、あの……客受けの六畳の真中処《まんなかどころ》へ、二人、お太鼓の帯で行儀よく、まるで色紙へ乗ったようでね、ける、かな、と端然《きちん》と坐ってると、お組が、精々気を利かしたつもりか何かで、お茶台に載っかって、ちゃんとお茶がその前へ二つ並んでいます……
 お才さんは見えなかった。
 ところが、お組があれだろう。男なら、骨《こつ》でなり、勘でなり、そこは跋《ばつ》も合わせようが、何の事は無い、松葉ヶ|谷《やつ》の尼寺へ、振袖の若衆《わかしゅ》が二人、という、てんで見当の着かないお客に、不意に二階から下りて坐られたんだから、ヤ、妙な顔で、きょとんとして。……
 次の茶の室《ま》から、敷居際まで、擦出《ずりだ》して、煙草盆《たばこぼん》にね、一つ火を入れたのを前に置いて、御丁寧に、もう一つ火入《ひいれ》に火を入れている処じゃ無いか。
 座蒲団《ざぶとん》は夏冬とも残らず二階、長火鉢の前の、そいつは出せず失礼と、……煙草盆を揃えて出した上へ、団扇《うちわ》を二本の、もうちっとそのままにしておいたら、お年玉の手拭《てぬぐい》の残ったのを、上包みのまま持って出て、別々に差出そうという様子でいる。
 さあ、お三輪の顔を見ると、嬉しそうに双方を見較べて、吻《ほっ》と一呼吸《ひといき》を吐《つ》いた様子。
(才ちゃんは、)
 とお三輪が、調子高に、直ぐに聞くと、前《さき》へ二つばかりゆっくりと、頷《うなず》き頷き、
(姉さんは、ちょいと照吉さんの様子を見に……あの、三輪ちゃん。)
 と戸棚へ目を遣《や》って、手で円いものをちらりと拵《こしら》えたのは、菓子鉢へ何か? の暗号《あいず》。」
 ああ、病気に、あわれ、耳も、声も、江戸の張《はり》さえ抜けた状《さま》は、糊《のり》を売るよりいじらしい。
「お三輪が、笑止そうに、
(はばかりへおいでなすったのよ。)
 お組は黙って頭《かぶり》を振るのさ。いいえ、と言うんだ。そうすると、成程二人は、最初《はじめッ》からそこへ坐り込んだものらしい。
(こちらへいらっしゃいな。)とその一人が、お三輪を見て可懐《なつか》しそうに声を懸ける。
(佐川さん、)
 と太《ひど》く疲れたらしく、弱々とその一人が、もっとも夜更しのせいもあろう、髪もぱらつく、顔色も沈んでいる。
(どうしたんです。)と、ちょうど可《い》い、その煙草盆を一つ引攫《ひっさら》って、二人の前へ行って、中腰に、敷島を一本。さあ、こうなると、多勢の中から抜出《ぬけだ》したので、常よりは気が置けない。
(頭痛でもなさるんですか、お心持が悪かったら、蔭へ枕を出させましょうか。)
(いいえ、別に……)
(御無理をなすっちゃ不可《いけ》ません。何だかお顔の色が悪い。)
(そうですかね。)とお蘭さんが、片頬《かたほ》を殺《そ》ぐように手を当てる。
(ねえ、貴方《あなた》、お話しましょう。)
(でも……)
(ですがね、)
 とちらちらと目くばせが閃《ひら》めく、――言おうか、言うまいかッて素振《そぶり》だろう。
 聞かずにはおかれない。
(何です、何です、)
 と肩を真中《まんなか》へ挟むようにして、私が寄る、と何か内証《ないしょ》の事とでも思ったろう、ぼけていても、そこは育ちだ。お組が、あの娘《こ》に目で知らせて、二人とも半分閉めた障子の蔭へ。ト長火鉢のさしの向いに、結綿《ゆいわた》と円髷《まげ》が、ぽっと映って、火箸が、よろよろとして、鉄瓶がぽっかり大きい。
 お種さんが小さな声で、
(今、二階からいらっしゃりがけに、物干の処で、)
 とすこし身を窘《すく》めて、一層低く、
(何か御覧なさりはしませんか。)
 私は悚然《ぞっ》とした。」

       十九

「が、わざと自若《じじゃく》として、
(何を、どんなものです。)って聞返したけれど、……今の一言で大抵分った、婆々《ばばあ》が居た、と言うんだろう。」
「可厭《いや》、」と梅次は色を変えた。
「大丈夫、まあ、お聞き、……というものは――内にお婆さんは居ませんか――ッて先刻《さっき》お三輪に聞いたから。……
 はたして、そうだ。
(何ですか、お婆さんらしい年寄が、貴下《あなた》、物干から覗《のぞ》いていますよ。)
 とまた一倍滅入った声して、お蘭さんが言うのを、お種さんが取繕うように、
(気のせいかも知れません、多分そうでしょうよ……)
(いいえ、確《たしか》なの、佐川さん、それでね、ただ顔を出して覗くんじゃありません。梟《ふくろう》見たように、膝を立てて、蹲《しゃが》んでいて、窓の敷居の上まで、物干の板から密《そっ》と出たり、入ったり、)
(ああ、可厭《いや》だ。)
 と言って、揃って二人、ぶるぶると掃消《はらいけ》すように袖を振るんだ。
 その人たちより、私の方が堪《たま》りません。で無くってさえ、蚊帳《かや》の前を伝わった形が、昼間の闇《くら》がり坂のに肖《に》ていて堪《たま》らない処だもの、……烏は啼《な》く……とすぐにあの、寮の門《かど》で騒いだろう。
 気にしたら、どうして、突然《いきなり》ポンプでも打撒《ぶちま》けたいくらいな処だ。
(いつから?……)
(つい今しがたから。)
(全体|前《ぜん》にから、あの物干の窓が気になってしようがなかったんですよ。……時々、電車のですかね、電《いなびかり》ですか、薄い蒼《あお》いのが、真暗《まっくら》な空へ、ぼっと映《さ》しますとね、黄色くなって、大きな森が出て、そして、五重の塔の突尖《とっさき》が見えるんですよ……上野でしょうか、天竺《てんじく》でしょうか、何にしても余程遠くで、方角が分りませんほど、私たちが見て凄《すご》かったんです。
 その窓に居るんですもの。)
(もっとお言いなさいよ。)
(何です。)
(可厭《いや》だ、私は、)
(もっととは?)
(貴女《あなた》おっしゃいよ、)
 と譲合った。トお種さんが、障《となり》のお三輪にも秘《かく》したそうに、
(頭にね、何ですか、手拭《てぬぐい》のようなものを、扁《ひらっ》たく畳んで載せているものなんです。貴下《あなた》がお話しの通りなの、……佐川さん。)
 私は口が利けなかった。――無暗《むやみ》とね、火入《ひいれ》へ巻莨《まきたばこ》をこすり着けた。
 お三輪の影が、火鉢を越して、震えながら、結綿《ゆいわた》が円髷《まげ》に附着《くッつ》いて、耳の傍《はた》で、
(お組さん、どこのか、お婆さんは、内へ入って来なくッて?)
(お婆さん……)
 とぼやけた声。
(大きな声をおしでないよ。)
 と焦《じれ》ったそうにたしなめると、大きく合点《がってん》々々しながら、
(来ましたよ。)
 ときょとんとして、仰向いて、鉄瓶を撫《な》でて澄まして言うんだ。」
「来たの、」
 と梅次が蘇生《よみがえ》った顔になる。
「三人が入乱れて、その方へ膝を向けた。
 御注進の意気込みで、お三輪も、はらりとこっちへ立って、とんと坐って、せいせい言って、
(来たんですって。ちょいと、どこの人。)
 と、でも、やっぱり、内証で言った。
 胸から半分、障子の外へ、お組が、皆《みんな》が、油へ水をさすような澄ました細面《ほそおもて》の顔を出して、
(ええ、一人お見えになりましてすよ。)
(いつさ?)
(今しがた、可厭《いや》な鴉《からす》が泣きましたろう……)
 いや、もうそれには及ばぬものはまた意地悪く聞える、と見える。
(照吉さんの様子を見に、お才はんが駆出して行《ゆ》きなすった、門《かど》を開放《あけはな》したまんまでさ。)
 皆《みんな》が振向いて門を見たんだ。」――

       二十

「その癖|門《かど》の戸は閉《しま》っている。土間が狭いから、下駄が一杯、杖《ステッキ》、洋傘《こうもり》も一束。大勢|余《あんま》り隙《ひま》だから、歩行出《あるきだ》したように、もぞりもぞりと籐表《とうおもて》の目や鼻緒なんぞ、むくむく動く。
 この人数が、二階に立籠《たてこも》る、と思うのに、そのまた静《しずか》さといったら無い。
 お組がその儀は心得た、という顔で、
(後で閉めたんでございますがね、三輪《みい》ちゃん、お才はんが粗々《そそ》かしく、はあ、)
 と私達を見て莞爾《にっこり》しながら、
(駆出して行《ゆ》きなすった、直き後でございますよ。入違いぐらいに、お年寄が一人、その隅《すみッ》こから、扁平《ひらべっ》たいような顔を出して覗《のぞ》いたんでございますよ。
 何でも、そこで、お上《かみ》さんに聞いて来た、とそう言いなすったようでしたっけ……すたすた二階へお上《あが》りでございました。)
 さ、耳の疎《うと》いというものは。
(どこの人よ、)
 とお三輪が擦寄って、急込《せきこ》んで聞く。
(どこのお婆さんですか。)
(お婆さんなの、ちょいと……)
 私たちが訊《たず》ねたい意《こころ》は、お三輪もよく知っている。闇《くら》がり坂以来、気になるそれが、爺《じじ》とも婆《ばば》とも判別《みわけ》が着かんじゃないか。
(でしょうよ、はあ、……余程《よっぽど》の年紀《とし》ですから。)
(いいえさ、年寄だってね、お爺さんもお婆さんもありますッさ。)
(それがね、それですがね三輪ちゃん。)
 と頭《かぶり》を掉《ふ》って、
(どっちだかよく分りません。背《せい》の低い、色の黄色|蒼《あお》い、突張《つっぱ》った、硝子《ビイドロ》で張ったように照々《てらてら》した、艶《つや》の可《い》い、その癖、随分よぼよぼして……はあ、手拭《てぬぐい》を畳んで、べったり被《かぶ》って。)
 女たちは、お三輪と顔を見合わせた。
(それですが、どうかしましたか。)
(どうもこうもなくってよ……)とお三輪は情《なさけ》ない声を出す。
(不可《いけ》ませんでしたかねえ。私はやっぱり会にいらしった方か、と思って。)
 ……成程な、」
 と民弥は言い掛けて苦笑した。
「会へいらしったには相違は無い。
(今時分来る人があって、お組さん。もう二時半だわ。)
(ですがね、この土地ですし……ちょいと、御散歩にでもお出掛けなすったのが、帰って見えたかとも思いましたしさ……お怪《ばけ》の話をする、老人《としより》は居ないかッて、誰方《どなた》かお才はんに話しをしておいでだったし、どこか呼ばれて来たのかとも、後でね、考えた事ですよ。いえね、そんな汚い服装《なり》じゃありません。茶がかった鼠色の、何ですか無地もので、皺《しわ》のないのを着てでした。
 けれども、顔で覗いてその土間へお入んさすった時は、背後《うしろ》向きでね、草履でしょう、穿物《はきもの》を脱いだのを、突然《いきなり》懐中《ふところ》へお入れなさるから、もし、ッて留めたんですが、聞かぬ振《ふり》で、そして何です、そのまんま後びっしゃりに、ずるッかずるッかそこを通って、)
 と言われた時は、揃って畳の膝を摺《ず》らした。
(この階子段《はしごだん》の下から、向直ってのっそりのっそり、何だか不躾《ぶしつけ》らしい、きっと田舎のお婆さんだろうと思いました。いけ強情な、意地の悪い、高慢なねえ、その癖しょなしょなして、どうでしょう、可恐《おそろし》い裾長《すそなが》で、……地《じ》へ引摺るんでございましょうよ。
 裾端折《すそはしょり》を、ぐるりと揚げて、ちょいと帯の処へ挟んだんですがねえ、何ですか、大きな尻尾を捲《ま》いたような、変な、それは様子なんです。……
 おや、無面目《むめんもく》だよ、人の内へ、穿物《はきもの》を懐へ入れて、裾端折のまんま、まあ、随分なのが御連中の中に、とそう思っていたんですがね、へい、まぐれものなんでございますかい。)
 わなわな震えて聞いていたっけ、堪《たま》らなくなった、と見えてお三輪は私に縋《すが》り着いた。
 いや、お前も、可恐《おっか》ながる事は無い。……
 もう、そこまでになると、さすがにものの分った姉さんたちだ、お蘭さんもお種さんも、言合わせたように。私にも分った。言出して見ると皆|同一《おんなじ》。」……

       二十一

「茶番さ。」

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