《もんつき》で、水際の立ったのが、薄《うっす》りと一人浮出したのであるから、今その呼懸けたお三輪さえ、声に応じて、結綿《ゆいわた》の綺麗な姿が、可恐《こわ》そうな、可憐《かれん》な風情で、並んでそこへ、呼出されたように、座上の胸に描かれた。
「つかん事を聞くがね、どこかこの近所で、今夜あたりお産をしそうな人はあるまいか。」
 と妙な事を沈んで聞く。
「今夜……ですか。」とお三輪はきっぱり聞返す。
「……そうだね、今夜、と極《き》まった事も無いけれど、この頃にさ、そういう家《うち》がありやしないかい。」
「嬰児《あかんぼ》が生れる許《とこ》?」
「そうさ、」
「この近所、……そうね。」
 せっかく聞かされたものを、あれば可《い》いが、と思う容子《ようす》で、しばらくして、
「無いわ、ちっと離れていては悪くって、江戸町辺。」
「そこらにあるかい。」
 と気を入れる。
「無い事よ、――やっぱり、」とうっかりしたように澄まして言う。
「何だい、詰《つま》らない。」
 と民弥は低声《こごえ》に笑《えみ》を漏らした。
「ちょいと、階下《した》へ行って、才《さあ》ちゃんに聞いて来ましょうか。」
「…………」
「ええ、兄さん、」
 と遣《や》ったが、フト黙って、
「私、聞いて来ましょう、先生。」
「何、可《い》い、それには及ばんのだよ。……いいえ、少しね、心当りな事があるもんだから、そらね。」
 と斜《ななめ》になって、俯向《うつむ》いて幕張《まくばり》の裾《すそ》から透かした、ト酔覚《よいざめ》のように、顔の色が蒼白《あおじろ》い。
「向うに、暗く明《あかり》の点《つ》いた家《うち》が一軒あるだろう……近所は皆《みんな》閉《しま》っていて。」
「はあ、お医者様のならび、あすこは寮よ……」
「そうだ、公園|近《ぢか》だね。あすこへ時々客では無い、町内の人らしいのが、引過《ひけす》ぎになってもちょいちょい出たり入ったりするから、少しその心当りの事もあるし、……何も夜中の人出入りが、お産とは極《きま》らないけれど、その事でね。もしかすると、そうではあるまいか、と思ったからさ。何だか余り合点《のみこ》み過ぎたようで妙だったね。」

       十

「それに何だか、明《あかり》も陰気だし、人の出入りも、ばたばたして……病人でもありそうな様子だったもんだから。」
 と言って、その明《あかり》を俯向《うつむ》いて見透かす、民弥の顔にまた陰気な影が映《さ》した。
「でもね、当りましたわ、先生、やっぱり病人があるのよ。それでもって、寝ないでいるの、お通夜《つや》をして……」
「お通夜?」
 と一人、縁に寄った隅の方から、声を懸けた人がある。
「あの……」
「夜伽《よとぎ》じゃないか。」と民弥が引取《ひっと》る。
「ああ、そうよ。私は昨夜《ゆうべ》も、お通夜だってそう言って、才《さあ》ちゃんに叱られました。……その夜伽なのよ。」
「病人は……女郎衆《じょうろしゅ》かい。」
「そうじゃないの。」
 とついまたものいいが蓮葉《はすは》になって、
「照吉さんです、知ってるでしょう。」
 民弥は何か曖昧《あいまい》な声をして、
「私は知らないがね、」
 けれども一座の多人数は、皆耳を欹《そばだ》てた。――彼は聞えた妓《おんな》である――中には民弥の知らないという、その訳をさえ、よく心得たものがある。その梅次と照吉とは、待宵《まつよい》と後朝《きぬぎぬ》[#ルビの「きぬぎぬ」は底本では「きねぎぬ」]、と対《つい》に廓《くるわ》で唄われた、仲の町の芸者であった。
 お三輪はサソクに心着いたか、急に声も低くなって、
「芸者です、今じゃ、あの、一番綺麗な人なんです、芸も可《い》いの。可哀相だわ、大変に塩梅《あんばい》が悪くって。それだもんですから、内は角町《すみちょう》の水菓子屋で、出ているのは清川(引手茶屋)なんですけれど、どちらも狭いし、それに、こんな処でしょう、落着いて養生も出来ないからって……ここでも大切な姉《ねえ》さんだわ。ですから皆《みんな》で心配して、海老屋でもしんせつにそう云ってね、四五日前から、寮で大事にしているんですよ。」
「そうかい、ちっとも知らなかった。」と民弥はうっかりしたように言う。
「夜伽《よとぎ》をするんじゃ、大分悪いな。」と子爵が向うから声を懸けた。
「ええ、不可《いけな》いんですって、もうむずかしいの。」
 とお三輪は口惜《くや》しそうに、打附《ぶッつ》けて言ったのである。
「何の病気かね。」
 と言う、魯智深の頭は、この時も天井で大きく動いた。
「何んですか、性《しょう》がちっとも知れないんですって。」
 民弥は待構えてでもいたように、
「お医師《いしゃ》は廓《くるわ》のなんだろう、……そう言っちゃ悪いけれど。」
「いいえ、立派な国手《せんせい》も綱曳《つなびき》でいらっしゃったんですの。でもね、ちっとも分りませんとさ。そしてね、照吉さんが、病気になった最初《はじめ》っから、なぜですか、もうちゃんと覚悟をして、清川を出て寮へ引移るのにも、手廻りのものを、きちんと片附けて、この春から記《つ》けるようにしたっちゃ、威張っていた、小遣帳《こづかいちょう》の、あの、蜜豆《みつまめ》とした処なんか、棒を引いたんですってね。才ちゃんはそう言って、話して、笑いながら、ほろほろ涙を落すのよ。
 いつ煩っても、ごまかして薬をのんだ事のない人が、その癖、あの、……今度ばかりは、掻巻《かいまき》に凭懸《よりかか》っていて、お猪口《ちょこ》を頂いて飲むんだわ。それがなお心細いんだって、皆《みんな》そう云うの。
 私も、あの、手に持って飲まして来ます。
(三輪《みい》ちゃん、さようなら。)って俯向《うつむ》くんです、……枕《まくら》にこぼれて束ね切れないの、私はね、櫛《くし》を抜いて密《そっ》と解かしたのよ……雲脂《ふけ》なんかちっとも無いの、するする綺麗ですわ、そして煩ってから余計に殖《ふ》えたようよ……髪ばかり長くなって、段々命が縮むんだわねえ。――兄さん、」
 と、話に実が入《い》るとつい忘れる。
「可哀相よ。そして、いつでもそうなの、見舞に行《ゆ》くたんびに(さようなら)……」

       十一

「それはもう、きれいに断念《あきら》めたものなの、……そしてね、幾日《いくか》の何時頃に死ぬんだって――言うんですとさ、――それが延びたから今日はきっと、あれだって、また幾日の何時頃だって、どうしてでしょう。死ぬのを待っているようなの。
 ですからね、照吉さんのは、気病《きやみ》だって。それから大事の人の生命《いのち》に代って身代《みがわり》に死ぬんですって。」
「身代り、」と聞返した時、どのかまた明《あかり》の加減で、民弥の帷子《かたびら》が薄く映った。且つそれよりも、お三輪の手絡《てがら》が、くっきりと燃ゆるように、声も強い色に出て、
「ええ、」
 と言う、目も※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》られた気勢《けはい》である。
「この方が怪談じゃ、」と魯智深が寂しい声。堀子爵が居直って、
「誰の身代りだな、情人《いいひと》のか。」
「あら、情人《いいひと》なら兄さんですわ、」
 と臆《おく》せず……人見知《ひとみしり》をしない調子で、
「そうじゃないの、照吉さんのは弟さんの身代りになったんですって。――弟さんはね、先生、自分でも隠してだし、照吉さんも成りたけ誰にも知らさないようにしているんだけれど、こんな処の人のようじゃないの。
 学校へ通って、学問をしてね、よく出来るのよ。そして、今じゃ、あの京都の大学へ行っているんです。卒業すれば立派な先生になるんだわ、ねえ。先生。
 姉さんもそればっかり楽《たのし》みにして、地道に稼いじゃ、お金子《かね》を送っているんでしょう。……ええ、あの、」
 と心得たように、しかも他愛の無さそうに、
「水菓子屋の方は、あれは照吉さんの母《おっか》さんがはじめた店を、その母《おっか》さんが亡くなって、姉弟《きょうだい》二人ぼっちになって、しようが無いもんですから、上州の方の遠い親類の人に来てもらって、それが世話をするんですけれど、どうせ、あれだわ。田舎を打棄《うっちゃ》って、こんな処へ来て暮そうって人なんだから、人は好《い》いけれども商売は立行《たちゆ》かないで、照吉さんには、あの、重荷に小附《こづけ》とかですってさ。ですから、お金子でも何でも、皆《みんな》姉さんがして、それでも楽《たのし》みにしているんでしょう。
 そうした処が、この二三年、その弟さんが、大変に弱くなったの。困るわねえ。――試験が済めばもう卒業するのに、一昨年《おととし》も去年もそうなのよ、今年もやっぱり。続いて三年病気をしたの。それもあの、随分大煩いですわ、いつでも、どっと寝るんでしょう。
 去年の時はもう危ないって、電報が来たもんですから、姉さんが無理をして京都へ行ったわ。
 二年続けて、彼地《あっち》で煩らったもんですから、今年の春休みには、是非お帰んなさいって、姉さんも云ってあげるし、自分でも京都の寒さが不可《いけな》いんだって、久しぶりで帰ったんです。
 水菓子屋の奥に居たもんですから、内へも来たわ。若旦那《わかだんな》って才ちゃんが言うのよ。お父《とっ》さんはね、お侍が浪人をしたのですって、――石橋際に居て、寺子屋をして、御新造《ごしん》さんの方は、裁縫《おしごと》を教えたんですっさ、才ちゃんなんかの若い時分、お弟子よ。
 あとで、私立の小学校になって、内の梅次さんも、子供の内は上ってたんですさ。お母《っか》さんの方は、私だって知ってるわ。品の可《い》い、背《せい》のすらりとした人よ。水菓子屋の御新造《ごしん》さんって、皆《みんな》がそう言ったの。
 ですもの、照吉さんは芸者だけれど、弟さんは若旦那だわね。
 また煩いついたのよ、困るわねえ。
 そして長いの、どっと床に就いてさ。皆《みんな》、お気の毒だって、やっぱり今の、あの海老屋の寮で養生をして、同《おんな》じ部屋だわ。まわり縁の突当りの、丸窓の付いた、池に向いた六畳よ。
 照吉さんも家業があるでしょう、だもんですから、ちょいとの隙《ひま》も、夜《よ》の目も寝ないで、附《つき》っ切りに看病して、それでもちっとも快《よ》くならずに、段々|塩梅《あんばい》が悪くなって、花が散る頃だったわ、お医者様もね、もうね。」
 と言う、ちっと切なそうな息づかい。

       十二

 お三輪は疲れて、そして遣瀬《やるせ》なさそうな声をして、
「才《さあ》ちゃんを呼んで来ましょうか、私は上手に話せませんもの。」と言う、覚束《おぼつか》ない娘の口から語る、照吉の身の上は、一層夜露に身に染みたのであった。
「可《い》いよ、三輪《みい》ちゃんで沢山だ。お話し、お話し、」と雑貨店主、沢岡が激ました。
「ええ、もうちっとだわ。――あの……それでお医者様が手放したもんですから、照吉さんが一七日《いちしちにち》塩断《しおだち》して……最初《はじめッ》からですもの、断つものも外に無いの。そして願掛けをしたんですって。どこかねえ、谷中《やなか》の方です。遠くまで、朝ねえ、まだ夜の明けない内に通ったのよ。そのお庇《かげ》で……きっとそのお庇だわ。今日にも明日にも、といった弟さんが、すっかり治ってね。夏のはじめに、でもまだ綿入を着たなりで、京都へ立って行ったんです。
 塩断をしたりなんかして、夜も寝なかった看病疲れが出たんだって、皆《みんな》そう言ったの。すぐ後で、姉さんが病みついたんでしょう。そして、その今のような大病になったんでしょう。
 ですがね、つい二三日前、照吉さんが、誰にも言わない事だけれどって、そう云って、内の才ちゃんに話したんですって。――あの、そのね、谷中へ願掛けをした、満願、七日《なぬか》目よ、……一七日《いちしちにち》なんですもの。いつもお参りをして帰りがけに、しらしらと夜の明ける時間なのが、その朝は、まだ真暗《まっくら》だったんですとさ。御堂を拝んで帰ろうとすると、上の見
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