なか》に、いまの、その姿でしょう。――馴《な》れない人だから、帯も、扱帯《しごき》も、羽衣でも※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《むし》ったように、ひき乱れて、それも男の手で脱がされたのが分ります。――薄い朱鷺色《ときいろ》、雪輪なんですもの、どこが乳だか、長襦袢だか。――六畳だし……お藻代さんの顔の前、枕まではゆきにくい。お信が、ぼうとなって、入口に立ちますとね、(そこへ。)と名古屋の客がおっしゃる。……それなりに敷蒲団《しきぶとん》の裾へ置いて来たそうですが。」
外套氏は肩をすくめた。思わず危険を予感した。
「名古屋の客が起上りしな、手を伸ばして、盆ごと取って、枕頭へ宙を引くトタンに塗盆を辷《すべ》ったんです。まるで、黒雲の中から白い猪が火を噴いて飛蒐《とびかか》る勢《いきおい》で、お藻代さんの、恍惚《うっとり》したその寝顔へ、蓋《ふた》も飛んで、仰向《あおむ》けに、熱湯が、血ですか、蒼い鬼火でしょうか、玉をやけば紫でしょうか……ばっと煮えた湯気が立ったでしょう。……お藻代さんは、地獄の釜《かま》で煮られたんです。
あの、美しい、鼻も口も、それッきり、人には見せず……私たちも見られません。」
「野郎はどうした。」
と外套氏の膝の拳《こぶし》が上った。
「それはね、ですが、納得ずくです。すっかり身支度をして、客は二階から下りて来て――長火鉢の前へ起きて出た、うちの母の前へ、きちんと膝に手をついて、
(――ちょっと事件が起りました。女は承知です。すぐ帰りますから。)――
分外なお金子《かね》に添えて、立派な名刺を――これは極秘に、と云ってお出しなすったそうですが、すぐに式台へ出なさいますから、(ちょっとどうぞ、旦那。)と引留めて置いて、まだ顔も洗わなかったそうですけれど、トントンと、二階へ上って、大急ぎで廊下を廻《めぐ》って、襖《ふすま》の外から、
(――夫人《おく》さん――)
ひっそりしていたそうです。
(――夫人さん、旦那様はお帰りになりますが。)――
ものに包まれたような、ふくみ声で、
(いらして、またおいであそばして……)――
と、震えて、きれぎれに聞こえたって言います。
おじさん、妙見様から、私が帰りました時はね、もう病院へ、母がついて、自動車で行ったあとです。お信たちのいうのでは、玉子色の絹の手巾《ハンケチ》で[#「手巾《ハンケチ》で」は底本では「手巾《ハンケチ》て」]顔を隠した、その手巾が、もう附着《くッつ》いていて離れないんですって。……帯をしめるのにも。そうして手巾に(もよ)と紅糸《あかいと》で端縫《はしぬい》をしたのが、苦痛にゆがめて噛緊《かみし》める唇が映って透くようで、涙は雪が溶けるように、頸脚《えりあし》へまで落ちたと言います。」
「不可《いけな》い……」
外套氏は、お町の顔に当てた手巾を慌《あわただ》しく手で払った。
雨が激しく降って来た。
「……何とも申様がない……しかし、そこで鹿落の温泉へは、療治に行ったとでもいうわけかね。」
「湯治だなんのって、そんな怪我ではないのです。療治は疾《と》うに済んだんですが、何しろ大変な火傷《やけど》でしょう。ずッと親もとへ引込んでいたんですが、片親です、おふくろばかり――外へも出ません。私たちが行って逢う時も、目だけは無事だったそうですけれども、すみの目金をかけて、姉《ねえ》さんかぶりをして、口にはマスクを掛けて、御経を習っていました。お客から、つけ届けはちゃんとありますが、一度来るといって、一年たち三年たち、……もっとも、沸湯《にえゆ》を浴びた、その時、(――男を一人助けて下さい。……見継ぎは、一生する。)――両手をついて、言ったんですって。
お藻代さんは、ただ一夜《ひとよ》の情《なさけ》で、死んだつもりで、地獄の釜で頷《うなず》いたんですね。ですから、客の方で約束は違えないんですが、一生飼殺し、といった様子でしょう。
旅行《たび》はどうしてしたでしょう。鹿落の方角です、察しられますわ。霜月でした――夜汽車はすいていますし、突伏《つっぷ》してでもいれば、誰にも顔は見られませんの。
温泉宿でも、夜汽車でついて、すぐ、その夜半《よなか》だったんですって。――どこでもいうことでしょうかしら? 三つ並んだはばかりの真中《まんなか》へは入るものではないとは知っていたけれども、誰も入るもののないのを、かえって、たよりにして、夜ふけだし、そこへ入って……情《なさけ》ないわけねえ。……鬱陶《うっとう》しい目金も、マスクも、やっと取って、はばかりの中ですよ。――それで吻《ほっ》として、大《おおき》な階子段《はしごだん》の暗いのも、巌山《いわやま》を視《なが》めるように珍らしく、手水鉢《ちょうずばち》に筧《かけひ》のかかった景色なぞ……」
「
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