直面した気がしたのである。
 路地うちに、子供たちの太鼓の音が賑《にぎ》わしい。入って見ると、裏道の角に、稲荷神《いなりがみ》の祠《ほこら》があって、幟《のぼり》が立っている。あたかも旧の初午《はつうま》の前日で、まだ人出がない。地口行燈《じぐちあんどん》があちこちに昼の影を浮かせて、飴屋《あめや》、おでん屋の出たのが、再び、気のせいか、談話中の市場を髣髴《ほうふつ》した。
 縦通りを真直《まっす》ぐに、中六《なかろく》を突切《つッき》って、左へ――女子学院の塀に添って、あれから、帰宅の途《みち》を、再び中六へ向って、順に引返《ひっかえ》すと、また向うから、容子といい、顔立もおなじような――これは島田髷《しまだ》の娘さんであった――十八九のが行違った。
「そっくりね。」
「気味が悪いようですね。」
 と家内も云った。少し遠慮して、間をおいて、三人で斉《ひと》しく振返ると、一脈の紅塵《こうじん》、軽く花片《はなびら》を乗せながら、うしろ姿を送って行く。……その娘も、町の三辻の処で見返った。春|闌《たけなわ》に、番町の桜は、静《しずか》である。
 家へ帰って、摩耶夫人《まやぶにん》の影像――これだと速《すみやか》に説教が出来る、先刻《さっき》の、花御堂の、あかちゃんの御母ぎみ――頂餅《いただき》と華をささげたのに、香をたいて、それから記しはじめた。
[#地から1字上げ]昭和六(一九三一)年七月



底本:「泉鏡花集成8」ちくま文庫、筑摩書房
   1996(平成8)年5月23日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集」岩波書店
   1942(昭和17)年7月刊行開始
入力:門田裕志
校正:林 幸雄
2001年9月17日公開
2005年9月27日修正
青空文庫作成ファイル:
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