済んで、そのうぐい提灯で送って出ると、折戸を前にして、名古屋の客が動かなくなった。落雁の芸妓を呼びに廓へ行く。是非送れ、お藻代さん。……一見は利かずとも、電話で言込めば、と云っても、威勢よく酒の機嫌で承知をしない。そうして、袖たけの松の樹のように動かない。そんな事で、誘われるような婦《おんな》ではなかったのに、どういう縁か、それでは、おかみさんに聞いて許しを得て。……で、おも屋に引返したあとを、お町がいう処の、墓所《はかしょ》の白張のような提灯を枝にかけて、しばらく待った。その薄い灯《あかり》で、今度は、蕈《きのこ》が化けた状《さま》で、帽子を仰向《あおむ》けに踞《しゃが》んでいて待つ。
 やがて、出て来た時、お藻代は薄化粧をして、長襦袢《ながじゅばん》を着換えていた。
 その長襦袢で……明保野で寝たのであるが、朱鷺色《ときいろ》の薄いのに雪輪を白く抜いた友染である。径《みち》に、ちらちらと、この友染が、小提灯で、川風が水に添い、野茨《のばら》、卯《う》の花。且つちり乱るる、山裾の草にほのめいた時は、向瀬《むこうせ》の流れも、低い磧《かわら》の撫子《なでしこ》を越して、駒下駄に寄ったろう。……

 風が、どっと吹いて、蓮根市の土間は廂下《ひさしさが》りに五月闇《さつきやみ》のように暗くなった。一雨来よう。組合わせた五百羅漢の腕が動いて、二人を抱込《かかえこ》みそうである。
 どうも話が及腰《およびごし》になる。二人でその形に、並んで立ってもらいたい。その形、……その姿で。……お町さんとかも、褄端折をおろさずに。――お藻代も、道芝の露に裳《もすそ》を引揚げたというのであるから。
 一体黒い外套氏が、いい年をした癖に、悪く色気があって、今しがた明保野の娘が、お藻代の白い手に怯《おび》えて取縋った時は、内々で、一抱き柔《やわら》かな胸を抱込《だきこ》んだろう。……ばかりでない。はじめ、連立って、ここへ庭樹の多い士族町を通る間に――その昔、江戸護持院ヶ原の野仏《のぼとけ》だった地蔵様が、負《おぶ》われて行こう……と朧夜《おぼろよ》にニコリと笑って申されたを、通りがかった当藩三百石、究竟《くっきょう》の勇士が、そのまま中仙道北陸道を負《おぶ》い通いて帰国した、と言伝えて、その負さりたもうた腹部の中窪《なかくぼ》みな、御丈《みたけ》、丈余《じょうよ》の地蔵尊を、古邸《ふるやしき》の門内に安置して、花筒に花、手水鉢に柄杓《ひしゃく》を備えたのを、お町が手つぎに案内すると、外套氏が懐しそうに拝んだのを、嬉しがって、感心して、こん度は切殺された、城のお妾《めかけ》さん――のその姿で、縁切り神さんが、向うの森の祠《ほこら》にあるから一所に行こうと、興に乗じた時……何といった、外套氏。――「縁切り神様は、いやだよ、二人して。」は、苦々しい。
 だから、ちょっとこの子をこう借りた工合《ぐあい》に、ここで道行きの道具がわりに使われても、憾《うら》みはあるまい。

 そこで川通りを、次第に――そうそうそう肩を合わせて歩行《ある》いたとして――橋は渡らずに屋敷町の土塀を三曲りばかり。お山の妙見堂の下を、たちまち明るい廓へ入って、しかも小提灯のまま、客の好みの酔興な、燈籠《とうろう》の絵のように、明保野の入口へ――そこで、うぐいの灯が消えた。
 
「――藤紫の半襟が少しはだけて、裏を見せて、繊《ほっそ》り肌襦袢の真紅なのが、縁の糸とかの、燃えるように、ちらちらして、静《しずか》に瞼《まぶた》を合わせていた、お藻代さんの肌の白いこと。……六畳は立籠《たてこ》めてあるし、南風気《みなみけ》で、その上暖か過ぎたでしょう。鬢《びん》の毛がねっとりと、あの気味の悪いほど、枕に伸びた、長い、ふっくりしたのどへまつわって、それでいて、色が薄《うっす》りと蒼《あお》いんですって。……友染の夜具に、裾は消えるように細《ほっそ》りしても――寝乱れよ、おじさん、家業で芸妓衆《げいしゃしゅ》のなんか馴《な》れていても、女中だって堅い素人なんでしょう。名古屋の客に呼ばれて……お信《のぶ》――ええ、さっき私たち出しなに駒下駄を揃えた、あの銀杏返《いちょうがえし》の、内のあの女中ですわ――二階廊下を通りがかりにね、(おい、ねえさんか、湯を一杯。)……
(お水《ひや》を取かえて参りましょうか。)枕頭《まくらもと》にあるんですから。(いや、熱い湯だ。……時々こんな事がある。飲過ぎたと見えて寒気がする。)……これが襖《ふすま》越しのやりとりよ。……
 私?……私は毎朝のように、お山の妙見様へお参りに。おっかさんは、まだ寝床に居たんです。台所の薬鑵《ゆわかし》にぐらぐら沸《たぎ》ったのを、銀の湯沸《ゆわかし》に移して、塗盆で持って上って、(御免遊ばせ。)中庭の青葉が、緑の霞に光って、さし込む裡《
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