ああ、そうか。」
「うぐい亭の庭も一所に、川も、山も、何年ぶりか、久しぶりで見る気がして、湯ざめで冷くなるまで、覗《のぞ》いたり、見廻したり、可哀想じゃありませんか。
 ――かきおきにあったんです――
 ハッと手をのばして、戸を内へ閉めました。不意に人が来たんですね。――それが細い白い手よ。」
「むむ、私のような奴だ。」
 と寂しく笑いつつ、毛肌になって悚《ぞっ》とした。
「ぎゃっと云って、その男が、凄《すさま》じい音で顛動返《ひっくりかえ》ってしまったんですってね。……夜番は駆けつけますわ、人は騒ぐ。気の毒さも、面目なさも通越して、ひけめのあるのは大火傷の顔のお化でしょう。
 もう身も世も断念《あきら》めて、すぐに死場所の、……鉄道線路へ……」
「厠《かわや》からすぐだろうか。」
「さあね、それがね、恥かしさと死ぬ気の、一念で、突き破ったんでしょうか。細い身体《からだ》なら抜けられるくらい古壁は落ちていたそうですけれど、手も浄《きよ》めずに出たなんぞって、そんなのは、お藻代さんの身に取って私は可厭《いや》。……それだとどこで遺書《かきおき》が出来ます。――轢《ひ》かれたのは、やっと夜
前へ 次へ
全50ページ中37ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング