「まあ!」
「誰か趣向をしたんだね、……もっとも、昨夜《ゆうべ》の会は、最初から百物語に、白装束や打散《ぶっち》らし髪《がみ》で人を怯《おど》かすのは大人気無い、素《す》にしよう。――それで、電燈《でんき》だって消さないつもりでいたんだから。
 けれども、その、しないという約束の裏を行《ゆ》くのも趣向だろう。集った中にや、随分|娑婆気《しゃばっけ》なのも少くない。きっと誰かが言合わせて、人を頼んだか、それとも自から化けたか、暗い中から密《そっ》と摺抜《すりぬ》ける事は出来たんだ。……夜は更けたし、潮時を見計らって、……確《たしか》にそれに相違無い。
 トそういう自分が、事に因ると、茶番の合棒《あいぼう》、発頭人《ほっとうにん》と思われているかも知れん。先刻《さっき》入ったという怪しい婆々《ばばあ》が、今現に二階に居て、傍《はた》でもその姿を見たものがあるとすれば……似たようなものの事を私が話したんだから。
(誰かの悪戯《いたずら》です。)
(きっとそう、)
 と婦人《おんな》だちも納得した。たちまち雲霧が晴れたように、心持もさっぱりしたろう、急に眠気《ねむけ》が除《と》れたような気がした、勇気は一倍。
 怪《け》しからん。鳥の羽に怯《おびや》かされた、と一の谷に遁込《にげこ》んだが、緋《ひ》の袴《はかま》まじりに鵯越《ひよどりご》えを逆寄《さかよ》せに盛返す……となると、お才さんはまだ帰らなかった。お三輪も、恐《こわ》いには二階が恐い、が、そのまま耳の疎《うと》いのと差対《さしむか》いじゃなお遣切《やりき》れなかったか、また袂《たもと》が重くなって、附着《くッつ》いて上《あが》ります。
 それでも、やっぱり、物干の窓の前は、私はじめ悚然《ぞっ》としたっけ。
 ばたばたと忙《せわ》しそうに皆《みんな》坐った、旧《もと》の処へ。
 で、思い思いではあるけれども、各自《めいめい》暗がりの中を、こう、……不気味も、好事《ものずき》も、負けない気も交《まじ》って、その婆々《ばばあ》だか、爺々《じじい》だか、稀有《けぶ》な奴《やつ》は、と透かした。が居ない……」
 梅次が、確めるように調子を圧《おさ》えて、
「居ないの、」
「まあ、お待ち、」
 と腕を組んで、胡坐《あぐら》を直して、伸上って一呼吸《ひといき》した。
「そこで、連中は、と見ると、いやもう散々の為体《ていたらく》。時間が時間だから、ぐったり疲切って、向うの縁側へ摺出《ずりだ》して、欄干《てすり》に臂《ひじ》を懸けて、夜風に当っているのなどは、まだ確《たしか》な分で。突臥《つっぷ》したんだの、俯向《うつむ》いたんだの、壁で頭を冷してるのもあれば、煙管《きせる》で額へ突支棒《つっかいぼう》をして、畳へ※[#「足へん+倍のつくり」、第3水準1−92−37]《の》めったようなのもある。……夜汽車が更けて美濃《みの》と近江《おうみ》の国境《くにざかい》、寝覚《ねざめ》の里とでもいう処を、ぐらぐら揺《ゆす》って行《ゆ》くようで、例の、大きな腹だの、痩《や》せた肩だの、帯だの、胸だの、ばらばらになったのが遠灯《とおあかり》で、むらむらと一面に浮いて漾《ただよ》う。
(佐川さん、)
 と囁《ささや》くように、……幹事だけに、まだしっかりしていた沢岡でね。やっぱり私の隣りに坐ったのが、
(妙なものをお目に懸けます。)
(え、)
 それ、婆々か、と思うとそうじゃ無い。
(縁側の真中《まんなか》の――あの柱に、凭懸《よりかか》ったのは太田(西洋画家)さんですがね、横顔を御覧なさい、頬がげっそりして面長《おもなが》で、心持、目許《めもと》、ね、第一、髪が房々と真黒《まっくろ》に、生際《はえぎわ》が濃く……灯《あかり》の映る加減でしょう……どう見ても婦人《おんな》でしょう。婦人《おんな》も、産後か、病上《やみあが》りてった、あの、凄《すご》い蒼白《あおじろ》さは、どうです。
 もう一人、)
 と私の脇の下へ、頭を突込《つっこ》むようにして、附着《くッつ》いて、低く透かして、
(あれ、ね、床の間の柱に、仰向けに凭《もた》れた方は水島(劇評家)さんです。フト口を開《あ》きか何か、寝顔はという躾《たしなみ》で、額から顔へ、ぺらりと真白《まっしろ》は手巾《ハンケチ》を懸けなすった……目鼻も口も何にも無い、のっぺらぽう……え、百物語に魔が魅《さ》すって聞いたが、こんな事を言うんですぜ。)
 ところが、そんなので無いのが、いつか魅《さ》し掛けているので気になる……」

       二十二

「そうすると、趣向をしたのはこの人では無いらしい、企謀《もくろ》んだものなら一番懸けに、婆々《ばばあ》を見着けそうなものだから。
(ねえ、こっちにもう一つ異体《いてい》なのは、注連《しめ》でも張りそうな裸のお腹、……)
(何じゃね、)と直きに傍《そば》だったので、琴の師匠は聞着けたが、
(いいえ、こちらの事で。)幹事が笑うと、欠伸《あくび》まじりで、それなり、うとうと。
(まあ、これは一番正体が知れていますが、それでも唐突《だしぬけ》に見ると吃驚《びっくり》しますぜ。で、やっぱりそれ、燭台《しょくだい》の傍《わき》の柱に附着《くッつ》いて胡坐《あぐら》でさ。妙に人相|形体《ぎょうてい》の変ったのが、三つとも、柱の処ですからね。私も今しがた敷居際の、仕切の壁の角を、摺出《ずりだ》した処ですよ。
 どうです、心得ているから可《い》いようなものの、それでいながら変に凄《すご》い。気の弱い方が、転寝《うたたね》からふっと覚際《さめぎわ》に、ひょっと一目見たら、吃驚《びっくり》しますぜ。
 魔物もやっぱり、蛇や蜘蛛《くも》なんぞのように、鴨居《かもい》から柱を伝って入って来ると見えますな。)
(可厭《いや》ですね。)
 婦人は二人、颯《さっ》と衣紋《えもん》を捌《さば》いて、※[#「木+靈」、第3水準1−86−29]子窓《れんじまど》の前を離れた、そこにも柱があったから。
 そして、お蘭さんが、
(ああ、また……開《あ》いていますね。)
 と言うんだ。……階下《した》から二階へ帰掛けに、何の茶番が! で、私がぴったり閉めた筈《はず》。その時は勿論、婆々も爺々も見えなかった、――その物干の窓が、今の間に、すかり、とこう、切放したように、黒雲立って開《あ》いている。
 お種さんが、
(憚《はばか》り様、どうかそこをお閉め下さいまし。)
 こう言って声を懸けた。――誰か次の室《ま》の、その窓際に坐っているのが見えたんだろう。
 お聞き……そうすると……壁腰、――幹事の沢岡が気にして摺退《すりの》いたという、敷居外の柱の根の処で、
(な、)
 と云う声だ! 私は氷を浴びたように悚然《ぞっ》とした。
(閉《しめ》い言うて、云わしゃれても、な、埒《らち》明《あ》かん。閉めれば、その跡から開けるで、やいの。)
 聞くと、筋も身を引釣《ひッつ》った、私は。日暮に谷中の坂で聞いた、と同じじゃないか。もっとも、年寄りは誰某《だれそれ》と人を極《き》めないと、どの声も似てはいるが。
 それに、言い方が、いかにも邪慳《じゃけん》に、意地悪く聞えたせいか、幹事が、対手《あいて》は知らず、ちょっと詰《なじ》るように、
(誰が明けます。)
(誰や知らん。)
(はあ、閉める障子を明ける人がありますか。)
(棺の蓋《ふた》は一度じゃが、な、障子は幾度《いくたび》でも開けられる、閉《た》てられるがいの。)
(可《い》いから、閉めて下さい、夜が更けて冷えるんですから、)と幹事も不機嫌な調子で言う。
(惜《お》きましょ。透通いて見えん事は無けれどもよ……障子越は目に雲霧じゃ、覗《のぞ》くにはっきりとよう見えんがいの。)
(誰か、物干から覗くんですかね。)
(彼《かれ》にも誰《たれ》にも、大勢、な、)
(大勢、……誰です、誰です。)
 と、幹事もはじめて、こう逆に捻向《ねじむ》いて背後《うしろ》を見た。
(誰や言うてもな、殿、殿たちには分らぬ、やいの、形も影も、暗い、暗い、暗い、見えぬぞ、殿。)
(明るくしよう、)
 と幹事も何か急込《せきこ》んで、
(三輪《みい》ちゃん、電燈《でんき》を、電燈《でんき》を、)
 と云ったが、どうして、あの娘《こ》が動き得ますか。私の膝に、可哀相に、襟を冷たくして突臥《つっぷ》したッきり。
「措《お》きませ、措きませい。無駄な事よ、殿、地獄の火でも呼ばぬ事には、明るくしてかて、殿たちの目に、何が見えよう。……見えたら異事《こと》じゃぞよ、異事じゃぞよ、の。見えぬで僥倖《しあわせ》いの、……一目見たら、やあ、殿、殿たちどうなろうと思わさる。やあ、)
 と口を、ふわふわと開けるかして、声が茫《ぼう》とする。」

       二十三

「幹事が屹《きっ》として、
(誰です、お前さんは、)
 と聞いた。この時、睡《ねむ》っていない人が一人でもあるとすれば、これは、私はじめ待構えた問《とい》だった。
(私《わし》か、私か、……殿、)
 と聞返して、
(同じ仲間のものじゃが、やいの。)
(夥間《なかま》? 私たちの?)
(誰がや、……誰がや、)
 と嘲《あざけ》るように二度言って、
(殿たちの。私《わし》が言うは近間に居る、大勢の、の、その夥間じゃ、という事いの。)
(何かね、廓《くるわ》の人かね。)
(されば、松の森、杉の林、山懐《やまふところ》の廓のものじゃ。)
(どこから来ました。)
(今日は谷中の下闇《したやみ》から、)
(佐川さん、)
 と少し声高に、幹事が私を呼ぶじゃないか。
 私は黙っていたんだ。
 しばらくして、
(何をしに……)
(「とりあげ」をしょうために、な、殿、「とりあげ」に来たぞ、やいの。)
(嬰児《あかんぼ》を産ませるのか。)
(今、無い、ちょうど間に合うて「とりあげ」る小児《こども》は無い。)
(そんな、誂《あつら》えた[#「誂えた」は底本では「誹えた」]ようなお産があるものか、お前さん、頼まれて来たんじゃ無いのかね。)
(さればのう、頼まれても来たれど、な、催促にももう来たがいの。来たれどもの、仔細《しさい》あってまだ「とりあげ」られぬ。)
(むむ、まだ産れないのか。)
(何がいの、まだ、死にさらさぬ。)
(死……死なぬとは?)
(京への、京へ、遠くへ行ている、弟|和郎《わろ》に、一目《ひとめ》未練が残るげな。)
 幹事はハタと口をつぐんだ。
(そこでじゃがや、姉《あね》めが乳の下の鳩落《みずおち》な、蝮指《まむしゆび》の蒼《あお》い爪で、ぎりぎりと錐《きり》を揉《も》んで、白い手足をもがもがと、黒髪を煽《あお》って悶《もだ》えるのを見て、鳥ならば活《い》きながら、羽毛《けば》を※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》った処よの。さて、それだけで帰りがけじゃい、の、殿、その帰るさに、これへ寄った。)
(そこに居るのは誰だ。)
 と向うの縁側の処から、子爵が声を懸けた。……私たちは、フト千騎の味方を得たように思う。
 ト此方《こなた》で澄まして、
(誰でも無いがの。)
(いや、誰でも構わん。が、洒落《しゃれ》も串戯《じょうだん》も可加減《いいかげん》にした方が可《い》いと思う。こう言うと大人気ないが、婦人も居てだ。土地っ児《こ》の娘も聞いてる……一座をすれば我々の連中だ。悪戯《いたずら》も可《い》いが、余り言う事が残酷過ぎる。……外の事じゃない。
 弟を愛して、――それが出来得る事でも出来ない事でも、その身代りに死ぬと云って覚悟をしている大病人。現に、夜伽《よとぎ》をして、あの通り、灯《あかり》がそこに見えるじゃないか。
 それこそ、何にも知らぬ事だ。ちっとも差支えは無いようなものの、あわれなその婦《おんな》を、直ぐ向うに苦しませておいて、呑気《のんき》そうに、夜通しのこの会さえ、何だか心ないような気がして、私なんぞは鬱《ふさ》いでいるんだ。
 仕様もあろうのに、その病人を材料《たね》にして、約束の生命《いのち》を「とりあげ」に来たが、一目弟を見たがるから猶予をした、胸に爪を立てて苦しませた
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