従姉をいう)ならですけど、可厭《いや》よ、私、こんな処で、腰掛けて一杯なんぞ。」
「大丈夫。いくら好きだって、蕃椒《とうがらし》では飲めないよ。」
と言った。
市場を出た処の、乾物屋と思う軒に、真紅《まっか》な蕃椒が夥多《おびただ》しい。……新開ながら老舗《しにせ》と見える。わかめ、あらめ、ひじきなど、磯《いそ》の香も芬《ぷん》とした。が、それが時雨でも誘いそうに、薄暗い店の天井は、輪にかがって、棒にして、揃えて掛けた、車麩《くるばぶ》で一杯であった。
「見事なものだ。村芝居の天井に、雨車を仕掛けた形で、妙に陰気だよ。」
串戯《じょうだん》ではない。日向《ひなた》に颯《さっ》と村雨が掛《かか》った、薄《すすき》の葉摺《はず》れの音を立てて。――げに北国の冬空や。
二人は、ちょっとその軒下へ入ったが、
「すぐ晴れますわ、狐の嫁入よ。」
という、斜《ななめ》に見える市場の裏羽目に添って、紅蓼《べにたで》と、露草の枯れがれに咲いて残ったのが、どちらがその狐火《きつねび》の小提灯《こじょうちん》だか、濡々《ぬれぬれ》と灯《とも》れて、尾花に戦《そよ》いで……それ動いて行く。
「そうか、私はまた狐の糸工場かと思った。雨あしの白いのが、天井の車麩から、ずらずらと降って来るようじゃあないか。」
「可厭《いや》、おじさん。」
と捩《よ》れるばかり、肩を寄せて、
「気味が悪い。」
「じゃあ、言直そう。ここは蓮池のあとらしいし、この糸で曼陀羅《まんだら》が織れよう。」
「ええ、だって、極楽でも、地獄でも、その糸がいけないの。」
「糸が不可《いけな》いとは。」
「……だって、椎《しい》の木婆さんが、糸車を廻す処ですもの、小豆洗《あずきあらい》ともいうんですわ。」
後前《あとさき》を見廻して、
「それはね、城のお殿様の御寵愛の、その姉さんだったと言いましてね。むかし、魔法を使うように、よく祈りのきいた、美しい巫女《みこ》がそこに居て、それが使った狢だとも言うんですがね。」
あなたは知らないのか、と声さえ憚《はばか》ってお町が言った。――この乾物屋と直角に向合《むかいあ》って、蓮根《れんこん》の問屋がある。土間を広々と取り、奥を深く、森《しん》と暗い、大きな家で、ここを蓮根市《はすいち》とも呼ぶのは、その故だという。屋の棟を、うしろ下りに、山の中腹と思う位置に、一朶《いちだ》の黒雲の舞下ったようなのが、年数を知らない椎の古木の梢《こずえ》である。大昔から、その根に椎の樹|婆叉《ばばしゃ》というのが居て、事々に異霊|妖変《ようへん》を顕《あら》わす。徒然な時はいつも糸車を廻わしているのだそうである。もともと私どもの、この旅客は、その小学校友だちの邸あとを訪《と》うために来た。……その時分には遊びに往来《ゆきき》もしたろうものを、あの、椎の樹婆叉を知らないのかと、お町が更に怪しんで言うのであった。が、八ツや十ウのものを、わざと親たちは威《おど》しもしまい。……近所に古狢《ふるむじな》の居る事を、友だちは矜《ほこ》りはしなかったに違いない。
――町の湯の名もそれから起った。――そうか、椎の木の大狢、経立《ふッた》ち狢、化婆々《ばけばばあ》。
「あれえ。」
「…………」
「可厭《いや》、おじさんは。」
「あやまった、あやまった。」
鉄砲で狙《ねら》われた川蝉《かわせみ》のように、日のさす小雨を、綺麗な裾で蓮の根へ飛んで遁《に》げた。お町の後から、外套氏は苦笑いをしながら、その蓮根問屋の土間へ追い続いて、
「決して威《おど》す気で言ったんじゃあない。――はじめは蛇かと思って、ぞっとしたっけ。」
椎の樹婆叉の話を聞くうちに、ふと見ると、天井の車麩に搦《から》んで、ちょろちょろと首と尾が顕《あら》われた。その上下《うえした》に巻いて廻るのを、蛇が伝う、と見るとともに、車麩がくるくると動くようで、因果車が畝《うね》って通る。……で悚気《ぞっ》としたが、熟《じっ》と視《み》ると、鼠か、溝鼠《どぶねずみ》か、降る雨に、あくどく濡れて這《は》っている。……時も時だし、や、小さな狢が天井へ、とうっかり饒舌《しゃべ》って、きれいな鳥を蓮池へ飛ばしたのであった。
「そんな事に驚く奴があるものか。」
「だって、……でも、もう大丈夫だわ、ここへ来れば人間の狸《たぬき》が居るから。」
と、大きに蓮葉《はすは》で、
「権《ごん》ちゃん――居るの。」
獣ならば目が二つ光るだろう。あれでも人が居るかと思う。透かして見れば帳場があって、その奥から、大土間の内側を丸太で劃《しき》った――(朝市がそこで立つ)――その劃《しきり》の外側を廻って、右の権ちゃん……めくら縞《じま》の筒袖《つつッぽ》を懐手《ふところで》で突張《つっぱ》って、狸より膃肭臍《おっとせい》に似て、ニタ
前へ
次へ
全13ページ中3ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
泉 鏡花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング