下りるとね、車夫《わかいし》はたった今乗せたばかりの処だろう、空車《からぐるま》の気前を見せて、一《ひと》つ駆《が》けで、顱巻《はちまき》の上へ梶棒《かじぼう》を突上げる勢《いきおい》で、真暗《まっくら》な坂へストンと摺込《すべりこ》んだと思うと、むっくり線路の真中《まんなか》を躍り上って、や、と懸声だ。そこはまだ、仄《ほんの》り明《あかる》い、白っぽい番小屋の、蒼《あお》い灯《ひ》を衝《つッ》と切って、根岸の宵の、蛍のような水々《みずみず》した灯《あかり》の中へ消込《きえこ》んだ。
蝙蝠《こうもり》のように飛ぶんだもの、離れ業と云って可《い》い速さなんだから、一人でしばらく突立《つった》って見ていたがね、考えて見ると、面白くも何とも無いのさ。
足許だけぼんやり見える、黄昏《たそがれ》の木《こ》の下闇《したやみ》を下り懸けた、暗さは暗いが、気は晴々《せいせい》する。
以前と違って、それから行《ゆ》く、……吉原には、恩愛もなし、義理もなし、借もなし、見得外聞があるじゃなし……心配も苦労も無い。叔母さんに貰《もら》った仲の町の江戸絵を、葛籠《つづら》から出して頬杖《ほおづえ》を支《
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